半世紀前の阪急神戸線(1)西宮北口-夙川間、併せて今昔対比

恐ろしく長いタイトルです。お待たせ致しました。阪急920型など1961(昭和36)年の画像が中心です。 また今回、車両解説に使用しました参考文献は、我らが青信号4号1959(昭和34)年12月発行、高橋正雄 『京阪神急行 神戸宝塚線 使用車両の現状について』です。(*)で示します

▼西宮北口-夙川間 925型4連 上り三宮発梅田行き普通車  1961年3月11日撮影
【920型の解説】一般に920型と呼ばれる一連の神戸線車両のうち920~924、950~954はその最も初期に製造されたもので、いずれもMTc恒久連結車である。昭和33年から34年にかけて全10両が提起更新を完了したが、二段シルやリベットは撤去され、雨樋も新しい形のものになっている。(中略)通風器はガーランド式で中央一列、Tc車のパンタ取付台は撤去された。
【925型925-928(M)、955型955-958(Tc)  】 通風器がガーランド式2列になっている事とM車の台車が川崎-16である他は920型と大差ない。現在920,950型に続き更新工事実施中である。(*)  ということから、画像は更新後の姿の様です。 ▼上り5連特急5連後部 同上、同日
【929型929-933(M)、959型959-963(Tc)】920系のうち、この型から平シル、リベットレスの車体となり通風器は押込み式2列配置している。929、959は戦災復旧車であり、M車にはH-147台車を使用していたが現在は川崎-16型になっている。(*)
最後尾Tc車のパンタ取付台は残っているようです。
▼現在の西宮北口-夙川間、西宮市若松町付近から夙川方向を向く。2017年12月10日撮影。 西宮北口を夙川方面に出て間もなくの辺りから高架になり、一番上の画像と同じ風景は望めなくなりました。 この画像左手が高架線路、前方松の木が見える辺りが夙川駅です。▼夙川駅 960型4連 上り普通車 1961年
【929型929-933(M)、959型959-963(Tc)】920系の内、この型から平シル、リベットレスの車体となり、通風器は押込式を2列配置している。929、959は戦災復旧車であり、M車にはH-147台車を使用していたが現在は川崎-16型になっている。(*)
▼同駅 1000型上り特急5連 同日
【1000型】戦後100両目の新造車であるが、この形式より軽量車体となった。台車も高張力鋼を使用したFS303及びFS305である。窓の部分をややふくらまし車体下部にはRがつけてあり、以後の軽量車体の基本形となった。
【1030型1030-1036(M)、1033型1033,1037(Tc)】1010型の昭和34年度増備車はFS324A付きの三扉車となり、ラッシュアワーにおける機能を十分に備えている。端面窓は後述の1108型と同様はめ殺し式となった。余談であるが神戸線5輌連結化に際し、1010型には1052が、1030型には1050、1051が近く増結されるが、1052はFS311付きの二扉車、1050、1051はFS324A付きの三扉車である。(*)
画像は文献発行より約1年後の5連特急です。
▼現在のほぼ同所 5000型上り8連普通車。
▼夙川駅西方を望む 1030型特急5連 1961年同日。
夙川線引込み線から本線への渡り線が見える。周囲は平屋建ての建物が多く、六甲山系の山々がよく見える。 ▼現在の同所、線路際まで建物が迫り遠くは望めない。
▼甲陽線 夙川駅出発直後、甲陽園行き300型319 1961年同日。
【300型300-309(T)(Tc)】我が国に於ける初期の半鋼車でトラス棒をつけているところは木造車からの過渡期のものである事を示している。大正13年8月汽車会社東京支店の製造になるもので、旧番を500-509と云い、リベットの多い端面にやや丸みのある扉付きの三枚窓であったが、戦後片運となり現在は301を除いて全部貫通式の中間付随車となって500型とM+T+M編成にて使用され、Brill27E台車に振り返られた。ただ、301のみ530のTcとして現在も片運転台式であり、使用線も301のみ宝塚線であり、他は今津線である。
【310型310-3015(T)、316-319(M)】300型と全く同型の車両で、500-509のTcとして大正14年3月川崎造船所にて新造された旧704-709で、電動車化されたが300型同様の改造により現在は500型の中間車として宝塚線に使用されており、台車は314,315のみK-11であるが、他はBrill27E1である。316-319は旧番を700-703と云い、現在も両運転台式で甲陽線に使用されている。台車はBordwin78-25-AAである。(*)
 ▼現在の甲陽線、下り甲陽園行きの後部、6121+6527+6021の三連、夙川駅から少し北側に歩いた所から。ここでも住宅が線路際に迫り、上と同じ駅近くでは撮影し難かった。12月中旬快晴の日、背後に赤く染まった甲山が見えます。上の写真の甲山は画像右手微かに稜線が見えます。参考文献として、【解説】に使用させて頂いた、高橋正雄先輩の著述、青信号4号『阪急神戸線』p.49~p.57は下記からダウンロード、保存、印刷等ご自由に、活用頂けます。
青信号4号 高橋正雄 『京阪神急行・神戸線宝塚線』

