阪急51型」への3件のフィードバック

  1. 米手作市様
    阪急51形は能勢電では走っていなかったと思います。この電車は高齢者の私でも現車を確認しておりません。と申しますのは1953年から56年にかけて51形の鋼体化が行われ、できたのが610形です。実際の話はもう少しややこしいです。610形を製造するのに際し、51形のモーターや台車を500形に譲り、捻出された500形のモーターと台車を610形に付け替えました。従いまして51形のモーターと台車は500形に付けられて能勢電を走ったことになります。なお、610形も能勢電に譲渡されて走っていました。また、51形の譲渡された先には和歌山電気軌道、水間鉄道、栗原電鉄等があります。51→500→610のモーター、台車の流れの概要ですが、全車が全車当てはまらないのがややこしいです。

  2. 準特急様、
    ご教示、感謝します。なにせ、阪急の、それも能勢電となると何のことか皆目分かりません。
    さすがは阪急の回し者、いや研究家、甲を脱ぎます。しかし、なにやらダブルルーフの電車が走っていたように思いますが・・・

  3. 横から茶々を入れますが、阪急51型で前面卵型は51~62号の1ダースであったと記憶しています。これらの中から和歌山、水間、栗原に送られたものはありません。栗原に送られたのは63型と言っていた正面3窓のもの2両です。京阪神81,86号となっていますが、ナニワ工機で鋼体化の抜け殻を改修した物で、台車やモーターの流れは引きずっておりません。京阪神急行は広軌であり、和歌山、水間、栗原は狭軌です。能勢電でダブルというのは新京阪デロ一党の事ではないかと思います。これらの記録は哲男君が一度投稿したように思いますが、再度投稿していただけば、思い出せるのではないでしょうか、準特急氏も素晴らしいデロ撮影シーンがある筈です。

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