散歩道で見つけましたー追加・京阪本線ー

ご無理を言ってお借りした写真を菱屋さんまでお返ししに上がりました。
すると、藤田さんが「京阪の写真を集めておきましたが・・」と言われました。そういえば京阪の写真がありませんでした。それでは追加しましょう、とお預かりしたのです。それも大量にありますので京阪本線編と京津線・石坂線編とに分けて発表いたします。
※写真の選定には沖中忠順先輩のご助言を頂きました。

① 四条京阪のジャンクション 京阪の社員が旗を持って立っていた。

② 先頭は1925 南座は現在改修中

③ 1000系同士の併結

④ 疎水と鴨川に挟まれた専用軌道を走る本線。いまは疎水と線路跡は川端通りになっている。

⑤ 疎水の上に三条駅が見える。

⑥ BOXでは「ガイコツ」と悪評サクサクだったが、今となってはなつかしい。

⑦ 5000系堂々の7連! 

⑧ 3扉に改造された1900系 真ん中の扉が両開き 元両運車は窓が一個少ないため戸袋スペースがなく、両開きしかつけられなかった(1900生氏)

⑨ 3扉に改造された1900系 片運車のため真ん中の扉が片開き 増設扉に二種類あったとはしらなんだ!とは沖中さんの弁

⑩ なつかしい市電伏見線と京阪本線の交差点。市電の停止線と脱線ポイントの構造がわかる。

 

 

⑪ 謎の写真 ヘッドライトがヘンだ!←へんではなかった。写真のキズ 

⑫ 特急から一般車に格下げされた1700型

⑬ 一つ目玉の630型 スーパーカーの試験車(1900生氏)

⑭ 二つ目玉の600型

⑯ 「天ヶ瀬号」のヘッドマークをつけた宇治線急行

散歩道で見つけましたー追加・京阪本線ー」への16件のフィードバック

    • そうでした!
      ルーペで確認しました!
      ちょうどライトの位置に変色が出ていたのを確認もしないで投稿していました。河 昭一郎様、申し訳ございません。
      とは言え、京阪の今までの所行から、なにやら新しい装置の実験ではないかと疑ってしまうのも宜なるかな、とは思いませんか?と、開き直っています。皆様、ゴメンナサイ

  1. 米手作市さま
    暫くサボっている間についに京阪が登場していたとは。小生に何の連絡もなしにとは申しませんので、少々コメントにお付き合いください。
    写真①遮断機が降りる前にピピーと笛を吹きながら係員が走って出てきて横断者を制止していましたね。円観でのコンパの帰りだったと記憶しますが、恒例の八坂石段での万歳三唱を済ませ、四条踏切に差し掛かった際に丁度この制止にあい、電車の通過待ちをしている間に誰かが「京阪電車万歳」と叫んだので、係員が苦笑いしていたのを想い出しました。
    ②写っている1900は両運車の1925号車ですね。先頭運転台上にパンタがありません。恐らく片運化されて奇数番号車扱いになってからだと思います。
    ➂つい先日もUPされた1000型先頭車同志の連結面ですね。2連+3連の5連で殆ど宇治線専用でした。繰り返しになりますがぷるぷるさんらと「先頭は1010」(これは事実です)と笑っていた編成ですね。
    ④懐かしい疎水端の風景ですね。写っている樹木は桜ではありませんが、四条~五条間の桜(今風に言えば桜のトンネル)は見事でした。しかし全く撮らなかったことが悔やまれます。
    ⑥ガイコツ!でしたね。とにかくこの車は走らない車でした。ほぼ交野線と宇治線専用でしたが、夜も更けてくると百鬼夜行さながら本線各停に紛れ込んで淀屋橋へ顔を出すことがありました。あるとき寝屋川市→香里園間のダラマ川の下りを利用しても、ノッチ持ちきりで出たのが72kmでした。2200系あたりでは川の手前の上りで優に90kmは超えていたのに。余談ですがこの時は香里園に着くと先着の香里園止め区間急行(1700+1800の7連だったと思う)のお客さんがホーム全長に亘って散らばっており、ホーム長の半分にも満たない500+1500+500を目指して「なんやこの電車小さいな」とブツブツ言いながら駆け込んで来たことがありました。この時ばかりは500の責任でもあるまいにと、500が愛おしく思えたものでした。
    ⑦7連のように見えますが。写真ではわかりづらいですが、5000の8連は無かったと思います。
    ⑧手前は元両運の1926号車ですね。両運車は扉間の窓の数が他より1つ少なく、片開きではバランスが取れず増設できなかったようです。⑨前項に関連しますが、手前から2両目中扉が両開きのようです。中間車の増設両開きは無かったはずですから、この車は元1810系両運車の1905か1906の中間車化したなれの果てだと思われます。「二種類あるとは知らなかった」とは沖中大先輩の言とは信じられませんが、おそらくもうお忘れになったのでしょう。
    ⑪河様のご指摘のようにタバコの火か灰で焦げたか、虫か何かが潰れたのではないでしょうか。
    ⑬スーパーカーの試験車になった元Tc1650型を電動車化した通称630型ですね。役員さんに電車の好きな方が居られまして、この630は嫌いだと仰っていました。車体新造した600は戸袋窓がありませんでしたが、この630には有り、どうも近代的スタイルと認識されずに嫌われたようでした。
    ⑯粗悪車!と罵られた規格型1300型ですが、2扉で副標識をつけるとちょっとダンディーに見えるから不思議です。
    お付き合い有難うございました。