半世紀前の阪急神戸線(1)西宮北口-夙川間、併せて今昔対比」への2件のフィードバック

  1. tsurukame様
    遅くなりましたが待ってました!ハイカラな神戸の今昔対比はよくわからないのでコメントを差し控えていましたが、阪神間のハイカラな夙川界隈は少し出しゃばらせていただきます。
    2枚目の後姿の962の特急。これです。行先表示板が赤に白字で尾灯が改造前の出っ張ったままの古い形。1961年(昭和36年)と言えば高校に入った年でこの年から鉄道写真を始めましたが、tsurukameさんの撮られたクラッシックな顔には間に合いませんでした。私の900、920、800型は6~7連の普通列車や支線運用で晩年の姿ばかりです。ところで、この懐かしい特急の行先表示板は京都線710型、1300系では2枚つけられこれは2800系になっても同じでしたがクロスシート車が主体であったこともあり、710の型投稿で書きました通り京都線特急は神戸線に比べて格上に感じていたものです。
    夙川駅界隈の松並木、特に甲陽線でよく見える甲山の風景は私鉄沿線ではこれ以上のものはないように思っております。1030系の特急は間に合いましたが、行き先表示板は新しいものに変更されていました。丸みを持ったカッコいい電車に見えました。300型、310型は今津線で500型の中間に付随車化されたものによく乗りました。室内照明に白っぽいカバーがかかっており、つかみ棒が彫刻を施され今思うと凝った内装であったと思います。ただ、トラス棒があり、半鋼車ながら木造車のイメージがありました。tsurukameさん撮影の甲陽線319のように電動車のままの姿は小学校時代の通学時に乗ったような気がします。その時はダブルルーフの1型が付随車化されて中間に入っていたような気がしますが、60年以上も前のことではっきりは覚えていません。
    高橋先輩には西宮北口の車庫でお会いしたことがありますが、今津線のこともよく聴いておけばよかったと思います。阪急のことよりも福知山線の蒸機の話ばかりされていました。DRFC-OBにしてはえらい男前と思いました。

  2. 準特急様
    早速に詳しい解説、評論、感想等々を有難うございました。とても詳しくて小生は付いて行けそうにありません。たまたま立ち寄ったり、通りがけに見る程度では営業線や走る車輌たちの特徴、時にちょっとした変化には気づきません。通勤・通学に乗車したとか、長期にわたり何らかの理由で利用したとか、ある程度の連続した利用機会が必要ですね。

    小生も神戸線の機会があったのです。1959年から1960年に掛けて1年間三ノ宮から御影まで利用したのです。三ノ宮までは山陽、国鉄を乗り継いで。浪人時代でした。ところがこれが、クロスシート車を覚えているぐらいで他に何も覚えていないし、記録もない。1年という『長期』でありながら。情けないやら、勿体やら。自慢できる話ではありません。

    それから、準特急さんの夙川の雪景色の写真ですが、小生が場所を見誤っていました。お詫びせねばなりません。夙川駅から4、500m西ですね。駅の直ぐ傍ではありませんね。その場所は今も、そのまま健在です。南側に緩やかな坂道があり、北側には松と桜の木。先頭車から写真を撮っておいたのですが、コメント欄ではお見せで来ませんね。すみませんでした。

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