国鉄阪和線クハ6210に寄せて

モタ3000→モハ2250 → モハ20100番代に続いてクタ600→クハ6210→登場した。

関 三平氏は阪和形について詳細までご存じで、クハ6210がモカ2001→モニ3200と組んで荷電代用であったこともきちんと把握されておられる。
記録によれば期間は昭和25年7月13日~28年3月3日となっている。

グリーンとクリームの阪和特急・急行色に塗り替えられた時期は昭和31年と記されているが、もう少し詳しく見ると下記のようである。

ライバルの南海電鉄に対抗すべく70系が投入された。しかし南海は平行カルダン駆動に対し、旧態依然の吊掛式、ゆったり転換クロスシートに対し、シートピッチの狭い直角クロスシートと見劣りはしたが、利用者には好評であった。

最初に投入されたのは次の3編成である。
クハ76073+モハ70069+モハ70070+クハ76072 (31.11.30到着、31.12. 9使用開始)
クハ76075+モハ70071+モハ70072+クハ76074 (31.12. 1到着、31.12 .8使用開始)
クハ76077+モハ70073+モハ70074+クハ76076 (31.12. 9到着、31.12.14使用開始)

翌32年2月から理由は定かではないが、1両ずつ工場入りすることになったため、モハ61001とクハ6210が阪和特急・急行色に塗り替えられ入場車の穴埋めに連結された。

クハ6210は、南海と合併後の昭和17年11月クタ600形(601~605)として日本車輌で5両新製された。
スタイルは南海タイプとなり、窓配置はモハ1201形と同じd3D8D3dであった。

戦後、片運化、制御器の省形化、連結器の密連化、3扉化、運転室の拡幅工事が実施されたが、昭和42年から43年にかけて国鉄標準形20m車に統一により廃車になった。

車号の変遷等は下記の通りである。

買収時の車号      S28.6.1改番 S34.12.22改番 廃車   (3扉化)   
クタ601(17.11日車)→クハ6210→クハ25200 43.3.28 (32.3.14)
クタ602(17.11日車)→クハ6211→クハ25201 43.2.23 (32.4.2)
クタ603(17.11日車)→クハ6212→クハ25202 42.5.23 (32.11.20)
クタ604(17.11日車)→クハ6213→クハ25203 42.5.12 (32.8.17)
クタ605(17.11日車)→クハ6214→クハ25204 42.4.8 (33.3.31)

クハ25200~25202の画像を貼り付けたが、佐竹先輩が執筆されたネコパブ社発行「私鉄買収国電」のP145~P148に全車両の写真が掲載されているのでご覧いただきたい。

クハ25200/ (41-5-27) 鳳
本来2扉車としてバランスよく設計された車両に無理に扉を増設したため、バランスの悪いスタイルになった。
関さんのイラストの車両の晩年の姿である。扉増設後も暫く特急・急行色であった。
25200 41-5-27

クハ25201/ (41-5-27) 鳳
25201 41-5-27

クハ25202/ (39-11-10) 天王寺
25202 39-11-10

【参考1】同時期の南海電鉄の車両

モハ1234 / (45-5-27) 貝塚
昭和14年木南車両製、窓配置は同じであるが車長は少し短い。
南海1234 45-5-24

モハ2014 / (44-3-2) 天下茶屋
昭和11年日本車輌製、扉間の窓が1枚多く9枚で車長は20mである。
南海2014 44-3-2

【参考2】70系と他形式の混結
関氏のイラストのような70系と他形式の混結は、常時とまでもいかないが、たまに見かけた。

クハ55+クモハ60+70系4連の快速/(47-8-6) 山中渓~紀伊
43年10月のダイヤ改正で103系6連が4本投入され、快速は原則103系による運用になった。
セミクロスからオールロングシート、トイレ無しはサービス上如何なものかと思ったが、車両は新しくなった。
時折画像のような70系と他形式の混結6連が見られた。
623-181.HanwaLDkaisoku.forWaka.76.70.70.76.60.55oto.72.8.6Yamanaka-Kii[1]

クハ76+モハ72+モハ70+クハ76/(48-11-18) 杉本町
先頭車はクハ76308であるが2両目に4扉のモハ72が連結されている。モハ70の調子が悪くなり急遽予備車のモハ72と交換したのであろう。
76-72-70-76 48-11-18

国鉄阪和線クハ6210に寄せて」への3件のフィードバック

  1. 非常に懐かしい写真です。このような写真をどしどし掲載して戴ければ幸いです。有難う御座いました。

  2. 阪和の601号が国電のクハ25200になっていたなど知らなかった。天王寺駅で兄が撮ったものを「関西の鉄道」誌18号:昭和63年1月20日発行で藤井信夫さんに採用してもらっている。
    撮影日が昭和25年9月23日となっているが、この日は小学校6年の時で、雨の中を大阪の電車見物に連れて行ってくれたのだ。この頃の兄は日曜学校の教師をしていたので彼岸の日しか自由にならなかった。ところが三好さんから貫通路枠が吹田工場型だから昭和26年ではないかと、ハガキを貰った。それはそれとして、なぜ兄がこの車を撮ったかと言うと、屋根正面曲線部にベンチレーターがあったので【京阪1000型といっしょや】と弟が叫んだので1枚撮ってくれたのであった。兄はこの時同志社大学2回生であった。
    関心ある方ご覧ください。ポジは藤井氏へ、フィルムは行方不明となった。

  3. 檜垣 禮司様

    「昭和の電車」で、私が知っている電車が掲載された時は、可能な限り補足するように心掛けています。

    私自身「昭和の電車」がどのような展開になるのか楽しみにしており、ご期待に沿えるように頑張りたいと思います。

    乙訓の長老様

    コメント有難うございます。

    お兄様が昭和25年9月に撮影されていたとは凄いです。
    早速「関西の鉄道」18号誌を探し出して確認しようと思ったのですが、まだ見つかっていません。
    撮影された時期は、モニ3200と組んで荷電代用の時で貴重な記録です。

    関 三平氏が、南海形の故、注目度の低かったクタ600形を取り上げられたこと、長老様より貴重なコメントをいただけたことに対し大変嬉しく思っています。

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