DRFC関東連絡網で犬伏氏が東野鉄道キハ20の模型を披露されたが、実物の資料が少ない中で、よく完成されたと思う。
東野鉄道は大正7年4月17日西那須野~黒羽間13.1キロを開業し、大正13年12月6日黒羽~那須小川間11.3キロを開業、更には水郡線の常陸大子まで延長する計画であったが、この区間は当初から乗客が少なく昭和14年6月1日に早々と廃止された。昭和43年12月6日西那須野~黒羽間を廃止し、社名を「東野交通」に改めた。宇都宮市と周辺地域を結ぶ路線を主体に、黒磯駅・那須塩原駅と那須温泉等を結ぶバス路線を運行しているが、ご多分に洩れずマイカーの増加により廃止された路線も多い。鉄道を利用すると大幅に迂回となる宇都宮~真岡・宇都宮~益子間と観光地を走る黒磯~那須温泉・那須岳ロープウェイ、黒磯~板室温泉等は比較的乗客が多いが、かつて頻繁に運行されていた宇都宮~烏山間、宇都宮~大田原間は廃止されている。鉄道の代替路線とも言うべき西那須野~黒羽間は1日7往復運行されている。また、那須山麓駅と那須頂上駅間を結ぶ全長812mのロープウェイを経営している。那須山麓駅は那須岳(茶臼岳)の7合目で、バスはここまで上がってくる。那須山頂駅は9合目に位置し、標高1915mの頂上までは足場の悪い登山道を1時間弱登らなければならない。山頂付近では今も盛んに蒸気と火山ガスが上がっており、活火山の様子を目の当たりに実感できるので、訪れる機会があれば是非山頂まで足を運んでいただきたい。
東野鉄道は現役時代昭和42年3月25日に1度だけ訪れており、その時撮影した画像をお目にかけたい。犬伏氏が製作されたキハ20はエンジンを降ろしてトレーラー化されハ31となっていた。東京に来てからは5度ばかり廃線跡を訪ねている。かつての黒羽駅舎はバスの事務所として使用され、室内には鉄道時代の写真が何枚か飾られていたが、今は取り壊されてスーパーマーケットが建てられている。
DC202
昭和36年5月津軽鉄道から譲り受けた昭和27年4月新潟鉄工所製の箱型機関車である。割に有名な機関車で模型での製品化もされている。僚機のDC201も昭和39年に東野入りし、2両が交替で貨物列車を牽引していた。
キハ501
昭和11年新潟鉄工所製で、ご覧のようにキハ41000形にキハ42000形の顔を取り付けたスタイルをしており、こちらも割合有名な車両である。JR五日市線の前身五日市鉄道キハ500形キハ501として誕生した車両である。五日市鉄道は昭和15年10月3日JR南武線の前身南武鉄道と合併、昭和19年4月1日戦時買収で国有化され、鉄道省五日市線となったが、所有者が代わっても改番されることなく一環してキハ501を名乗った。昭和24年9月に廃車後、東野鉄道に売却され、鉄道廃止まで活躍した。
五日市鉄道キハ500形のもう1両のキハ502は、昭和22年1月に廃車されたが、茨城交通に売却され、茨城線(赤塚~御前山間)で使用され、昭和46年2月11日同線の廃止により廃車となった。こちらは茨城交通売却後、称号が「キハ」が「ケハ」(ケは軽油の意味)となったが車号は一環して502を名乗っていた。
【参考】茨城交通茨城線ケハ502 上水戸(昭和45年3月14日)
キハ502
元国鉄キハ41008が前身、昭和8年日本車輛製。昭和24年9月国鉄時代に房総東線(現外房線)勝浦での事故による廃車後入線した。廃止後茨城交通に売却され、ケハ46となったが、昭和46年にエンジンを降ろしてハフ46となり、昭和55年に廃車となった。
【参考】茨城交通湊線ケハ46 那珂湊(昭和45年3月14日)
キハ503
元国鉄キハ048が前身、昭和8年新潟鐵工所製。キハ41020→キハ41202→キハ41302→キハ048と改番、昭和33年2月10日桐生区で廃車後入線した。
ハ30
元常総鉄道キハ13が前身、昭和5年日本車輛製で車体は極めて頑丈に作られていた。小さすぎて使い物にならなかったためか、早くも4年後に廃車となり東野鉄道に入線した。昭和23年にエンジンを下ろして客車化されハ30となった。
ハ31
犬伏氏が作られたキハ20の客車化後の姿である。昭和11年日本車輛でキハ20として新製。昭和39年にエンジンを下ろしてハ31となった。
ハ32・33
昭和4年日本車輛でキハ10・11として新製。昭和39年にエンジンを下ろしてハ32・ハ33となった。
今も残る大田原~中田原間のトンネル(平成3年12月1日)
黒羽駅跡に駐車中の鉄道代替バス 元神奈中(平成3年12月1日)