総本家青信号特派員様のおかげで幼い頃の南海電車を思い出しました。加太線ではありませんが、よく祖母と一緒に学文路にいった時のことです。難波より緑の電車に乗って行ったのです。森林鉄道みたいな紀見峠越えを緑の森の中を緑の電車がくねくねと走っていったのをはっきりと覚えているのです。私の場合は南海電車といえは高野線でした。そして少しばかりの写真を。
まず、最初に緑の電車です。鉄道友の会に入っていた時に千代田車庫見学会に撮ったものです。ポジカラーですが保管が悪く、カビだらけになってやっとデジタル処理で何とか見れるようにしました。色は少し悪いですが緑の電車の雰囲気があると思います。
次は1974年8月に高野線極楽橋駅で降りて、紀伊神谷駅まで歩いて行った時の写真です。難波駅より乗ったのですが、極楽橋で降りる人は私一人でした。川沿いに歩いて紀伊神谷までとぼとぼと歩いて行ったのです。途中に民家があり、大阪の近くでこんなところがあるのかと思った次第です。
まず、南海難波駅から。懐かしいドーム屋根の駅です。
次は紀伊神谷へ行く途中で山間を走る南海電車を撮ったものです。電車が走る下側にかやぶきの民家が見えます。
さらに歩いて川沿いに下っていき、地図によると一旦、川のところまで下りて橋を渡り、登っていくと紀伊神谷駅があるはずです。道は車の走る道でなく人一人が通る登山道のような道です。ひぃーこら、ひぃーこら登ってやっと紀伊神谷駅です。うっそうとした森の中にぽつんとある駅でまわりは何もありません。駅前に少し広い道があって離れたところにある集落につながっているようでした。
今は、秘境駅として訪れる人がいるようですが、39年前頃はわざわざ極楽橋駅より歩いて紀伊神谷へ行くような物好きはいなかったのではないかと思います。最近知ったのですが紀伊神谷駅は極楽橋駅まで開通するまでここが終点であったそうです。それと、あっそうそう村田式台車を設計した村田利之助氏は昭和になってから高野登山索道株式会社の技師長をしていたそうです。面白いものです。
カラー写真の方はステンレス車のトップの6000系が写っているから昭和40年頃でしょうか。
私は当時、浜寺公園でしたので、天下茶屋付近より難波への並走する区間で、銀色の電車に見とれていました。
オールグリーンに窓枠がニス色の鋼製車たちの雰囲気は、本当に懐かしいですね。
平野線が廃止になる時に阪堺線の205型を写していますが、同じ色の組み合わせは、南海オリジナルであったのだと、気が付きました。
大事な思い出だと思います。
K.H.生様 コメントありがとうございます。以前に阪堺電車の「電車まつり」に行った時に濃い緑の車体にニス塗りの窓枠の電車を見て“あっ、南海電車や”と思ってしまいました。ニス塗りの窓枠の電車は阪急電車もそうでした。他にもあると思いますが、色の組み合わせが映えてなかなか美しいものと思っています。車体の色の組み合わせはなぜか昔の国鉄色や私鉄の電車に美しく感じるのは年のせいでしょうか。