市電の廃車体が話題になっていました。200型・300型は私も撮っていないので歯がゆいのですが、京都外大のグランドに大量に置かれていたのを見ています。車番を確認できませんでしたが外形から200型か300型と思いました。
さて、藤田さんも市電を撮っておられます。藤田さんの写真はカラーもあって最盛期~晩年の市電が元気に走っています。
ところでこの際、お手持ちの市電の写真があればコメント欄に投稿してみませんか?
① 祇園石段下を西へ向かう7号系統1600型(九条車庫)
② 烏丸三条を北上する6号系統1800型(烏丸車庫)鉄鈍爺の縄張り
③ 京都駅に着いた烏丸線の市電 手前から5系統700型、4系統1900型 奥の出発ホームに左から700型、中央が1800型?右は2600型?
④ 16号系統は烏丸車庫から東山通りを経由して九条車庫まで。1900型(烏丸車庫)後ろは九条通まで行く22号(水色)系統(錦林車庫)東山七条
⑤ 東寺東門前の7号系統1600型(九条車庫)
⑥ 今は京都鉄道博物館の土産物屋となった旧二条駅。700型(壬生車庫)と国鉄バス
⑦ 七条烏丸を出て東本願寺を迂回する6号系統2600型(烏丸車庫)
⑧ 多くの皆様に助けられて場所が確定しました。まず、「軌道敷内通行可」標識の向こうに見える赤いアングルは自動車運搬用のク5000型貨車。と言うことで二条駅北端付近にあった留置線と断定しました。1号系統1800型(壬生車庫)
⑨ 四条大宮で待機中の5号系統2000型(烏丸車庫)
⑩ 同志社横の今出川通りを東進する1号系統。おもしろいのは白バイと架線修理車。1800型(壬生車庫)
⑪ 京都駅前伏見線用ホーム 9号系統600型(九条車庫)
⑫ 伏見線の専用軌道を行く19号系統700型(九条車庫)
⑬ これも市電 四条大宮で旋回する300型トロリーバス トロリーバスは全車が壬生車庫の管轄
⑭ 山陰線の下をくぐる七条線 4号系統1800型 (烏丸車庫) 山陰線の高架が完成しているからアンダークロスが埋め立てられる直前の一瞬の貴重な写真。そのためかカメラマンがたくさん写っている。
⑮ 個人的に一番好きな900型 烏丸出水を過ぎて平安女学院前をゆく6号系統(烏丸車庫)
⑯ 河原町今出川の2号系統(白地)800型(錦林車庫)
⑰ 四条通の車に埋もれる市電・四条京阪前 7号系統1600型、17号系統1000型 (ともに九条車庫)
⑱ 四条河原町 18系統800型(九条車庫)は中書島から河原町二条を結ぶ特異な系統。手前は白地の2号系統1600型(錦林車庫)
⑲ 壬生車庫前で乗務員交代の20系統514型と10系統の600型(ともに壬生車庫)
⑳四条大宮 5号系統2600型(烏丸車庫)
㉑ 国立博物館を右に見て東山七条を西へ 8号系統1600型(九条車庫) 後ろの真言宗智山派総本山智積院の門が珍しく開いている。
キャプションは米手作市が思いつくままに書きましたので誤りがあれば遠慮なく教えてください。
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⑧=千本三条? 市バスに国鉄バス停標識
引っ掛け問題ですか。米手作市さんはお惚けが上手なんで…
いやいや、おとぼけでも引っかけでもありません!
停留所名が読めないのです。千本三条?今の『朱雀立命館前』ですね。ビルがなければ見えないこともないようですが。
大文字の下に交通信号機のようなものがありますが、もしそうなら自動車教習所かも。それなら千本二条のあたりに教習所があったように思いますがいかがでしょうか?
