あの桃山あたりのC58はどこで写したのだろうか。

 西村さんが「宮城県下の保存C58」の最後に「私にとってのC58は、かつて伏見に住んでいたとき桃山あたりで撮っていた奈良線のC58が最も印象深く、今は亡きS氏とともになつかしくよみがえります。」というところを読んで、思い出したのが、あの私の迷?作である唯一の奈良線C58の写真です。たぶん、毎年学館で行われる恒例「鉄道写真展」に出展したと思います。題して「父ちゃんのポーが聞こえる」であります。この写真の題名は、いまだに治療方法が確立されていない難病ハンチントン病にかかった少女の詩集を出版され、それを映画化された詩集と同名の映画からつけたものです。私は見いていないのですが、1971年東宝で制作され主演は機関士役に小林桂樹さん、少女役は吉沢京子さんという映画です。私の撮った写真も1971年9月に撮影しています。だからこのような題名をつけたのだと思います。その写真というのは

奈良線001

 

 ご覧のようにカメラらしきものを持った女の子が機関車の方に手を挙げています。よく見ると機関士も手を挙げているのが見えます。撮影していた時はわからなかったのですが印画紙に焼いてみると、このように写っていました。その部分を拡大すると

 このように写っているとは思っていませんでした。ところで奈良線のC58はこの時に撮ったものがもう2枚あって、これと3枚しかありません。実を言うと当時の模型班の人に誘われて西村さん宅に行って、そこで奈良線のC58を撮りに行こうということになってみんなでブラブラといったということです。その時、亡きSさんも一緒でした。みんなでかたまって撮っていると、私が前にいたので「もっと低くなってくれ。」ということで、写真に写っている側溝に入ってかがみこんで撮ったことを思い出しました。私の背後には西村さんをはじめ、Sさんも数人いたのでポジションが違いますが同じような写真を撮っていると思います。西村さんもここで撮った写真があると思います。それとこの時に「伏見軽便鉄道」からHOn3ゲージ用の車輪と作りかけの荷物車のボディーと真鍮製小型電機のボディー(これは未塗装であるが動力化して唯一の電機として時々アーモンドチョコレート貨車を牽引)を無償払い下げられたのです。(今だ廃棄せずに保存中)

 ところでこれを撮った場所がはっきりわからなかったので、京都へ行くときには奈良線で右側に座ってどこか探していたのですが、やっと見つけました。それは桃山駅から京都側の踏切から東側の線路沿いにある道のどこかで撮ったのではないかと思っています。(多分間違いないと思いますが)今回のEVEの時に大津の86さんと待ち合わせて、ここに寄ってから行こうとしたのですが、不覚にも私が風邪を引いておじゃんとなりました。いまだに行っていません。しかし、ぜひ行ってみいたいのでそのうちに行くこととなるでしょう。最後に残りの2枚の写真を。

