コンヤの電車

あと10数月で傘寿がやってくるが、目出度いこと何ぞかけらも、なぁんにもない。ただ身辺整理を周りから責め立てられている。整理をしたって万が一にもへそくりや金の延べ棒が発掘されるはずもないのに。ふと見たネガの中に、綺麗に忘れていたトルコはコンヤの路面電車があった。トルコならイスタンブールの旧市街古典2軸電車が有名で、ぶんしゅう氏もアップしていた観光資源である。これは珍しくも何ともない、ごく当たり前でどこにでもある路面電車で、ただ従来あんまり出てこない(はず)というだけ。現像がイエローカメラなる、今はない安いのが取り柄のラボチェーンだったから、20年間での退色も激しい。まあ辛抱してご笑覧あれ。コンクリートの錘での架線緊張装置が右に見える。撮影は1995年9月17日、下は同行我が家の実力者(ヨメ様)による。

トルココンヤ1995.9.17小サイズ トルコのコンヤ1995.9サイズ小

 

3 thoughts on “コンヤの電車

  1. 準特急様の会社の4年後輩のクモハ73106東ウラです。コンヤの1995年の写真ありがとうございます。私も、湯口様の16年後、2011年8月に妻とのトルコ旅行の際に、市内や宿泊した郊外のホテル近くで撮影しました。カラーリングこそ若干変更されているようですが、大きなパンタグラフ等1995年とあまり変わらない姿でした。写真は、準特急様及びぶんしゅう様宛メールでお届けしましたので、ご覧いただける機会があるかと思います。

  2. 知らないところだけに先ず息子が置いて行った帝国書院高等社会科地図を探し出し、ルーペを持ち出しトルコ圏に当てる。アンカラ南方で直ぐに分かった。次いでPCサービスで該当地を打ち込み検索をクリックした。何でも2000年以上前の都で、老人が胡坐を搔いている長岡京以前に栄えた町のようだ。次いで日本路面電車同好会シュタットバーン15号を探し出した。末尾近い137ページを開き、「国名トルコ」の欄に、都市名のしんがりに「コニヤ」とある。以下羅列してみる。人口55万8千人、車両数41両、系統数2、路線長18.5km、系統長?、軌間1435mm、架線電圧?、開業年1992とある。これで大体の見当付けが出来た。こうした要目を20世紀末でもって、世界の営業路面電車を調べ挙げたグループのリーダーが「たかおか」さんなのである。実はお情けで写真提供者の一員で老人の名前も掲載されている。
    さて須磨の大人が掲載した車両はよく知られているドイツ・デュワグ社のタイプGT8(8軸車)である。1960年代初頭に登場した標準型だが、他社でもこの形式を名乗るものが多い。GT6(6軸)は同型である。1960年といえば日本では昭和35年、日本も戦後処理が落ち着き鉄道業界も戦後派が続々登場したときである。西ドイツでは連接車が路面電車の標準になり、焼け残った戦災車の叩き直し、混乱時期の旧設計車がうごめいているときに、押しなべてクリーム色に各都市毎の鮮やかな色の窓下ラインを纏った姿は新生ドイツの象徴であったのに違いない。各市で超低床車が投入され高床車が淘汰され、各地に流れ第2の車生を送るようになった。掲載して頂いたGT8はどこから越し入れて来たのか、「たかおか」さん、如何ですか!、

  3. 「たかおか」さん、SB15では「コニヤ」になっていましたが、地図では「コンヤ」となっていました。誤植なのですね。

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