佐世保鉄道→松浦線

#8780拙稿「ケコハ482」に関し、田野城喬氏からお尋ねがあった。佐世保軽便鉄道→佐世保鉄道→松浦線の経緯はややこしいが、詳細は臼井茂信「国鉄狭軌軽便線20~23」鉄道ファン285~293号をご覧戴きたい。一口に言えば1923年3月27日相浦-柚木間開業を皮切りに、1933年10月24日佐々-世知原間の岡本彦馬個人経営専用鉄道(13.4km)も併合した、軌間762mm、全長36.04kmの蒸気鉄道である。


佐世保鉄道時代 1935年2月5日東京日日新聞社発行全国鉄道図 佐世保から志佐の間が未成線表示になっている

九州鉄道が開業した佐世保線が佐世保に達したのは1898年だが、国鉄になっても、佐世保鉄道上佐世保とは相当の高低差があって接続していなかった。買収は1936年10月1日と早いのは、松浦炭坑の石炭輸送が主因だが、隘路の積み替え改善・戦時体制のため、762mm軌間は1943年以降1067mmに改軌が強行され、1945年2月24日完了。しかも佐世保市内の商店街をまたいで強引も強引な手法で佐世保に直結したのである。戦時中なればこそで、現在の松浦鉄道に乗車すれば体感する。


買収で国鉄松浦線に 1939年10月1日旅行案内社発行 佐世保や松浦線が赤点線で囲まれているのは要塞地帯であることを示し この中では撮影やスケッチは勿論 写真掲載すら特別許可が必要であった

改軌前の松浦線 1941年2月1日現在鉄道線路図(鉄道省運輸局)

すなわち国鉄軽便線であったのは、買収以来改軌完了までの10年未満だが、この間頭にケを付した軽便蒸機、客車、貨車が多数活躍したのである。因みに1935年度での佐世保鉄道車両数は、蒸機21両(運転整備重量合計257トン)、客車24両(定員合計1,158人)、有蓋貨車4両(積載重量合計16トン)、無蓋貨車263両(1,224トン)で、石炭輸送が主力であったことが分かる。

改軌で役目を失った車両は蒸機は若干が日本鉱業、赤穂鉄道に再起し、客貨車もいくらかが各地に散った。戦時中から工事を進め、開業が敗戦後になった日本鉱業(佐賀関鉄道)の車両は、大方が旧佐世保鉄道→松浦軽便線からの転進だったし、栗原鉄道、九十九里鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道、浜松鉄道などにも客貨車が再起している。

佐世保鉄道→松浦線」への1件のフィードバック

  1. ありがとうございました。
    地図が大変おもしろそうです。地図と記事を読み比べながら楽しませていただきます。
    さすがは湯口大先輩!とりあえずお礼を先にもうします。

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