先日、準特急さんから客車の画像を数点送っていただきました。救援車や工事車が主で、それはそれでもちろんたいへんうれしかったのですが、その中にスハシ38 6がありました。撮影日は昭和41年9月10日で、場所は苗穂とのことでした。9月5日までの夏期営業を終えて編成から解かれ、年末の出番まで休養している形式写真でした。
マイテ39 1と同じ二重屋根に3軸ボギーTR73、これだけでも十分しびれますが、さらに窓配置を見ると「ハ」になってはいるものの貴重な優等車の面影が歴然として、申し分ありません。直に見たかったですね。
準特急さんの許可を得て画像を掲載し、スハシ38 6と「石狩」について述べたいと思います。

スハシ38 6札サツ サボは「急行」、「3」号車 準特急さん撮影
スハシ38 6の履歴は、
スロシ37953(昭和7年3月31日鷹取工新製)→(16年10月1日称号改正)スロシ38 4→(19年7月26日五稜郭工改造)マハ49 9→(28年3月長野工改造)スハシ38 6→42年7月7日廃車
この時点、スハシ38 6は日本中でただ1両最後に残った2等食堂合造車でした。食堂車が1両だけでも間に合う運用しかできませんので、1個編成が行ったり来たりする不定期急行「石狩」に充てられました。この当時は、多客期に、下り・上りとも気動車急行「ライラック」(函館-札幌、函館本線経由)を補完して、青函連絡船深夜便に接続する列車でした。ただ不定期・室蘭本線回りだけに、函館-札幌間は「ライラック」と比較して、下りは1時間19分、上りは1時間35分所要時間が長いダイヤでした。上りの場合、「ライラック」は「石狩」より後に札幌を発車して函館には先に着きました。食堂車を連結する列車としては時間帯は文句ないのですが、なぜ食堂車を1両だけ残してまで不定期急行に連結したのか理由がわかりません。他に急行で食堂車を連結しているのは「ていね」だけで他の急行には食堂車などは連結していませんでした。函館発着の客車急行は「たるまえ」だけで、これは完全に夜行で食堂車の必要のない時間帯ですし、他には「石北」がありましたが函館-札幌間が普通列車でした。

函館発札幌行急行「石狩」3201レが東室蘭を出発。牽引機はC57 141[苗穂] 昭和41年9月4日 準特急さん撮影
客車の編成を見ると、列車は函館に向かっていることになりますが、上り3202レの東室蘭発車は19時38分で、9月4日に撮影は無理でしょう。また準特急さんの撮影記録ではまちがいなく札幌行の3201レであるということです。3201レであれば東室蘭発車は9時29分ですから撮影時刻に問題はありません。所定の「列車編成表」と実際の編成の向きが逆であることになりますが、現実に編成の向きが逆で運転していたのですから、何か事故があって千歳線・室蘭本線が不通になり、前日(9月3日)3202レが函館本線経由で函館まで行って、そのまま折り返し4日の3201レになったということかもしれません。札幌に帰ってから客車の順序・食堂車の向きを整えたのでしょう。これはたいへん珍しい貴重な記録です。
◆『時刻表』昭和41年9月号 「列車編成表」

◆『時刻表』昭和41年9月号 「石狩」東室蘭部分の時刻


『交通公社の国鉄監修時刻表』でたどる運転日
◆1101レ 33年10月号「不定期列車・運転期日はその都度発表」 函館5:30→11:40札幌
1102レ 〃 札幌16:50→23:05函館
◎33年10月1日時刻改正で設定されました。この時は上下列車とも急行「大雪」を補完しました。「大雪」には、というより当時の函館発着定期客車急行4本には全て食堂車が連結されていましたので、不定期であっても「石狩」にも食堂車を連結したのでしょうか。そしてそれがそのまま約8年続いたということでしょうか。
なお、「石狩」という愛称の列車はこれが新規ではなく、26年4月1日からとする文献が多いのですが、『時刻表』26年3月号によれば、「26年2月15日訂補」として、小樽-名寄間準急(旭川-名寄間普通)5・6レ(その後9・10レ)に「石狩」と記されていますので、26年2月から愛称が付けられ、29年4月末まで存在していました。
