「家人からの終活圧力」にお悩みの須磨の大兄にもおとらず、小生も「訪問介護士」の執拗な圧力に苦しんでいます。
最初は親切ごかしに「いかがですか? 最初は少し詰めて投稿して慣れないと、やり方を忘れてしまいます。 どんな話題でも練習だと割り切って投稿して下さい。」と優しいメールでしたが、黙殺していると段々口調が厳しくなり、「わざわざ教えに行ったんたやから、サッサとやらんかい!」的な脅迫口調になってきました。
(奨学金の返済をサボっていたころ、最初は手紙で「次代の後輩のためにちゃんと返しましょうね」的なものが、それでもサボっていると段々エスカレートして、最後の最後は「法的手段に訴えるぞ」になっていったのとそっくりです。最終的に私は全部返済しましたよ!為念)
その圧力をかわすため、不本意ながら(あまりにも小生の写真のレベルが低すぎるのに気づいて投稿を躊躇していました)京都市電の②をご笑覧ください。
京都駅前(烏丸線、河原町線、東山線のターミナル)、西を向いて。
左手奥は中央郵便局、真ん中奥は下京区役所
同地点から逆に東側を向いて(3線の真ん中は留置線)
右手奥はステーションホテル
一番最初の写真の左側(駅寄り)に市バスのターミナルがありました。
(今でも④は京都駅前~深泥池です)
奥の建物は関西電力京都支店(進駐軍接収中は「ラクヨーホテル」)
場所を変えて・・・
四条大宮(下がった所から北向きに)
阪急大宮駅が新しくなって間もないころ。
四条河原町(西北の富士銀行前から四条通を東向きに)
(以前と同じものですが、某ジイサマからナンクセをつけられたので、ちょっと角度補正をしてみました)
皆さんご存知の祇園石段下
最後はおなじみの今出川通(同女の前あたり?)を西向いて
とりあえず、このあたりで今回はご容赦を!
これほど感謝して頂いていたとは「訪問介護士」冥利に尽きます。
最近駅の改札や車内で暴れ回る、いわゆる”キレる老人”が問題になっています。独り暮らしのために新鮮野菜の不足からありもしない妄想で暴言を吐くそうですが私はこたえませんのでご安心下さい。決して見放しませんから。
それにしてもさすがではありませんか、皆さん!たった一回でコントラストや傾きの調整など、画像処理ソフトを使いこなす様は神田千葉道場の赤胴鈴之助を彷彿としますね。
この調子でがんばって下さい。
一人暮らしの老人の皆様、訪問介護士のご要望は当会までご連絡下さい。かゆいところに手が届く介護士をご紹介します。
ヒマ人さま
介護人から執拗な追求が続いているようですが、お陰さまで、ヒマ人さまの記録の数々を堪能しました。私が撮り始めるより、2~3年前の昭和40年前後の撮影と思われます。いまなら2~3年なぞ瞬きをする間に過ぎ去りそうですが、当時ではこの差が大きいのですね。京都駅前の三線ターミナルのラッシュの模様も、ツーマンバスの深泥池行きも、私は撮っていません。小まめな記録の重要性を教えてもらいました。
”執拗な追求”などというな!
これも介護の一環で自助努力による回復を期する重要なリハビリです。
順調に回復基調にありますのでご安心下さい。
湖畔のヒマ人様
活気溢れる京都駅前の写真に思わず目が点になりました。
奥には二つ目玉の2000形?が居るとは言え、我が思い出の900形や600形で『溢れて』いる様に懐かしさを感じました。
青春の2年間、小生は此処から1年目は東山線、2年目は烏丸線を利用しました。
もう1枚の東向きのショットにも懐かしさが溢れます。
その向こうの伏見線は、やはり青春の恋を懸けた思い出深い路線ですが、この写真からは見えないのが残念です。(機会が有れば伏見線もアップして頂きたいものです。)
一方、市バスのターミナルは全く記憶に無く、この写真で改めて認識した次第です。
もっとも、小生が京都駅前から市電を利用していた時代にはバスは無かったのかな?と思ったりしていますが。