またまた部外者が失礼いたします。
背後は二条駅ですね。フェンス越しに見えているのは車運車ク5000ではないでしょうか。
なるほど
1900生さんも言うとおり二条駅北端にあった留置線越しかもしれません。雅会館?だかのあったところは以前、石炭と材木置き場でしたから広い構内から北山がよく見えていました。
そうしておきましょう!異論がある方は書き込んでください。
米手作市さま
確証はないのですが、小生は二条駅の北端辺りかと思いました。左大文字の見え方からして二条駅前周辺ではないでしょうか。
いつも楽しく拝見しております。今回は私の住まいの近くということもあって、よそ者の身で失礼いたします。⑧の写真の背後は二条駅北側にあった自動車陸送用のヤードで、「乙訓の老人の甥」氏がご指摘の通り車運車ク5000が見えています。信号機は線路の手前に見え、線路の向こう側にある二条自動車教習所のものではないと思います。私は二条自動車教習所に通っており、学科の教習中に窓から見えるDD54やDF50に気を取られたことを思い出しました。
二条駅前の安全地帯は北行きが御池通の南側、日通の事務所の前にあり、南行きの方はガソリンスタンドの前にありましたが、どちらも今は変貌してしまって当時の面影はありません。
この写真を見て、何かの本で見たことがあるなと思い、そういえば撮影者の藤田さんという名前も聞き覚えがある…。淡交社から出ている「京都写真館 懐かしの昭和20~40年代」に、同じアングルの写真が載っていました。藤田さんの写真はたくさん出ていて、他にも興味深いものがあります。
⑧の写真が撮影されたのは千本御池の北東角にあったガソリンスタンド(今はマンションが建っています)で、間違いないと思います。
ありがとうございます。
藤田さんには確認できますので聞いてみます。
これからもご指摘をお願い致します。
紫野高校鉄研OB 様
詳細な解説、ありがとうございます。
ところで、私も紫野高校鉄研のOBです。
紫野高校鉄研OBさま
コメントを頂戴し、ありがとうございます。紫野高校鉄研OBさんと言えば、いつも会合でお会いして、そのあとの一杯に誘っていただく、あの鉄研OBさんですか? あらたなOBさんも加わっていただき、何よりです。コメント大歓迎です。ご意見、ご感想、イチャモン、何でもお寄せ下さい。淡交社の「京都写真館」という本、たしかにありましたね。図書館ならあると思いますので、一度拝見します。情報、ありがとうございます。
どなたか④の16号系統はどこからどこまでか、ご存じありませんか?
初代16号系統(烏)は四条烏丸―烏丸車庫―百万遍、1956年に下鴨線開通に伴う路線変更で6号系統と経路が重複するため一旦廃止されます。1972年の路線縮小に伴い九条車庫の系統で復活、1974年から烏丸車庫の系統になった系統で、烏丸車庫―東山通―九条車庫。1977年9月の河原町・七条線廃止に伴い、22号系統の路線変更で経路が重複するため廃止されているようです。④の16号系統は烏丸車庫の系統板ですね。
乙訓の老人の甥様、
分かりました。ありがとうございます。
早速訂正いたします。
叔父上によろしくお伝えください。
初めて登場させていただきます。
たまたま、16番(系統)のことを目にしましたので、私の16番に関することをコメントさせていただきます。
16番は設定された期間もそう長くなく、マイナーな系統ではないでしょうか。1950年代昔のことは、古くてよくわかりません、私が16番を初めて見たのは、1972年千本、大宮、四条線の廃止後でした。1600型で北大路橋あたりで出会い、烏丸車庫で折り返し。
烏丸には1600型はなく系統板は紫、この区間でみるのがとても新鮮でインパクトがあったのを覚えています。今思えば4.5、6の番号を7、8、9の九条が受け持ったことは、イレギュラーではないでしょうか。
その後、1974年烏丸線廃止により烏丸所属になり本来の番号に戻りました。こうなると今度は、東山七条以南で烏丸の車両が見れることになります。九条陸橋を走る2600型の16番の写真はみたことがあり、これもまた新鮮。