    • 解説、ありがとうございました。
      ⑦は間違いです。訂正します。
      ⑪につきましても私の早とちりでした。許してください。
      ⑨は、二両目ではなく大阪側の先頭車についての話です。⑧と比べて片開きだと書きました。
      他にもあるかもしれませんが、広い心でみてやってください。
      それともう一つ質問!
      ⑮の駅は何処でしょうか?教えてください。

      • 米手作市さま
        いえいえ放ったらかしかと思っていた京阪を取り上げて頂いただけでも太平洋かと思うくらいの大きく広いお心を十分感じますのでご心配なさらないで下さい。また続編も期待しておりますのでよろしくお願い申し上げます。
        ⑮の駅ですが実はよくわからないのです。昨日一瞬見たところでは気づかなかったのですが、よくよくみれば左側ホームの柱に多分朱色の装飾らしきものが見えるので、恐らく伏見稲荷での上り特急のショットではないかと思われます。しかし上りホームにそれらしい装飾がないのと、雰囲気が昔はどこにでもあったような駅なので、正直自信はありません。4両目付近に踏切らしいものが写っていますが、これとても駅のすぐ前後にはよくありますから決め手にはなりません。
        ⑨の写真はそういうことでしたか。これは片運車の通常の片開き3扉化改造車です。

        • 1900生様
          ⑮の駅ですが、伏見桃山ではないでしょうか?下りホームに手旗を持った駅員さんが写っていますが、桃山駅にそんな人がいたかどうか?

          • 西村雅幸さま
            そういう係員は居なかったはずで、それは伏見稲荷も同様でしたから、どの駅なのかはちょっと悩ましいですね。それらの駅であるようなないような。せめて1900の車番でも読めれば向きがわかるのですが、右側ホームに「うきはし」の看板があることから、やはり伏見桃山クサイ?
            決め手がありませんね。

          • オリジナルを拡大してみましたが、ピントが甘く、その上、陰と日向があって飛んでいるところがあり見づらいです。
            琵琶湖競艇が1月の予定を表示しているのと服装から1月でしょう。名誉冠の看板がありますので伏見桃山ではないでしょうか?これが上りか下りかは分かりませんが、1900生さんや無印不用品さんならロケーションで分かりませんか?

  2. やはりいろいろな形や色、いろいろなシーンがあると面白いですね。こうやって見てますと思い出の多い500、600、1000、1300、1700等々皆役者ですね。貴重なカラー写真有難うございました。

    • 今の車両はJRなどでも、顔が似ていて、色はシルバーで見分けが付きません。さらに昔なら形式が違うであろう車でも番台違いで区別されるのでなおさら分かりません。ああ、昭和がなつかしい!

  3. ⑮の駅、一番最初にパッと見たときは伏見稲荷の上りホームから下り(淀屋橋行)特急を撮ったものやと思いました。
    伏見稲荷なら時には(多客時)助役が配置されていたこともありましたけど、イマイチ確証はありません。
    (何となく伏見桃山ではないような・・・!?)

    • 無印先輩!(失礼なので不良品とは書けません)
      伏見稲荷には、軒下に「伏見稲荷」と看板が並んでいます。また柱の色が朱色ですが伏見稲荷駅の写真にはありません。
      やはり伏見桃山駅の下りホームから上り特急を撮った物ではないでしょうか?
      「うきはし」の看板には「ビリヤード」と書いてあるので駅の近所にある店だと思います。

  4. 無印不良品 様

    2枚の駅ホーム写真は本当に懐かしいショットですね。
    小生には京阪の事を語る資格はありませんし、多くを知りませんので、大きな口をたたくつもりはありません。
    しかし、この写真には『時代』と言う共通項を感じ目を瞠りました。
    そうやった!そうやった! 『私鉄の駅はこんなんやったなあ』と小生にも有った青春時代が、この写真に懐かしい情景として詰っています。

    『鉄ファン』を自認しているつもりなのに、車両ばかりを追っかけ回していて地味な情景写真が数えるほどしか手元に無いのが今となっては後悔する事しきりです。

    常々、総本家青信号特派員 様の駅や沿線の『情景描写』にも感銘を受けておりますが、今回貴殿の写真を見る機会を得て、本当に心を打たれました。ありがとう御座いました。
    今後共、楽しみにしておりますので、よろしくお願い致します。

  5. 河 様
    なんの意味もない(何の意図もなかった)駅の写真に、過分なお褒めの言葉をいただき、恐縮至極です。
    60年代終わりころの京阪の駅はわりとマメに撮ってますので、今や昔日の感のある駅を(京阪になじみのなかった方には全然面白くないでしょうが)近々UPしてみます。

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