名古屋市電800型 投稿日時: 2013年5月21日 投稿者: 米手作市 投稿前に「今週は名古屋市電800型」とバラされたのは初めてです! 今日は早朝から松阪まで出張したので一日遅れの投稿になりました。 帰りの近鉄特急の中で、隣に座ったおばちゃんが通路をはさんだ友達のおばちゃんに話していました。おばちゃん達は榛原から来たようです。 「駅でキップを買うとき、京都までと言うと八木で乗り換えてと言われたから直通があるやないの!と言ったらなくなりましたと言われたわ、サービスわるなったなぁ」とぼやいていました。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 関連記事がありません。
関センセは両軸モーターで両台車を駆動としか書いておられないが、NSL車の駆動はウォームギヤであった。模型での概念から、ウォームギヤは逆回しができないとの思い込みがあろうが、それはウォームの条溝が1本か2本だからで、4本以上あれば、効率は良くないが逆回しはできる。逆に巻き上げ機やジャッキのように、逆回転してはいけないものは、1条のウォームを使う。 狭い場所で90度回転方向が代えられ、しかも大きなギヤ比が取れるとあって、初期の特に米国製貨物自動車が多く採用し、我が国では丸山車輌の丸山式自働客車の全部が6対31のウォーム駆動であった。西大寺鉄道キハ1~5(梅鉢製)も然り。通常歯車にはニッケルクローム等(鋳鋼もあるが)の硬い金属を使うのに対し、ウォームの場合はマンガンブロンズ(砲金)等の軟らかい金属を用い、粉末状に摩耗するため、ウォームは長らく「やや耐久性のある消耗品」であった。ホイールの方には通常の硬い金属を使う。 戦後では高精度工作機械の出現で、ウォームは高性能歯車の仲間入りしたが、その分高価にもなった。戦前ではごく安い歯車だったのである。 NSL車は床下中央の、トロリーバス用100kW両軸モーターから、自動車用プロペラシャフトとユニバーサルジョイントを経て、両台車内側軸を乗り越し、外側軸をカルダン駆動しており、ウォームのギヤ比は1対8というから、4対32か8対64かであろう。トロバスにも結構使われていた。 ブレーキも通常の車輪踏面にシューを押し付けるものではなく、自動車やトロバス用ライニングブレーキ(センターブレーキだったのではないか)流用であった。車体側板も関センセお書きのように0.8mmと薄く、リブで保たせていた。801~812の12両が製造されたが、それっきり。その後同様な車輌が計画されたこともなく、一発勝負で終わってしまった。いまでは思い出す人も殆ど居られまい。 返信 ↓
名古屋市電800型は乗りに行きましたね。高校生の頃だったと記憶しております。TMS誌401集だったか「車体床下中央にトロバスのモーターを垂下し、ウォームギヤによる乗越しカルダン駆動車云々」の記述があり、ウォームギヤで惰行運転は出来るのかという疑問のもと出かけた次第。 記憶も曖昧の元に記述すれば、運転席を覗くに、お~!ワンハンドル車。運転席中央に在って、両膝で挟む形であった。主幹制御器のハンドルは12時の位置が切。ノブは運転手側に在り、時計方向に回すと力行、反時計方向が制動となる。滑らかな加減速に感激。3扉車であったが中央は乗車専用であり2人乗務であった。先駆過ぎて、評価されない事例だったかも。 連接車にも乗車したが、乗り心地が悪く、速度も出なかった。勿論3人乗務であった。 返信 ↓
このおばあちゃん、榛原からどこへ行ったのでしょうか。榛原停車の特急があったようですが、京都線から伊勢に行く特急が榛原停車ではなかったように思います。特急は京都-八木間で長年乗っていました。ここ3年、田舎へ墓参りに帰っていません。今年の盆には帰るつもりです。待っている親族に今年の土産は「鴨のみたらしだんご」ではなく、上賀茂の「神馬堂・焼餅」にしようと思っています。 返信 ↓
