伏見線 写真展 あと一日 !

伏見・大手筋を会場に30日より開催の写真展「伏見の街を走った京都市電」も、明日2月1日(日)が、いよいよ最終日となりました。朝から引っきりなしのご来場が続いています。デジ青読者の皆さま、ヒマを持て余しておられましたら、最終日、ぜひ京阪「伏見桃山」、近鉄「桃山御陵前」、JR「桃山」から会場「大手筋ギャラリー」へ足をお運びください。

朝から 途切れることなく、ご来場される皆さん。やはり鉄道写真展は、その切り口と会場立地だと納得した。このペースで行くと、今までの写真展のなかで最多人数を記録するのではと勘秀峰さんと話しながら会場を後にした。

 

ギャラリー外観 商店街に〝A形看板〟を置くことができたので、両面で違うデザインのポスターを作製。一つは青ベース、もう片方は黄色ベースと、目を引く配色に。▲▲入り口付近には、アイキャッチとして、大判写真、電停看板などを展示。寒いけれども開扉して、フラリと入りやすいように配慮。

ご来場の層を見ると、女性比率が高いのが今回の特徴、伏見最大の大手筋商店街だけに買い物ついでにフラリと入って、〝こんなんやったねぇ~〟〝エエの見せてもらいましたワ〟と大満足で帰られた。▲▲家族連れが多いのも特徴。親でも伏見線を知らない世代でも、熱心にご覧になって、〝昭和の伏見〟に思いを馳せられていた。

皆さん、写真だけでなく、イラスト、年表、資料、書籍など、さまざまなアイテムを熱心にご覧になっています。私としては初めての会場で、初めてのテーマ、そして何より加齢によるあらゆる能力の低下のなか、準備を進めてきました。〝歳いって、なんで苦労せんとアカンのか〟と思いながらの毎日でしたが、ご来場の皆さんの満足そうな顔を見て、肩の荷が下りましたよ。一緒に進めていた勘秀峰さんや、伏見チンチン電車の会、応援に入ってもらった紫の1863さんと、安堵の胸をなでおろしています。

突如、会場に乱入した〝酒飲み3人組〟(右)もう顔は赤くなっていて、さらに会場に居合わせたメンバーを連行し、〝酒飲み6人組〟になって会場を後にした。さすが、酒の本場、伏見のこと、昼飲み会場は事欠かない。来る理由はどうであれ、わざわざ顔を見せくれたクローバー会会員に感謝!

 伏見線 写真展 あと一日 !」への30件のフィードバック

  1. 総本家様と一緒に来場される皆さんのご案内をしている勘秀峰です。集客力ある商店街ギャラリーの開催で、地元の高齢者、カップル、家族連れを中心に、大勢の方がお見えになっています。昨日は一連の市電展示会で最多の212人を記録しました。
    伏見・稲荷線の写真がこれだけ展示されるのだけでも凄いのに、イラスト・資料・書籍・年表なども目を通して、皆さん満足げです。会期は今日一日で、最終日の今日は16:00(午後4時)までです。伏見の街歩きを兼ねて、ぜひお越しください!

    • 昨日はお二人にお世話になりました。
      最寄駅ではこのような鉄道好きにとっては眼福な風景も見られます。
      写真展会場も市外に近い伏見ですが面白い1日を行かれた方は楽しまれてください。
      第2会場の駿河屋の方も是非!

