1956年10月15日の参宮線大事故に関し、急行や準急など、通過する列車の乗務員に対して離合駅変更等の運行変更の指示はどうするのか、に関してメールを頂戴した。時間の余裕があれば通過駅で交換するタブレットのキャリアに変更指示書をつけて乗務員に知らせることもあろうが、間に合わなければ=大概は地上の信号機のみのこと。成程なるほど。
無線があろうとなかろうと、機関士、助手とも、信号機を必ず確認するのが建前なのだが、六軒駅は本来離合する松阪駅の隣りである。11分遅れてはいたが、まさか離合駅が一つ前の六軒駅に変更されていたとは思っていなかった―離合駅変更を乗務員は知らなかったわけで、信号機以外の手段がなく、それを無視した結果だったのである。無線のある現在なら、少なくとも事前に運行指令の変更指示が届くから、かような事故の発生率は希少になる。
今朝ピクトリアル65号を探し出した。理由は準客とあったからだ。次いで1954年10月号(石越で買ったJTB時刻表)を出してみた。準ではなく無印243レで快速だった。事故の年、夏休みに入るや母の納骨で宇陀郡宇太町へ、帰路は伊勢参り(実は電車見物)の後は伊勢海老快速で帰京している。その後の事故だけに翌年の墓参の時、田舎では話題になっていた。1954年10号では246レはなく、244レで高茶屋18:18発で、ここで243レは交換となっている。スカタンをコメントして冷汗かいたが、須磨さんに助けられた。その後、事故機があった時期に2,3度亀山を通っているのに全く気付かなかったのは、電車しか眼がない証であろう。
今日は【天理参考館】で南海太郎コト平芳資也君を偲んでくる。DRFCの諸氏よ、時間があれば天理まで足を伸ばしてほしい。