ご心配ありがとうございます。前日午前中に電話して、翌日の開店時刻確認の上、10ケ3包みとかお願いしますと、午前中は待っていてくれます。これは過去2回うまくいきましたが、今はどうだか。でも開店を確かめて10時までに行けば大丈夫と思いますよ。観光シーズン外せば過去は大丈夫でした。 返信 ↓
関センセは両軸モーターで両台車を駆動としか書いておられないが、NSL車の駆動はウォームギヤであった。模型での概念から、ウォームギヤは逆回しができないとの思い込みがあろうが、それはウォームの条溝が1本か2本だからで、4本以上あれば、効率は良くないが逆回しはできる。逆に巻き上げ機やジャッキのように、逆回転してはいけないものは、1条のウォームを使う。
狭い場所で90度回転方向が代えられ、しかも大きなギヤ比が取れるとあって、初期の特に米国製貨物自動車が多く採用し、我が国では丸山車輌の丸山式自働客車の全部が6対31のウォーム駆動であった。西大寺鉄道キハ1~5(梅鉢製)も然り。通常歯車にはニッケルクローム等(鋳鋼もあるが)の硬い金属を使うのに対し、ウォームの場合はマンガンブロンズ(砲金)等の軟らかい金属を用い、粉末状に摩耗するため、ウォームは長らく「やや耐久性のある消耗品」であった。ホイールの方には通常の硬い金属を使う。
戦後では高精度工作機械の出現で、ウォームは高性能歯車の仲間入りしたが、その分高価にもなった。戦前ではごく安い歯車だったのである。
NSL車は床下中央の、トロリーバス用100kW両軸モーターから、自動車用プロペラシャフトとユニバーサルジョイントを経て、両台車内側軸を乗り越し、外側軸をカルダン駆動しており、ウォームのギヤ比は1対8というから、4対32か8対64かであろう。トロバスにも結構使われていた。
ブレーキも通常の車輪踏面にシューを押し付けるものではなく、自動車やトロバス用ライニングブレーキ(センターブレーキだったのではないか)流用であった。車体側板も関センセお書きのように0.8mmと薄く、リブで保たせていた。801~812の12両が製造されたが、それっきり。その後同様な車輌が計画されたこともなく、一発勝負で終わってしまった。いまでは思い出す人も殆ど居られまい。
名古屋市電800型は乗りに行きましたね。高校生の頃だったと記憶しております。TMS誌401集だったか「車体床下中央にトロバスのモーターを垂下し、ウォームギヤによる乗越しカルダン駆動車云々」の記述があり、ウォームギヤで惰行運転は出来るのかという疑問のもと出かけた次第。
記憶も曖昧の元に記述すれば、運転席を覗くに、お~!ワンハンドル車。運転席中央に在って、両膝で挟む形であった。主幹制御器のハンドルは12時の位置が切。ノブは運転手側に在り、時計方向に回すと力行、反時計方向が制動となる。滑らかな加減速に感激。3扉車であったが中央は乗車専用であり2人乗務であった。先駆過ぎて、評価されない事例だったかも。
連接車にも乗車したが、乗り心地が悪く、速度も出なかった。勿論3人乗務であった。
このおばあちゃん、榛原からどこへ行ったのでしょうか。榛原停車の特急があったようですが、京都線から伊勢に行く特急が榛原停車ではなかったように思います。特急は京都-八木間で長年乗っていました。ここ3年、田舎へ墓参りに帰っていません。今年の盆には帰るつもりです。待っている親族に今年の土産は「鴨のみたらしだんご」ではなく、上賀茂の「神馬堂・焼餅」にしようと思っています。
神馬堂の焼き餅は午前中に行かないと売り切れで店も閉まってしまいます。乙訓からではムリ?
ご心配ありがとうございます。前日午前中に電話して、翌日の開店時刻確認の上、10ケ3包みとかお願いしますと、午前中は待っていてくれます。これは過去2回うまくいきましたが、今はどうだか。でも開店を確かめて10時までに行けば大丈夫と思いますよ。観光シーズン外せば過去は大丈夫でした。