④の写真は1900型、場所は東山七条の少し上(かみ)やと思いますが、ここは6番の通り道、1900型なのでごく普通になってしまします。やはり東福寺~大石橋の九条陸橋の烏丸車はレアですね、2000型の写真が見たいものです。1900型はまったく悪くないのですが最後の22番であまりにもメジャーですね。おなじみなのです。
たわもない内容ですが、マイナーな16番への私の思いでした。
米手作市 様
『来る者拒まず』のデジタル青信号。
その寛大さに甘えてヨソ者の小生なのに何時も大変勉強になっており、同時に楽しませていただいております。
乙訓の老人の甥さま、紫野高校鉄研OBさま、小生もよそ者です。よろしくお願い致します。
さて、今回も大量の?記録写真の大放出ですね。
祇園石段下、中郵をバックにした京都駅前、東本願寺、今出川(同志社横)、京都駅前(伏見線)、伏見線専用軌道部分、四条通り&四条河原町、四条大宮・・・。
何処も懐かしい場面で、しばし見入ってしまいました。
写真には1灯と2灯が混在してますので、年代はワンマン化と前後する1968(昭和43)年以降の撮影と見受けられます。
小生が関西を離れた後、暫くして京都に立ち寄った時に『え~っ、台無しやん!』=NHK風に言えば『意見には個人差があります』 (笑)とガックリした記憶が蘇りました。
伏見線は、ほぼ全線(除、稲荷線)を歩きましたので、夏の暑い日に汗だくになったのを思い出します。
・・・で、貴殿の撮影地調査には何の役にも立たないコメントで申し訳ありません。
河様、
どういたしまして、ありがとうございます。
まさに同感であります。
初期の2600型あたりは新製と同じように覇気が感じられましたが、末期の1600型になると“廃物利用”扱いになり落ちぶれ感満載でした。京都市電は上品な色調とオーソドックスな容姿で、私は誇りを感じておりました。
私もたくさん撮っていますので、また機会があれば投稿しようかと考えております。
河様もお手持ちの1灯時代がありましたら載せてください。
お言葉に甘えて再度お邪魔します。「乙訓の老人の甥」さんの解説で、⑯が九条から烏丸に担当が変わった経緯がよくわかりました。流石はお、いや「乙訓の老人の甥」さん、高校時代から一味違う見識の持ち主。蒸機にうつつをぬかしていた小生とは月とスッポンでした。
ところで、重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、2両目の㉒は番号が1614と読め、九条車庫の車両ではないでしょうか?九条の担当なら系統板の地色は紺色のはずで、じっくり目を凝らすと紺色のように見えます。また、1600形は今出川・白川・丸太町線が廃止となった昭和51年4月に姿を消し、⑯が烏丸の担当となったのは昭和49年4月ですので、撮影されたのはその間と考えられます。
些細なことで諸先輩方のお目を汚してしまいました。失礼があればお許しください。
22号系統は錦林車庫、白地ではないから水色、と決めてかかっていました。でも九条車庫が22号系統を担当していたのは知りませんでした。と言いながらパソコンの左を見たら青色の『22』の系統板(裏は『臨』)がおいてありました。失礼いたしました!
写真 ⑲ をみてコメントさせていただきます。
514型 私の一番好きな車両でした。(現在も)
現役当時は子供でしたので、情報も知識もなくは実際に乗った僅かな記憶があるだけです。
その後書籍、雑誌、写真等でどういう車両なのかを知ることができました。
私は、個人的見解ですが、昔から514型と2000型とのつながりを感じています。見ての通り出入口から前方に開く2枚扉と、他の京都市電に比べ四角い、幕板が比較的深い(深く見える)、両数が少ない、決して花形スターには扱われない。
無理やりの個人的意見だとして、注文がつくかもしれませんが、数十年来思っています。
⑲の写真ですが、
京都市傑作の600型、優等生900型、集大成 700型これらのいわゆる花形スターとはちょっと趣の違う 517と戦後出場690型とのツーショット、行先表示 「北野 金閣寺」映っているものどれも、本当にいいですね。
元千本鞍馬口利用者様、
コメント、ありがとうございます。
会員以外の方にも投稿頂ける事は本当にありがたいことだと思っています。
今後ともご投稿頂けたら幸いです。