      • K.H.生さま
        さっそく写真展会場にご来場、ありがとうございました。K.H.生さんらしく、会場だけでなく、伏見のあちこちを楽しんでいただけたと思います。そういえば、来場者のなかに〝ブラタモリ〟出演の方が2名お見えだったのも伏見ならではでした。写真の京阪踏切の面白さ、〝ブラタモリ〟でも採り上げられた「坂」が起因しているのですね。

  2. 総本家青信号特派員さま
    「ヒマを持て余している会員」とはヒドイなあ。自分では決してそうは思ってはいないものの、傍からみればそうなのでしょうね。さて前日の案内投稿を見て、これはもうぜひ何があっても行かんならんと決意して馳せ参じました。余りに突然の告知で、念のためと確認しようとした会場のHPの開催スケジュールを見損ない、お恥かしい問い合わせをしましたが、これは高齢者ゆえのことと堪忍して下さい。
    何がなんでも、というのには特派員さま特製のDRFC名のヘッドマークを付けた501号にいろんな思い出があったからでした。特派員さまが装着された九条車庫に行ったかどうかは憶えがありませんが、会員の皆様と共に終日この501を追いかけたこと、帰りに伏見桃山城にほど近いぷるぷるさん宅に呼ばれ、宵のうちまでお邪魔していたこと、等々がありました。またこの日が学生時代とDRFCの最終日(クラブは長らくのブランク」を経て現在のOB会・クローバー会に繋がります)で、翌日は私事ですが就職・入社式を控えていたため、帰宅後に親父から社会人になるのにと心構えを厳しく叱責されたことが忘れられず、未だに心に深く刻まれた一日だったためです。後日車掌見修で初めて市電との伏見交差点跡を通過した際はもう徐行もなく、感慨深いものがありました。
    会場でもお話しましたが、テーマと会場選定がうまくマッチして大賑わいになっていることを喜びたいと思います。

    • 1900生さま
      ヒマつぶし(?)に、さっそくのご来場、ありがとうございました。ちょうど、クローバー会メンバーとも会われて、いいタイミングでしたね。501号のヘッドマーク取付は、私の伏見線の最大の思い出です。記念写真を見ていたら、九条車庫で、故・ぷるぷるさんも写ったものもありました。一緒に制作してくれた西村さんに、今でも感謝しています。1900生さんも翌日が入社式と言う節目の時代だったのですね。そういえば、最終日、伏見線に乗って、会社に初出勤するFさんと偶然会いました。Fさんにとっては、最初で最後の通勤利用だったと言っておられます。

  3. 総本家様、勘秀峰様
    連日の盛況お慶び申し上げます。また、私の拙作も展示いただきありがとうございました。
    廃止されて50年以上も経ち、当時を知らない方も熱心に見学されていたのは、当時の町の風景の中での市電の写真で、地元の昔の風景を懐かしむ方が多かったのではと思います。今年はクローバー会の写真展の開催も予定されています。車両だけでなく、周りの風景も合わせて記録となるような写真を心がけていきたい改めて感じました。
    私事ながら伏見線の廃止の折は高校3年生で、入試に落ち続け浪人生活が決定した時でした。それまでそれ程写真を撮っていたわけではなかったのですが、天気も良く撮影に出かけました。高校生活も終わり新たな生活の変化に向けて良い気分転換になったと覚えています。

    • 大津の86さま
      いつもコメント、ありがとうございます。はい、連日、大賑わいでした。伏見線を知っている世代には懐かしく、知らない世代でも、心に響くものがあったのかなと思っています。86さんには、発色の良いカラーで協力してもらいました。とくに稲荷で京阪の通過待ちのカラーは皆さん注目でした。通過は3000系かと思いましたが、出来る前で、屋根のクーラーも見えません。まだ1900系でした。86さんにとっては、〝浪人〟決定の時、失意(?)にもめげず、写された伏見線はまた思い出に残ることと思います。

  4. 新聞で紹介されたこともあって、会場いっぱいの来場者でしたね。伏見線の地元という場所柄もあって市電の利用者も多く、往時を懐かしく思い出しておられたのも印象的でした。老若男女を問わず、あらゆる年齢層の方が写真に見入っておられた姿は、市電ならではの写真展風景ですね。おふたかたとも説明に追われ、お疲れのことと思います。まずはゆっくりと休んでください。
    夕方になって思わぬご褒美もありました。国内外で人気の橘高校マーチングバンドが会場前を通り、ナマの演奏を聴けたのはうれしい出来事でした。

