丹波橋での近鉄奈良電

京阪三条から奈良電が発着し、奈良電京都で近鉄電車が見られたのは何時までだったか。関センセの第200回目を見て、この老人もネガを探す気になったが、根気が続かず3コマ、それも丹波橋での写真だけで。ドアエンジンのない木製3扉車3輌連結では、車掌が駅ごとに8か所(前頭だけは運転手がする)の扉を施錠して回らねばならない。雨の日など見ていて気の毒だったが、何か特別な(天候)手当でもあったのだろうか。京阪でも木製車3連は天満橋で見た記憶があるが、三条口ではなかったと思う。まあのんびりした時代ではあった。撮影は1955年11月6日である。その後奈良電気鉄道は完全に近鉄に吸収されて近畿日本鉄道京都線になり、丹波橋の連絡線が絶たれ、駅自体も別の場所になった。
奈良電気鉄道1020丹波橋1955.11.6a
近鉄木製車3連丹波橋1955.11.6a近鉄3連木製車丹波橋1955.11.6a

3 thoughts on “丹波橋での近鉄奈良電

  1. 京阪丹波橋駅への近鉄の乗り入れは1968年12月まででした。(近鉄の昇圧と京阪のATS設置導入が乗り入れを止めた理由)
    私は京阪車(主に500系の3連)で近鉄京都駅まで竹田や東寺に停まりながら運転した記憶はあります。
    (沿線はずっと田圃と畑ばかりでした)
    最後の頃の運行形態は、近鉄が近鉄奈良~京阪三条の急行、京阪が京阪宇治~近鉄京都の普通であったと思います。
    68年の10月に近鉄京都発枚方公園行の臨時急行(1000系3連だったと思います)の運行があり(枚方パークが菊人形で全盛の頃)その運転を担当したこともありました。
    その頃は(今と違い、相互乗り入れも全国的にあまり例がなかったからなのか)乗務員は交代せずそのまま他社線に入っていたのではないかと・・・!?
    (今のような複雑な装置や設備もなく、信号さえチャンと視ていればどこへでも行けた!? 私も特別に近鉄の運転規則を習った覚えはない)
    丹波橋駅は平面交差で京阪の信号係が操作するものですから、当然のことながら、京阪車を優先させ近鉄車を待たせることが多々あったようで、待たされた近鉄車の運転士が信号操作所を通るときに、嫌がらせの警笛を大きく鳴らしていったことがよくあったと聞いた記憶があります。

  2. 湯口 徹様
    いつも貴重な記録、それも当時の生活のにじみ出た懐かしい写真有難うございます。最近はご出演が少ないようで寂しく思っていましただけに今回の丹波橋は嬉しく思います。私があのあたりで撮り始めた湯口様写真の10年後には木造車は消えておりましたが、それでもまだ近鉄京都線と京阪電車がそれぞれ乗り入れを行っており、竹田あたりで京阪の1000や1800を、鴨川沿いで近鉄820等を撮ったことがあります。電車の扉を車掌が手で開けるという話は車両近代化の遅れていた関東でも聞いたことがありますが、見たことはありません。何れにしましてもお宝写真はまたお願いしたいと思います。

  3. 湖畔のヒマ人様 準特急様
    京都駅~枚方公園間の菊人形臨時があったのですか。理屈の上ではあっても不思議でもなんでもありませんが、実際に設定されていたとは驚きです。また1800も入っていたとは知りませんでした。500か1000だけかと思っていました。よくそんな上等車を入れたものですね。末期はただ乗り入れているというだけで、表現は悪いですがどうでもいい車が使用されていたという印象がありましたから。
    末期といえば近鉄車の三条乗り入れは720+820の2連の「準急」だったと思います。京阪線内が急行扱いで近鉄線内は各停だったように記憶します。旧三条駅鴨川寄りの4番線にチョコンと停まっていたのが懐かしいですね。
    木津川へ泳ぎに行った帰りに、丹波橋ではよく待たされましたね。子供心に、時刻はちゃんとダイヤで決まっているはずなのに、奈良電が遅れたのかどうかわからないものの、どうなっているんだろうと思ったことでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください