2019年 凍てつく大地への旅 Part7 樺南森林鉄路を撮る、瀋陽へ

第4日目 1月13日 その2

13:28 昼食後はチャーターしたC2型蒸気機関車が牽引する客車列車の撮影です。先程の站から先、樺南站からは5㌔先までが走行可能という事でロケハンしてノミネートした3カ所を撮影地に選びました。

◀ 気温は零下9℃です。毎年零下30℃以下にもなるこの地ですのでかなり暖かいようです。また豪雪地帯ですが積雪はほとんどありません。

▲ 14:13 指定した場所から発車してきました。ドレーンも上げて期待できます。
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2019年 凍てつく大地への旅 Part6 ジャムから樺南へ 樺南森林鉄路を撮る

第4日目 1月13日 その1

① ジャムス 6:05(K7266)⇒7:09 樺南

今日は宿泊地のジャムス(佳木斯)から撮影地、樺南森林鉄路へと向かいます。
前回訪問したのは2012年5月連休の廃線レール剥がしの日でした。7年間が経過した今、どうなっているのか見るのが楽しみでした。
ジャムス站に近いホテルですが夜明け前の早朝5時にフロントに集合、站へと参りました。

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2012年春の中国鉄路の旅       Part14  小竹直人企画「最後の樺南林業鉄道、撮影ツアー」その3

今日は、まだ樺南林鉄撮影の3日目ですが、最終日です。昼前には、ハルピンに向けての帰路となります。小竹先生から、そしてO氏からも、まだこれからの旅の予定を決めておられないようであれば、我々の代表として残って、樺南林鉄の最後を見届けることも、選択肢の1つに加えて欲しいとのお話がありました。今回は、前回の44日間とは違って東北地区に絞って、国境沿いを回る乗り鉄旅をゆっくり楽しもうと思っていました。既に6日の满洲里行き、11日帰路のハルピン着までの切符は購入済ですので、11日以降に樺南林鉄への再訪問は、可能です。

多くの訪れる鉄ちゃん達を魅了した樺南林業鉄路です。ウヤが日常的でまた長期間に及び、中々運行に巡り合えなかった林鉄でしたが、今回は撤去完了日までの運行は確実です。どうしようかなと思案が続いていました。そろそろ結論を出さねばなりません。迷った挙句は、撤去最終日に何らかのイベントが実施されるようであれば再訪問、なければ皆さんと一緒に撤去途中ではありますが、見送った思い出を大切にしようと思いました。
王さんに林業局の偉いさんか、現地で運行に携わられた方々参加のイベントがあるかどうかの問い合わせをお願いしました。この返答次第で、今後を決めることにしました。

第17日目 5月5日 樺南林業鉄道撮影 3日目

今日も朝6時にロビー集合です。今日は昼までということで、 陀腰子までの区間で撮影で、バイクに乗っての山入りはありません。真っ直ぐに、樺南駅機務段に向かいました。
6:15、今日の1番列車の牽引は、3日間連続の168号機です。
ここで、柏崎からお越しのTHさん、町を歩いて郵便局や国鉄樺南駅に行ってみたいと、皆さんと別れて行かれました。THさんは、中国語を全く話せません。ちょっと心配な小竹先生は、携帯電話を渡されていました。でも鉄ちゃんは、このくらいの好奇心がなければいけませんね。私も中国語は少ししか話せませんが、いつもこんな調子でぶらりと大地の町々を歩いています。


▲ 6:33、昨日同様に道路併用軌道の停留所で、作業列車を待ちました。


▲ 6:51樺南~下樺間では、昨日と場所を替えての撮影です。 ご覧のように今日の天気は不好です。天気予報では、午後から雨が降ってくるようです。


▲ 7:09、正面だけでなく、横からも撮りたいとの希望が出ました。下樺手前の大カーブ前で草原の丘を入れてみました。夕日の斜光の中で撮ってみたかったですね。


▲ 7:42、下樺~ 陀腰子間の撮影は、見渡せる丘になりました。大地が緑の絨毯で覆われる頃には、絵になったでしょうね。これが、我々が見た樺南林鉄の最後の走行でした。