    • 紫の1863さま
      連日のご出動、ありがとうございました。とくに最終日は最後の片づけまで手伝っていただき、ありがとうございます。その最終日、ホントすごい人出でした。そのご褒美でしょうか、マーチングバンドの演奏まで楽しませてもらいました。また遊説中のM議員まで、会場に引きずり込んだのも楽しい思い出となりました。

  5. 写真展「伏見の街を走った京都市電」、3日間の会期を終えて、昨2月1日に滞りなく、終了しました。3日間の総入場者は約680名で、今まで多く開催してきた写真展のなかでも最大の記録となりました。ご多忙のなか、ご来場いただいたクローバー会の皆さん、デジ青読者の皆さま、写真・イラスト提供の皆さん、ありがとうございました。ずっと手伝っていただいた勘秀峰さん、伏見チンチン電車の会の皆さん、また撤収の手伝いをしていただいた通りすがりの田中さん、紫の1863さん、お世話になりました。写真展準備でここしばらく多忙で、ほかの業務が積み残しになっています。しばらく業務を片付けたあと、またデジ青で報告させていただきます。記事は2月1日付け京都新聞、クローバー会の名もしっかり入れてもらいましたよ。

  6. 会場で耳寄りな情報を伺いました。京都市北区に保存されている市電301号が、今なら見えるとのことです。昭和30年代前半に姿を消した車両ですので、実際に目にされた方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。もちろん私も見たことがありません。
    今日の午後、現地へ行くと道路からよく見えました。長年にわたり風雨にさらされて痛みも目立ちますが、車体はしっかりしているようです。側面には市章も残っていました。
    スグそばでは新しい建物の基礎工事が始まっていて、見られなくなる日も遠くはなさそうです。
    写真展と関係のない話題で失礼しました。

    • 紫の1863様 これは紫明幼稚園ですね。実は私が70ほど前にお世話になった幼稚園です。但し本人はこの市電のことなど全く覚えていません。呉市宮原にある保育所にも同様に呉市電305号の車体が現存しています。屋根から傷んでくるために、大改造されていますがよく原形をとどめています。301号も同様に屋根に手を加えられていて、よく似ています。確か建仁寺にも廃車体があったような・・・。

      • 分かる人にわかれば良いと思ってあえて場所を書きませんでしたが、まさか西村様と縁があったとは驚きました。ハイ、その通りです。
        デジ青を「建仁寺」で検索すると、2本の投稿がヒットしました。かつては何か所もあったようですが、今残っているのは301が唯一らしいです。
        平成の初めに二条駅近くに転居すると、近くの公園に1800形が置かれてました。児童向けの図書館として使われていた時期もあったと聞きましたが、しばらくして解体撤去されてしまいました。露天で屋根もない場所でしたので、痛みも早かったのでしょう。
        呉の305号は屋根こそ変わっても、しっかりしていますね。大切にされている様子が伝わってきます。

    • 紫の1863さま
      ご無沙汰しております。伏見線市電展に応援を賜り傍からですが感謝申し上げます。
      さて300型の貴重な写真を有難うございました。拝見させていただき、おそらく数少ない乗車体験者ではないかと思い、またまた想い出話になりますがご披露したいと思います。昭和35年、小学1年生の2学期から3学期が終わるまでの半年間、羅城門前(なぜか羅生門ではない。現在は少し移動して市バス九条千本に)から⑰番系統で島原口まで通学していました。当時の⑰番系統は九条車庫を起点に、西大路九条~西大路七条~七条大宮~四条大宮~祇園の折返し系統(後に祇園から東大路経由九条車庫の循環系統になりました)で、九条車庫持ちとしてはメイン路線であった七条循環の➇系統、四条循環の⑦系統の補完的系統として運転されていて、そのため輸送量が比較的少なかったのか、200型・300型の単車も少数ながら運用されていました。200型の記憶は余り無いので当時でも滅多に来なかったように思いますが、300型はよく入っていました。また走行中の同型を見た記憶もあります。単車では北野線のN電をよく見ていて、頭を上下するその独特の揺れを面白がっていましたが、300型も同様の揺れがあり楽しんでいたものです。
      写真の300型の下半分の塗装が黒っぽく見えますが、やはり当時の市電色の濃緑なのでしょうね。

