倶知安近辺を紹介する。
【幌似鉄道記念公園】
スハフ42 507 2017年8月14日撮影 共和町 幌似鉄道記念公園42.984493, 140.613967
◆スハフ42 257(1954年新製 日車)→1963年度近代化改造 長野工→(1975年改造 五稜郭車セ)スハフ42 507→1984年廃車
前回せたな町のスハフ42 506と続き番号であるが、新製はこちらのほうが早い。屋根を除き往時の姿をよくとどめている。車体側面右下隅に①や②、積/空の標記があるが、標記場所が間違っている。
隣のワフにはワフ29587と書いてある。煙突はT字型のほうがストーブ煙突らしくて好きなのだが残念。
『鉄道ピクトリアル』564号39頁に写真、108頁に記事があるが、現在は国道276号線の整備のため、少し変化している。
【六郷鉄道記念公園 旧六郷駅跡】
オハフ46 501 2017年8月14日撮影 倶知安町北4条東8丁目 六郷鉄道記念公園 旧六郷駅跡 42.904729, 140.770703
◆スハ43 647(1955年新製 汽車)→(1961年改造 土崎工)オハ47 8→(1966年改造 大宮工)オハフ46 1→(1973年改造 五稜郭車セ)オハフ46 501→1985年廃車
これも屋根・尾灯以外はなかなか状態が良い。隣のヨはヨ7913と書いてある。
同じく『鉄道ピクトリアル』564号39頁に写真、108頁に記事がある。
↑オハフ46 501の前身のオハフ46 1を塩尻で撮影していた。
オハフ46は、全車がオハ47からの緩急車化改造で、500番代はさらに北海道向けの装備をした形式である。
オハフ46 1は車掌室窓幅がスハ43当時から変わらない1,000mm上昇式であるが、他のオハフ46には緩急車本来の700mm下降式にした車両や、川湯温泉のスハフ42 522と同様に住宅用の流用と思われるアルミサッシの引違い戸に改造された車両もある。
倶知安といえば、昔倶知安機関区があり、救援車としてオエ61 309が配置されていた。オエ61 309は現在小樽市総合博物館に保存されている。本シリーズでは現状の紹介は省略するが、現役の倶知安機関区時代の画像を下に示す。
オエ61 309札クチ 1983年9月24日撮影 倶知安機関区 すかし読みで、・マニ36 2004の記号番号が読めた(Gマーク付き…横川-軽井沢が通過できる)。羊蹄山に雲がかかっているのが惜しい。
車歴は
◆スロ30850(1934年新製 汽車)→(1941年称号改正)オロ35 1→駐留軍に接収 軍番号2384二等座席車BAY CITY(1945年)→軍番号3425部隊用簡易寝台車BAY CITY→更新Ⅰ(1952年大船工)→(1955年接収解除)→オロ35 1(1956年名古屋工 更新Ⅱ)→(1965年格下げ)オハ53 1→(1966年改造 土崎工)マニ36 2004→(1981年改造 五稜郭工)オエ61 309→1986年廃車。
その後まもなく苗穂機関区配置となった。画像を下に示す。
オエ61 309札ナホ 1985年7月28日撮影 苗穂機関区
2-4位側にも古レールを吊り下げている。変色して見苦しい点はご容赦いただきたい。
昭和一桁生まれのオエ61 309は、救援車としては僅か5年の期間だったが、小樽市総合博物館で保存展示された。末永く余生を送ってほしい。
【ファーストムーン羊蹄 2両】
スハ45 21、スハ45 36 2017年8月14日確認 倶知安町巽66-1 ファーストムーン羊蹄(ペンション)
養鶏場として使用しており、車内にニワトリがいる。オーナーが「汚いので撮影してくれるな」というので撮影できなかった。この2両は1987年11月1日、札幌市南郷通4丁目のアサヒビール園で、「ブルートレインアサヒ」というトレインマークを付け「列車レストラン」と表示していたのを見ている。その時は残念ながらカメラを持っていなかった。その後1994年早春、倶知安に移動した。倶知安では当初「レストランブルートレイン」と名乗っていたようである。『鉄道ファン』401号154頁に写真がある。
スハ45 21は、スハとはいいながらスハフ44のような車掌室があり、アサヒビール園当時既にその形態だった。妻面に車掌室部分を接合しているので、その分全長が長いはずである。車掌室部分の側面の窓を埋め、妻面は高い位置に窓を開けなおしていた。何のための改造だったのだろうか。
◆スハ45 21(1952年新製 川車)→1984年廃車。
◆スハ45 36(1954年新製 日立)→1985年廃車。