長春(新京)の旧塩江温泉鉄道気動車

いささかも年齢を感じさせず、世界を縦横無尽に駆け巡り、只管列車を追いかけ、美食を求め、ビールを喰らい続ける”ぶんしゅう”氏のエネルギーと胃袋には端倪すべからずというか、感嘆するほかはない。近年さっぱりやる気を失い、指折り余命を数えるだけの小生にとってはこの世の話とも思えないが、彼氏の爪の垢を頂戴し煎じて服用すれば、いささかなりともあやかれるのだろうか。

で、6月2日アップの長春(新京)その2には、2005年訪問時展示されていた旧新京の路面電車写真が4枚掲載されている。その左下は、まさしく四国讃岐は塩江温泉鉄道の、旧ガソリンカーであるから、覇気生気を失った老人とて、黙っているわけには参らないではないか。

川崎車両英文カタログ掲載の塩江温泉鉄道ガソリンカー 車内がやったら長く見えるのは超広角レンズ撮影のため

これは我国標準軌間鉄軌道として唯一の非電化で、琴平電鉄仏生山から分岐し、塩江温泉まで16.25km。高松から専用貨車を、事平電鉄に併結し、自社線は瓦斯倫機関車で牽引直通する目的で標準軌間を採用した。しかしその後トラックと競争にならないとして、旅客専業で1929年11月12日開業。車両は終始半鋼片ボギーガソリンカー5両のみであった。

川崎車両がガソリンカー第一作として受注したが、先発の日車に負けてなるものかと、欧州風の車体、前後を絞った妻面1枚窓、側面は2個セットの窓の間(吹き寄せ)にも、細い嵌め殺し窓を設けるなど、他例のない構造・デザインである。少し前松井車両が中遠鉄道に2輌納品した木製・鋼板張り片ボギー車に追随した、我国ニ例目であった。

機関はブダDW-6、自重6.5トン、定員40(内座席20)人で、この点はほぼ問題はないが、日車との対抗意識が強すぎたか、極端とも言える軽量化設計とし、それが裏目に出て、購入側も納入側も手ひどい目に会うことになる。

納品が遅れ、ロクに試運転ができないままの開業で、何と輪心が車軸から抜け出すなど、聞いた事のない低次元な故障や不具合が続出。川車も必死で対応はしたのだが、散々な体たらくで、要は川車がガソリンカーでの無経験を無視し、自己技術を過信して突っ走ったためと思われる。

営業報告書には「故障頻発製造者川崎車両会社ノ熱心ナル修復アリシニモ拘ラス著シク運転状態ヲ乱シ大ニ人気ヲ阻害シタリ其ノ後拾壱月下旬ニ至リ漸ク故障原因ヲ発見修繕ニ努メタル結果無事平常運転ニ復スルヲ得タルモ時既ニ閑散季ニ入レリ」とある。

通常車両は1から納入されるものだが、この鉄道では3~5が早く、その3両で開業したようだ。1、2は数か月遅れているので、この間手直しをしたのであろう。価格も1両1万円と高価な車両だった。琴平電鉄に合わせ50分毎、一時25分毎と頻発したこともあるが、乗客は少なく、1938年5月1日琴平電鉄に併合。石油消費規正に対し代燃化もなされず、1941年5月11日廃止された。

ぶんしゅう氏の写真はこれから後で、車体をそのまま、ブリル単台車を装着して電車に化け、新京にデヴューした次第であった。

なおこの車両は両端が絞ってあるため、写真からは車体幅が極端に狭く見え、従前誰も確認しないまま「標準軌の軽便」だの、「車体巾は軌間より僅かに広いだけ」などと無責任に記され、信じ込まれていたが、現実の車体実幅は2,250mmである。また掲載英文カタログ記載軌間は1067mmとあるが、単なる間違いか、川車として何らかの思惑があったのかは不詳。

長春(新京)の旧塩江温泉鉄道気動車」への1件のフィードバック

  1. 湯口大先輩様、いつも旅日記をご覧いただきまして、ありがとうございます。
    今日は、クローバー会の役員会が佐竹先輩が開催されておられます「鉄道展、東北を旅して3」の会場で開催されました。終ってから、見にこられておりました会員の方々と夕食がてらの宴会となりました。準特急先輩も来られていまして、満州の撮影談義に盛り上がりました。
    それはそうとしまして、早速の塩江温泉鉄道の気動車のお話をいただきまして、ありがとうございます。しかし、自重6.5トンとは、軽すぎる車両だったのですね。廃止された1941年に電装されてそのまま大地に渡ることになったわけですね。5両全部なのでしょうか?
    また現地に行きました際には、走行写真があるのか、終戦後の状況についても文献を探してみます。

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