▲  8:10陀腰子村に行って、昨日と同じ食堂での朝食です。田舎食堂でよく食べていますが、麺といい水餃子といい、中々のお味でした。ビールは、中国独特のアルコール度数の低いあっさり味の、ジャムスの松花江ビールです。
食事後の小竹先生は、農作業へと向かう農民の姿、息づく街を撮っておられました。私もカメラを向けましたが、モノには出来ませんでした。



▲ 9:53樺南林鉄の最後の訪問地は、樺南駅構内です。機務段前には、転車台がありました。これがあるならデルタ線は要らないのにと思いますが、どのように使用されていたのでしょうか。
機務段には、頑固なおじさんがいるので入らないようにと、王さんから待ったがかかりましたので望遠でパシャリです。
構内では新しい枕木の荷おろしが行われていました。これから建設される観光新線用なのでしょうか?

【今後の樺南林鉄】
撤去作業は、紅光~立新(約8キロ)で行われていましたが、立新~ 樺南(約37キロ)は、撤去は行われずにそのまま休線扱いで放置されるそうです。この不可思議な事はなぜとお聞きしましたら、財産管理、所有権確保のためだそうです。レールを撤去してしまうと、土地の所有権は林業局から国へと自動的に戻されます。レールをそのままにしておきますと、左右10mの土地の所有権が林業局に残ります。今後、残された路線での活用を目指すために財産管理、所有権確保は必要との判断だそうです。と、いっても立新~ 樺南で、列車営業の復活はありません。ここにある蒸気機関車は、これから建設される新線へと移送されてしまうからです。

新線は、ここから20キロ離れている場所に建設されることが決まっています。工事は、撤去完了後に行われるそうです。完成開業目標は、今年の6月中旬以降と申されます。えらく早い開業です。新線建設には、まず路盤を作って、レールを敷設しなければいけませんが、そんなに早く路盤が完成するとは思えません。問いますと、まず5キロを完成させて、様子を見ながら延伸するとの返答です。それでも、早すぎますので、後は推測ですが、どうも以前に森林を伐採して輸送した旧路線跡を再利用するようです。抗日戦争の記念碑も建設されるようで、これと合わせての観光路線になると申されました。

新線が出来るまでに、映画の撮影に近々利用されるそうです。これが、樺南林鉄に走る最後の列車になりそうですね。撮影日が分かればスクランブルされる方もおられるかも・・・。
最新情報は、ナローゲージ掲示板または小竹先生のHPに掲載されるかと思いますので、毎日ご覧ください。


▲ ハルピンに戻った夜は、「阿里河転じて樺南ツアー」となりましたが、結果良ければすべて良しの連日の宴です。美味しい羊肉しゃぶしゃぶとビール:白酒をいただきました。

この小竹直人ツアーに参加されましたのは、THさん、KSさん、OKさん、NSさん、MIさん、STさん、そして私の7名と案内人兼通訳2名の計10名でした。またどこかでお会いしたい熱心な中国鉄ちゃんの皆様です。楽しい時を一緒に持てまして、ありがとうございました。再見!

冒頭に掲載しました樺南林鉄の最後を見届けることへの結論ですが、王さんから問い合わせをしていただいた結果、イベント等は行われず静かに終るとの返答が来たと申されましたので、皆さんと一緒に見送った思い出にしました。
( ※ 小竹先生の最新のHPでは、ようやくレール撤去が終ったそうですので、私が再訪問していても最後を見送ることにはならなったようです。しかし、まだ枯れ野だった周囲の光景は、木々に若芽が吹き出し早春の様子です。撮っても良かったかなと思いました。)

