京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [2]

廃止直前の加悦鉄道(2) 戻りは全区間歩いて 

一日4往復に減ってしまった、廃止前の加悦鉄道、昭和60年1月4日、午前2番の列車に乗って、9:53に終点の加悦に到着しました。まずは構内に置かれた蒸機、客車など車両や駅周辺を見学。これを終えると、午後一番の列車までは相当な時間があります。代行バスで戻る手もありましたが、途中の各駅も記録しておきたく、丹後山田までの5.7km、歩いて戻ることにしました。

行きのキハ083車内から見た加悦鉄道、途中ゆるやかなカーブがあるが、ほぼ一直線で加悦へ向かっていた。

9:53 加悦に到着した2番列車のキハ08 3、加悦の古ツワモノが構内に並んでいた。

加悦の構内には、古典蒸機から制式蒸機まで、気動車や古典客車であふれていた。「加悦SLの広場」の看板があり、構内の一部が有料展示スペースとなっていた。

2号機関車、ハブ3など、歴史的な車両も、きれいに復元・整備されていた。

国鉄から展示用に貸与されたC58、C57、C58 390は北見区で廃車、昭和50年に来た。C57 189は昭和48年に新津区から来た。

 

創業時のままの加悦駅舎、2階には加悦鉄道本社がある。昭和44年の合宿の時、駅にある風呂に入れてもらったのも思い出。駅名標と、駅前の加悦鉄道バス。

加悦駅前、丹後ちりめんで栄えた地らしく、落ち着いた、ゆったりした街並みが続いていた。

近くのバス車庫にも寄る。771号と同じ日産・富士重の路線バス(左)と貸切バス、貸切バスは時どき京都市内にも現れた。

 

加悦構内の撮影を終えて、歩き始める(左)、つぎの駅の「三河内口」に近づくと、次の加悦行きが停車中だった。 三河口駅を発車したキハ08 3

三河口駅、かつてあった駅舎は取り壊された。右手には公衆電話ボックスが。昭和45年に開設された「加悦谷高校前」。実際、どの程度の高校生利用があったのだろうか。全線のほぼ中間にあった「丹後四辻」 。ホーム終端には給水塔が残っていた。

 

 

 

丹後四辻の近くには、野田川役場があって、駅前にも街並みが続いていた。

丹後四辻には、対向ホームが残っていて、かつて客貨が盛んだった頃、列車交換が行われていたことがわかる。その次には「水戸谷」があって、丹後山田に至っていた。

 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [2]」への5件のフィードバック

  1. 加悦から丹後山田までの帰りが「歩き」だったとは、いかにも総本家様らしいですね。全線を歩いても5.7キロですので、1時間ちょっとでしょうか。自分の足で歩くと気付くことも多く、思わぬ出会いがあったりします。やはり基本は「歩き」だと、いまさらながら気づいた私です。
    駅というよりも停留所のような加悦谷高校前、昭和の初めに建てられた丹後四辻、どの駅も趣があって、しばし見とれてしまいます。列車だけではなく、駅や沿線の風景などがわかると、より一層理解が深まるように感じます。加悦駅前の写真にはタクシー会社とバイク屋さんの看板が見え、世相の一部が垣間見えるようです。鉄道だけにとどまらず、周りの風景も撮っておく意味を思い知りました。
    さて、私、営業最終日の前日に訪問し、丹後四辻で撮った後は終点の加悦まで歩いたようです。昼食は途中でパンでも買ったのでしょう。午後の列車を丹後三河内付近で撮ると、再び加悦へ戻ります。同行のW君はバスでさっさと帰りましたが、私は残りました。もう列車が動かないのはわかっていても、何か去りがたい気持ちがあったのでしょう。同じように十人ほどの鉄道ファンがいたでしょうか。記念に切符を買ったり、構内の車両にカメラを向けたりしていました。駅員さんが「加悦鉄道はなくなっても車両は残しておきますので、また見に来てやってください」といった言葉が思い出されます。
    添付の画像は4月29日の加悦行き最終列車で、丹後三河内付近で写しました。季節感を出したくて田んぼに咲いていたレンゲを入れましたが、素直に撮ったほうが良かったのか今も答えは出せません。

  2. 加悦鉄道では、自社で使用した蒸機に加え、最後は国鉄機まで保存展示していました。しかし内燃化の進行が早かったのか、蒸機が活躍していた時代の記録は、あまり見かけぬように思います。偶々、私のコレクションに1輌だけあるので、総本家さまが設けて頂いた良い機会と思い、お目に掛けます。昭和35年2月の撮影ですが、撮り人知れずです。、列車の向きから、加悦からの列車が丹後山田に着いたところを撮影したと思われます。機関車のC160は、昭和17年本江機械製作所の製造で、加悦に隣接の日本冶金が購入したものだそうです。

    • 宮崎様
      貴重な写真を拝見しました。ありがとうございます。たしかに客車は古典車両が揃っているのですが、DL化が早かったため、蒸機が客車を牽くシーンは、たいへん貴重ですね。ただ、日本冶金の岩滝工場の入換用や冬季の除雪用に、4号機が昭和43年まで使われていたそうです。

  3. 宮崎様にはいつも珍しい写真を見せていただき、ありがとうございます。今回も貴重な列車ですね。C-160に続くのはワブ3・フハ2・ハ10・ハブ3で、いずれもひと癖もふた癖もある車両です。最後尾のワブ3は明治22年、ドイツのバンデルチーペン社製で、昭和45年の万博にも展示されました。
    C-160は昭和41年3月に廃車された後、昭和44年3月に京都市に売却され、京都市北区の大宮交通公園に展示されました。添付の画像は昭和50年6月の撮影で、露天の展示ですがきれいな姿を保っていました。

    • このC160号機は、一時、小浜線にある犬見鉱山で使われていて、鉱山跡の訪問記をデジ青に書いたことがあります。
      https://drfc-ob.com/wp/archives/88872
      犬見鉱山時代のC160は、まさか誰も撮っていないと思っていたところ、投稿の6時間後に、亡き湯口徹さんからのスクープ投稿があって、びっくりしました。当時の湯口さんの日常生活もわかる、貴重な投稿です。
      https://drfc-ob.com/wp/archives/88891

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