      • 1900生様、ご無沙汰しております。
        さっそく300形の思い出を寄せていただきまして、ありがとうございます。写真や動画などで過去の映像はいくらでも見られます。しかし乗車体験は当時を知る方でなければわかりません。N電は何度か乗りましたが幼かったので、乗り心地は覚えていません。ネットの動画で上下左右に車体を揺らしながら走るのを見て、乗り心地を想像するだけです。
        車体色は昭和30年代前半の、幾分暗い目の色合いを再現したのでしょう。何度も塗料を塗り重ねられたのもあって、より濃い緑になったのかもしれません。上半部のクリームは明るすぎのように感じます。忠実に色を再現するのは難しいですね。
        近鉄伏見駅近くの公園に保存されている1829号を添付します。露天ですが状態は良く、手入れが行き届いているようです。ただ、こちらは全体に明るめに見えます。

      • 1900生さま
        300型の乗車経験をお持ちなのですね、私は全く覚えがありません。調べますと、300型、200型は、ともに昭和34年1月で廃車になっています。すると、1900生様にとっては、小学校5年生の頃の思い出ではないでしょうか。300型は50両、200型は93両製造されましたが、最末期は、300型11両、200型3両と記されていて、300型が多く残っていました。

        • 総本家青信号特派員さま
          300型の情報を有難うございました。確かに昭和34年というと小学校5年生になりますが、小生が半年間の通学で乗ったりよく見かけていたのは小1の9月からの半年間でした。その後も毎週土曜日18時からNHKで放送されていた「チロリン村とくるみの木」を観るために、羅城門から従弟宅があった大宮五条まで通っていました。しかしこの間に単車に乗った記憶が殆どありません。600か800型の通常ボギー車だったと思いますが、35年廃車なら時期的には可能性はあったはずですね。ただ33年から新車700型が導入され始めていたので予備車になっていた可能性もあります(資料が無いためあくまで想像です)ね。
          余談ですが、どれほどの期間従弟宅に通ったか忘れましたが、恐らく1年後くらいに自宅に待望のTVが来たため従弟宅通いはしなくなりました。また市電通学を35年から再開しましたが、当時希少な700型新車に乗りたくて、四条大宮で⑦系統を降り、偶にやって来る可能性を信じて九条大宮行の烏丸車庫持ちの⑤系統を1時間近く待ったこともありました。

  7. 思いがけず300形の話題が出たので、1枚貼っておきます。京都市電で単車と云うとN電が先に出て、200・300形は影が薄いですね。構造的にはオープンデッキのN電より、高級?なのに先に消えてしまい、記録も少ないように思います。301号があると良かったのだが、307号です。昭和28年に京都駅前での撮影とあるが、撮り人知れずです。正面窓下に丸いものが3つ見えます。前照灯とリトリバーは判るのだが、あとひとつは何でしょうか。 お判りの方は、教えて下さい。

  8. 宮崎様
    昭和28年の京都駅前ですか、307号がきれいに写っていますね。200形・300形の写真は確かに少ないように思います。より古いN電に人気があったのでしょうか。
    さて、前照灯の上の丸いものの正体、気になります。今も残る301号、正面から撮っておりましたので、拡大して添付します。中心に穴がありますので、これはもしかすると電球のソケットかもしれません。蒸気機関車の前照灯の横についていた補助灯のような役目があったのでしょうか。戦前の写真を探してみると200・300・500形にもついていますが、全車がそうだったとは言い切れません。デジ青では2018年10月3日の〝羽村さんが遺したアルバムから<5>〟に、昭和26年撮影の302と535の写真があります。