旅の途中でO氏から、小竹先生に誘発されて2人ほど樺南林鉄に向かわれたとのメールを受取りました。樺南林鉄には、熱心な鉄ちゃんがおられたのですね。

2012年春の中国鉄路の旅       Part13  小竹直人企画「最後の樺南林業鉄道、撮影ツアー」その2

16日、最後の訪問地長春から、夜行寝台列車Z62次で北京へ、翌17日朝、北京からは昨年開通した京滬高速鉄道の商務車(グランクラス)に優雅に初乗車して、上海まで南下しました。上海から直ぐにJAL便に搭乗し、一昨日深夜の0時前に無事帰還いたしました。珍しく寝ずに待っていた家内の第一声は、「お帰りなさい。あらまあ、随分と引き締まった身体になったねえ! ぶよぶよ老人だったのに、お尻も上がって、足の筋肉はバリバリに硬くなってるよ! 凄いね。でもお腹は、元のままだねぇ。」 でした。毎日欠かさず、水代わりに何本も飲んでいたビールのせいですね。前回の44日間に続いて、今回も29日間に及ぶ長い旅でした。当分は、撮影写真の整理と投稿を続けながら、身体を休めます。

第16日目 5月4日 樺南林業鉄道撮影 2日目

今日は、ロビーに6時集合して、直ぐに樺南林鉄の起点の樺南駅へと向かいます。

▲ 今日の6:30の始発作業列車は、昨日同様に168号機が務めますが、機務段(機関区)から044号機も出てきて、デルタ線での方向転換に向かいました。両方とも動くようです。


▲ 6:38、市内の道路併用軌道には、作業員の乗る停車場がありました。ここで作業員数人を拾って、離合が出来る大金缸駅で途中停車してから、12.5キロ先の下樺駅へと向かって行きます。私達も後を追って、追い抜き、適当な場所での撮影ですが、今日は朝から厚い雲が覆っていて、芳ししカットは撮れません。


▲ 牛さん親子に協力を頼んでみましたが、子供さんにはそっぽを向かれました。頑張って、彩度を上げてみましたが、精々この程度までです。

▲ 下樺から 陀腰子までには、撮影ポイントは何カ所かはあるそうですが、移動時間を考慮すると、撮れるのは1ヶ所のみで、2ヶ所の移動は難しいとのO氏の説明です。今日はみんなで撮れると言う通称;電波塔のある丘からの撮影が良いだろうと、O氏の先導で上がりました。7:50、列車は、田畑の広がる方向から、街へと入ってきました。

陀腰子村の食堂で朝食後の9:05は、昨日のバイクに跨り、 紅光からの撤去が進行中の最先端まで行くことになりました。立新到着、先ではタバコが吸えない ( 規定では、下樺から先はタバコの持ち込みも不可。しかし、禁止区域内の陀腰子村の超市では売っている。 ) と、愛煙家の多いバイク運転手達への気配りのため?に、一服休憩を取ってから、再度跨って作業現場近くに着きました。

10:25、ここで、王さんは突然に大挙して作業現場に押し寄せると、拒否反応が出る。先ず、私が行って、和ませて了解を取ったら合図を送るので、それからに行った方が良いと申されます。了解です。

少し時間が経ってから、OK指示が出ました。但し、作業に差し支える、危険もあるので、作業員の前には出ないようにとの注意がありました。了解です。


▲ 既にレールとレールの継目板のボルトは、焼ききられたりして抜かれています。最徐行で作業車を走らせて。道床から剥ぎ取ったレールや枕木を積んでは進む作業が続けられていました。1日に進捗されるのは、約500mだそうです。予定では、5月15日前後には完了されるだろうと、申されました。
( ※ その後、王さんと長春でお会いした時には、単機回送中だったC2型機が、速度超過により脱線転覆して横転し、作業ができなくなった。運転手も負傷されたらしく、完了は19日以降に 順延されたとお聞きしました。)

レール撤去は、15kg/mの10mレールを二人で肩に担いで、貨車に乗せます。枕木もかなりの重さです。肩当を付けて、一気に肩に乗せて運びます。大変な重労働です。コツがいるのでしょうね、私にはとてもできません。再利用できない枕木は、そのまま放置されていました。
小竹先生は、みんなより一歩前に出て撮影されていました。さすがプロです。終焉への最後の姿を、より近くの目でカメラに納めておられます。勉強になりました。


▲ 片運転台のレールバスと、カブースの車内です。O氏は、まだレールバスが走っていた頃に地元住民よりはるかに高い運賃を支払って、乗車されたことがあると言われました。
列車は、レールと枕木を乗せると、前に少しずつ進みます。