◆1101レ 33年12月号「不定期列車・運転期日はその都度発表」 函館5:30→11:40札幌
1102レ 〃 札幌16:50→23:05函館
◆1101レ 34年1月号 34年1月13日まで運転 函館5:30→11:40札幌
1102レ 〃 34年1月12日まで運転 札幌16:50→23:05函館
◎12月号に運転開始日が何故か記載がありませんので、いつから運転開始したのかが不明です。
◆1101レ 34年4月号 34年4月14日まで運転 函館5:30→11:40札幌
1102レ 〃 34年4月13日まで運転 札幌16:50→23:05函館
◎春期の運転ですが3月号には期日の記載が無く、これも開始日が不明です。
◆1101レ 34年7月1日~9月5日 函館5:30→11:40札幌
1102レ 〃 札幌16:50→23:05函館
◎2ヶ月以上連続運転ですが、当時は食堂車が9両配置されていましたので、やりくりできたようです。
◆1101レ 34年12月21日~35年1月15日 函館5:10→11:19札幌
1102レ 34年12月20日~35年1月14日 札幌16:51→23:07函館
◎9月22日改正で時刻が変更されました。
◆1101レ 35年3月21日~4月14日 函館5:10→11:19札幌
1102レ 35年3月21日~4月13日 札幌16:51→23:07函館
◆1101レ 35年7月2日~9月11日 函館5:10→11:05札幌
1102レ 35年7月1日~9月11日 札幌17:15→23:07函館
◆1101レ 35年12月21日~36年1月20日 函館5:10→11:05札幌
1102レ 〃 札幌17:12→23:07函館
◆1101レ 36年4月号 35年4月16日まで及び4月27日~5月7日 函館5:10→11:04札幌
1102レ 〃 〃 札幌17:12→23:07函館
◎3月号には運転期日の記載がありませんので運転開始日が不明です。。
◆1101レ 36年7月1日~9月30日 函館5:10→11:04札幌
1102レ 〃 札幌17:12→23:07函館
◆1011レ 36年12月24日~37年1月16日 函館5:20→11:55札幌
1012レ 36年12月23日~37年1月15日 札幌16:25→23:00函館
◎10月1日改正で列車番号と時刻が変更されました。
◆1011レ 37年3月24日~4月13日・4月29日~5月7日 函館5:20→11:55札幌
1012レ 37年3月23日~4月12日・4月28日~5月6日 札幌16:25→23:00函館
◆1011レ 37年7月13日~9月3日 函館5:20→11:55札幌
1012レ 37年7月12日~9月2日 札幌16:25→23:00函館
◆1011レ 37年12月29日~31日,38年1月6日~9日 函館5:20→11:27札幌
1012レ 37年12月28日~30日,38年1月5日~8日 札幌16:30→23:00函館
◎10月1日改正で時刻が変更されました。
◆1011レ 38年3月24日~4月13日・4月29日~5月7日 函館5:20→11:27札幌
1012レ 38年3月23日~4月12日・4月28日~5月6日 札幌16:30→23:00函館
◆1011レ 38年7月12日~9月3日 函館5:20→11:27札幌
1012レ 38年7月11日~9月2日 札幌16:30→23:00函館
◆1011レ 38年12月29日~31日,39年1月6日~9日 函館5:20→11:27札幌
1012レ 38年12月28日~30日,39年1月5日~8日 札幌16:30→23:00函館
◎39年春は運休のようです。
◆1011レ 39年7月11日~9月7日 函館5:20→11:27札幌
1012レ 39年7月10日~9月6日 札幌16:30→23:00函館
◆1011レ 39年12月27日~31日,40年1月5日~9日 函館5:20→11:28札幌
1012レ 39年12月26日~30日,40年1月4日~8日 札幌16:30→23:00函館
◆1011レ 40年3月28日~31日 函館5:20→11:28札幌
1012レ 40年3月28日~30日 札幌16:30→23:00函館