    • 紫の1863さま、早速の御教示有難うございます。301号正面のクローズアップで、様子がよく判りました。前照灯には頑丈なガードも付いていたのですね。その上が補助灯なら、非常に珍しいように思います。添付の321号は、高松吉太郎氏が戦前、壬生車庫で撮影されたものですが、これにも付いています。そんな昔から、補助灯を装備した路面電車があったとは、俄かに信じ難いのだが、『何か』が付いていたことは、写真から間違いないところですね。

      • この300型は、正面窓下の「丸」は4つですね。なるほど、ダブルポールの時代、リトリバーも2つ必要だったこと分かりました。

  9. 宮崎繁幹様
    紫の1863様
    300型の正面窓下の円形物体について、そのヒントとなるカラー写真がありました。沖中忠順さんの「京都市電が走った街今昔」の裏表紙です。七条木屋町付近の今昔を対比した組み写真ですが、ここにも300型が写っていました。くだんの物件は「赤い」のです。やはり、これは尾灯を兼ねた補助灯ではないでしょうか。これは高橋弘さんのカラーも、ヒギンズさんのカラーも、同様の「赤」でした。

    • なるほど、尾灯ですか! カラーの確認をしておりませんでした。ヒギンズさんの写真集を見て納得です。
      200・300・500にあって、600以降にない理由も理解できました。そうか、赤いガラスがハマってましたか・・・。

    • カラー写真の威力は大きいですね! 有難うございました。しかしこう云う灯火の配置は、他では見たことが無いように思います。京都市電の一部だけかもしれません。

  10. カラーの300形の写真を拝見し、もうひとつ気がきました。単車も最後に残った車は、ビューゲル装備に間に合ったのですね。数年間の筈ですが、珍しいと思いました。色々と教えて頂いたので、200・300形が出ているお礼を兼ねて絵葉書をお目にかけましょう。市電が写っている京都の絵葉書で、最もよくお目にかかる場所は四條大橋でしょう。2枚あるので、連投致します。先ずは下流側からのもの。架線が複線架空式だから、戦前。左側の車輌は辛うじて259号と車番が読めるが、右側のは読めない。両車とも、件の標識灯付です。菊水ビルと南座は今もあるのに、市電と京阪は消えてしまったなぁ、などと思いながら見ていたら。橋上の街灯(?)に気づいた。こんなの今もあったかなと思い2枚目と比べたら、なんと橋も掛け変わっていました!

    • 宮崎繁幹さま
      四条大橋の絵葉書、楽しませてもらいました。市電は、例の標識灯つきです。お書きのように、菊水ビルと南座の建築物は今でもあるのに、市電と京阪の鉄道はもう見られないのですね。撮影場所は、いまの東華菜館ですが、ここは昔も今も、撮影の名所でした。下の写真は、沖中忠順さんの撮影、昭和30年代の京阪特急と京都市電です。

  11. 2枚目の上流側からのものは戦後撮影で、架線が単線になっています。京阪の踏切には、進駐軍の命令で建植されたX型の踏切標識があるのでも判ります。走っているのは、326号。これも標識灯付きでした。2枚の絵葉書の電車は、何れも系統板を掲出していない。偶々なのか、使っていない時期もあったのだろうか。色々なことを考えながら、昔の絵葉書を見るのは。面白いものです。

  12. 300形の話題になっていますが、九条車庫では、「17」の他「8」にもよく入っており、「7」で乗った記憶もあります。
    また、廃車体は、建仁寺の他、外大のグランド、嵯峨釈迦堂近くの広場でも見ました。廃車体には興味が無かったので、撮影はしていませんが、僅かに、奈良線、木幡駅前にあった「349」と九条車庫で物置として使用されていた、番号不明車を撮影しています。
    1963年12月3日撮影、木幡駅前の349です。

  13. こちらは、1970年4月5日撮影の九条車庫の廃車体です。
    大西顧問はじめ鉄道友の会京都支部の幹部の方が交通客に保存要請をしていましたが、程なく解体されてしまいました。

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