▲ 15:37、ぼちぼち次の列車が、来るとの連絡が入りましたので、立新駅の下樺方面の上り勾配まで移動して待ちました。4両の貨車を牽引して、044号機が上がってきました。

撮りますと、急いで立新駅手前まで戻って、作業列車の到着を待ちます。まだ時間がありそうですので、駅へと駆け上がる勾配でも撮りたいと、行こうとしましたが、バイクの運転手達は、なぜかご機嫌斜めです。
それでもバイクに跨り、無理やり走らせる者あり、仕方なく歩いて向かう者あり、ここで待つ者あり状態になりました。
私は、運転手に振られて歩くことになりました。
立新駅構内で止まって考え込む先方の一団に追いつきました。どうされましたかと、お聞きますと、先まで行った場合は、撮影本命の山の中腹まで戻れるかどうか、時間的に一抹の不安があるのでどうしようかと迷っていると申されます。それを聞いては、健脚ではない私には、より以上のリスクがあります。迷わず、安全確実を選択せざるをえないと言って、引き返すことにしました。ここで、強行される方と、確実を選択される方に分かれました。


▲ 立新駅を俯瞰できる、昨日も来た山に登って、カメラを構えて待つと、16:17に作業を終えた人民とレール・枕木を乗せた列車が、上がってきました。C2型蒸気機関車が2台並ぶ姿は、樺南林鉄では初めて見ました。かつて華やかであった頃は、ここでは、上り下りの列車交換がありました。そして、下樺方面に向かう石炭満載列車の後補機として、反対側の蒸気機関車が、急勾配が続く峠まで後押しをしました。峠では一旦停車、連結を解除して立新駅へと単機で戻り、再び空貨車を牽引して紅光へと向かいました。
一方、峠から下る列車には直通ブレーキがありません。冬季にはマイナス30℃前後になるこの地では、ブレーキ係員を手動ブレーキ付き貨車に分散して、配置乗車することは出来なかったでしょう。峠で停車中に予めブレーキをかけておいて、下山中に暴走しないようにしていたと、O氏からの説明をお聞きしていました。


▲ 今まで厚い雲に覆われていましたが、突然明るくなり雲の切れ間から、斜光がさしてきました。

▲ 作業列車を牽引してきた168号機はカブースを切り離し、044号機と共に複雑な入替作業をしながら、給水をします。これを見ていました皆さんから、かつてのようにPP (プッシュプル編成) が見たいなあとの希望が出ました。すかさず、小竹先生から王さんにダメもとでも良いから、交渉に行ってくれとの指示が出ました。結果はOKです。経験者の皆さん、こんな編成でPPを撮れるなんて初めてだ、最高と歓声です。
16:41PP列車が発車しました。 ③ 薄日にはなりましたが、橋を渡り向かってきます。 ④ あれ
あれ、②③で見ている時は、完全にPPだと見えていましたが、連結されずの続行です。ちょっとがっかりでした。

撮影後は直ぐにバイクに跨り、下山します。昨日撮り逃がした、夕日バックのカットが撮りたいと必死ですが、 陀腰子駅まで疾走しても、下山する列車のほうが早く、追いつけませんでした。しかし、昨日今日と、皆が降りて歩く橋やレール跨ぎ、そして急な下り坂も、もろともせずに無停車で爆走を続ける、バイクに乗られたNSさんは、真っ先のご到着でした。恐怖に我慢して、耐えられましたご褒美として、陀腰子駅入線から発車まで、余裕ある撮影が出来たようです。私なら、失神ものです。


▲ かつて満蒙開拓団として、20数万人の日本人が送り込まれた満州、その1つの 陀腰子村です。農地には、今も水田があり、稲作文化が残っています。敗戦後は、村を追われて近くの収容所へと入れられましたが、満州での他の地区とは違って、比較的混乱は少なかったと言われています。しかし、残留孤児として、苦難に満ちた人生を送られた方もおられました。
今の村は、殆ど当時のままの姿で残っているように思えます。村には、元気な子供たちがたくさんいました。子供たちの声が聞こえる所には、将来があります。この林鉄は、時代の流れの中に消えていきますが、子供の声だけは、いつまでも残って欲しいと思いました。