これにておしまい。

あの桃山あたりのC58はどこで写したのだろうか。」への5件のフィードバック

  1. どですかでん殿
    いやー驚きました。なつかしい桃山のC58が出てくるとは!この3枚の写真を時系列で並べると まず2枚目のC58240がバックで牽く貨物列車を右側面から写したもの、その次がC58352の単機回送、そして3枚目がバックのC58240牽く「父ちゃんのポーが聞こえる」の順番の筈です。お気づきでしょうか、同じ日にC58240がバックで牽く貨物列車を右側面と左側面の2コマ撮影しています。まさか線路を横切って反対側からも写したという筈もありません。謎解きをしましょう。2枚の撮影場所が違うのです。この貨物列車は桃山駅発16:00の奈良線上り694レ梅小路行きです。この694レは桃山駅で20分ほど停車します。最初のコマは桃山・木幡間の京阪桃山南口駅から明治天皇陵の方へ向う道と奈良線がオーバークロスする築堤です。まずここで15:30頃にC58240の694レを写したあと 桃山駅北方へ移動し丹波橋通りの山手の踏切から北側の築堤で16:00発の694レを再度写した筈です。ところがこの日はその前に下りの単機回送C58352がやってきたようです。この単回は8631レという臨時列車のスジで 毎日走っているスジではありませんでした。私にとってはまだ謎があるのですが、通常694レはバック運転ではないのですが、なぜこの日はバックだったのか不思議です。さて20分程度の停車時間を利用して、桃山駅の南と北で同じ列車を2度写せるかというと 2地点間の距離からして歩いていたのではとても間にあいません。多分我が家のクルマ(サニー1000)にみんなで乗って移動したのではと思われます。どですかでんさん、Sさんのほかに誰が一緒だったのか全く覚えがありません。まして真鍮製小型電機云々は記憶のかなたです。ところで「父ちゃんのポー」は確かに私も同じアングルで写していますが、私の写真には少女が写っていません。私は縦位置なので写っていないのか これも不思議です。この場所はSさんとよく撮影した場所で 2人の間では「小築堤」と呼んでいた場所です。今も築堤の両側に道があると思います。なつかしい写真をありがとうございました。それにしても どですかでんさんとは今だに何やかやとつながっていますネ。

    • 西村雅幸様 最後の2枚がどこで撮ったかわかりませんでした。女の子が写っている場所ではないと思っていましたが、現在の桃山駅と六地蔵駅の間のところとわかってうれしく思っています。奈良線で宇治から京都までの間で乗っていていいなあと思うのは宇治川を渡るところと、桃山駅の手前のうっそうとした木々の間を少し高いところを走っているところです。桃山駅近くではこの辺で写真が撮れないかと思っていました。とにかく一度桃山駅周辺に行ってみたいと思っています。鉄道以外にもなにか面白そうなものがありそうな所みたいで探検でもやってみようかと思っています。ところで、備後、備中の旅はもう少し井笠にとどまるような感じです。年内には井笠から離れることができそうですがどうなることやら。

  2. どですかでん様
    名作ですね。組み写真の定義がよくわかりまでんが、これは組み写真ではなく分解写真ですね。それにしても少女と機関士が手を振っている心暖まるいい雰囲気を感じます。こうなったら何型がどうこういう問題ではありません。元京阪電車を運転された湖畔の暇人さん(正式名を忘れて申し訳ありません)が宇治線の電車の警笛を鳴らしたら併走する蒸機(多分C58)の機関士も汽笛を鳴らして反応してくれたという話も面白かったですがこれも奈良線でした。私も奈良線のC58は1枚だけ築堤を行く姿を撮っておりますが、凡作であります。どですかでんさんの作品は写真のみならず文章からも楽しい雰囲気が伝わります。更なる投稿をお待ち申し上げております。

    • 準特急様 コメントありがとうございます。手を振っている女の子と機関士さんの写真は組写真ではなく、おっしゃる通り、拡大分解写真です。その当時にキャビネ印画紙に焼き付けた写真があり、見てみますと機関士が振っている手が小さいですが、はっきりと見えます。どうもスキャナーでは限界を感じてしまいます。今は西村さんといった備後、備中の旅に関して3回目をまとめようとしているのですが、なかなかすすみません。年内に3回目がアップしそうですが、保障の限りではありません。ちょっと厄介な内容になりそうですが。

  3. 当時桃山と稲荷の間に住んでいた者です。
    4時汽車としてあの地区沿線でしたしまれた694レは1971年9月15日からC58最終(定期列車無煙化)の9月30日までの約2週間だけ バック運転でした。このころC58240は特によく充当されていました。
    これは9月15日から昼の荷物列車がDE10に早期置き換えとなり、宇治発694レの前の運用が変わったからです。
    奈良線で逆単はたしかにめずらしいです。京都向きの団体臨など引き、客車をEF58等に継いだあと、梅小路で転向せず京都駅で折り返したのかもしれません。私は1970年ころ桃山駅を逆単で通過して木津方へ走り去るC576(和歌山所属)を見たことがあります。私が奈良線桃山付近で逆単を見たのはこのC576が唯一です。

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