◆1011レ 40年7月10日~9月6日 函館5:20→11:28札幌
1012レ 40年7月9日~9月5日 札幌16:30→23:00函館
◆3201レ 40年12月26日~31日,41年1月4日~10日 函館5:20→11:39札幌
3202レ 40年12月25日~30日,41年1月3日~9日 札幌16:50→23:35函館
◎10月1日改正で時刻が変更されました。
◆3201レ 41年3月28日~31日 函館5:20→11:39札幌
3202レ 41年3月28日~30日 札幌16:50→23:35函館
◆3201レ 41年7月9日~9月5日 函館5:20→11:39札幌
3202レ 41年7月8日~9月4日 札幌16:50→23:35函館
◆3201レ 41年12月25日~31日,42年1月4日~10日 函館5:20→11:40札幌
3202レ 41年12月24日~30日,42年1月3日~9日 札幌16:40→23:11函館
◎10月1日改正で時刻が変更されました。
◎食堂車連結の「石狩」は42年1月10日をもって運転終了しました。
このあとは食堂車無しで42年7月22日(上り)から運転しています。
運用を調べて少しだけわかった範囲で記しますと、37年から40年で、運用番号は札22または21、受持駅は札幌、いずれも1組、40年10月1日から6号車だけが札附122ということでした。
なお、上記運転期日についてですが、「石狩」は編成が1本だけで行ったり来たりしていたのですが、時刻表では時期によって開始日と終了日が同じだったり、片方だけ同じという記載があり、誤植の疑いが拭えない部分があります。
井原 実様
丁寧な記録有難うございます。急行「石狩」は一貫して函館を早朝に出発し、札幌からは函館に夜遅く到着しています。掲載していただいた編成表も私の持つ1965年11月、66年7月、11月の交通公社の時刻表は何れも井原さんのものと同じです。私の東室蘭での撮影は3201列車札幌行きです。有難うございました。
準特急様
恐れ入ります。
わざわざ食堂車を廃車にせずに残して連結するという不思議な列車ですね。特別な事情があったのでしょうか。
井原 実様
この時代の道内は特急はキハ82系「おおぞら」、「おおとり」、「北斗」で全て昼行でキシ80の食堂車が組み込まれていました。急行は昼行客車である「ていね」のマシ35、季節運転の昼行客車「石狩」のスハシ38だけのようです。推察ですが北海道の基本方針は食堂車は特急と昼行客車だけに決めていたようです。キハ56系の気動車にはキシとかキサシはなかったと思います。夜行寝台急行には食堂車を連結するほど需要がなかったのでしょう。スピードの遅い「ていね」や「石狩」も食堂車利用がどれくらいあったのか疑問です。当会にはOBで客車の鬼と言われた方がおられます。是非ご高説を賜りたいと思います。
スハシ3823を撮っていました。
少しキズがありますがお許しください。
ありがとうございます。
14号車で「まりも」ですから、1964年10月1日改正からの姿です。場所は函館ですか。
やはりマシ35の代走で出番があったのですね。所定は札幌-釧路間は全車指定ですが、この場合座席はどういう扱いだったのでしょう。
撮影は札幌だと思います。
この車両はザシです。
函館-釧路間用の車両がサボを付けたまま妻面を見せて札幌にいたのは何か理由がありそうですね。
スハシ38の座席定員は16で、みどりの窓口ができたかどうかという時期ですが、指定券はマルスで発券したのでしょうか。
私が北海道に渡っていた頃、アカシアは無く倶知安経由の大雪が均一周遊券で乗れる急行でした。編成の機関車から4両目のこの車両に乗り、3軸ボギーのせわしないリズムは、未だ憶えています。
村樫四郎様
コメントをいただきありがとうございます。
スハシ38付き「アカシヤ」が廃止されたのは1961年10月1日時刻改正ですので、それ以降ということですね。植苗で「第4ちとせ」を撮られた頃ですか。
3軸ボギーを味わうには「大雪」(しかも自由席)しかありませんでした(「まりも」はマシ35、「石狩」はスハシ38ですが東室蘭回りで不定期)が、羨ましい限りです。