ここで後続の皆さんを待ちますが、1台帰ってきません。よもやと心配しましたが、バイクにトラブルがあったそうです。昨日も入れると、途中でガス欠・パンク等々でのトラブルがありましたが、転倒等の怪我のトラブルはなく、無事2日間のバイク乗車での撮影は、無事に終了しました。

さあ、ここからチャーターバスでの追いかけを再開ですが、バスが来ません。王さん、バスの運転手に電話をすると、農作業を終えたトラクター達や牛車の帰宅ラッシュに巻き込まれて、離合も出来ない狭い道で進めないとの報告が返ってきました。
▲ 17:40過ぎにようやくバスが来ましたが、追っかけをするには、もう無理です。下樺駅方面への線路沿いの道を諦め、新道を走って樺南市内へと向かいました。

列車を捕らえられたのは、朝撮った道路併用軌道の作業員用停留所でした。既に宵闇が迫っていました。


▲ 昼は、ビールにパンやソーセージの軽食しかありませんので、今日の夕食は、東北料理の数々の食べ放題と、ビール・白酒の飲み放題です。昨日、飲みすぎたので少し控えめにしようと思っていましたが、貧乏性で飲み出したら止まりませんでした。

2012年春の中国鉄路の旅       Part12  小竹直人企画「最後の樺南林業鉄道、撮影ツアー」その1

第15日目 5月3日 樺南林業鉄道撮影 1日目

ようやく今回の旅も半ばとなりました。昨夕合流した今回のツアー参加者は、7名です。リーダーの小竹直人先生の他に、通訳兼案内人の中国人の王国軍さん、紅1点のアシスタントの王森玲さんを入れると10名になります。
参加者の方々は、 新潟の柏崎市からお越しのTYさんを除いては、中国鉄ちゃん歴が長い方ばかりで、大先輩です。TYさんも訪中は何回かされておられますが、中々鉄道撮影の機会がなかったと話されていました。

教えてもらう事が多い旅となりますが、昨日早速に愛用NIKON300Sの具合が良くない。明るい所でもピントが合わず、シャッターが切れないので困っていると相談しましたら、同じNIKONを使っておられる小竹先生はじめ、STさん、NHさん等から、「今どんなセッティングをされていますか? ふむ、ふむ・・、それなら、このようにした方が良いです。・・・どうですか?」 と、懇切丁寧に教えていただきました。教えてもらったセッティングに変えますと、あら不思議!、今迄が嘘のように快調にシャッターが切れるようになりました。ツアーに参加しますと、今迄知らなかった事( と、いうより不勉強 ) を、教えていただく機会にもなります。参加の大きなメリットの1番目でした。

フイルムカメラ時代は、使用するフイルムの選択、シャッタースピード、絞りのマッティングと、レンズやフィルターの差し替え等が、テクニックでしたが、デジタルカメラとなってからは、誰でもオートで、それなりの写真が撮れるようになりました。もっと描写を必要と望む人には、数々のセッティングを選択することが出来ます。しかしそれには、カメラの持つ様々の機能を熟知する必要があります。残念ながら、ボケが入ってきた老人には、教えてもらって、また勉強しても直ぐに忘れていきます。困った事ですが、乗り越えないと、狙ったカットは撮れないのでしょうね。、

昨夜の睡眠時間は、わずか約4時間弱でしたが、みなさん元気に朝7時半には1階ロビーに集合して、チャーターバスに乗車しました。

▲ 7:38、樺南林鉄の始発駅に到着しました。作業列車は、6時半頃に出ていましたが、機務段(機関区)には、C2-044号機が息づいているのが見えました。

▲ 先に出た列車を追いかける事になりました。8:25、樺南ファンには有名な、陀腰子の肉屋自宅に到着、ここで持てない不要な物は預けて、バイクに跨ります。私は、台湾と芭石鉄道での経験はありますが、怖くて不安です。8時30分過ぎには出発しました。


▲ ここからは、線路沿いの狭い犬走りを山に向かって一直線に走ります。橋があると、降りて渡れば、また乗ります。犬走りも左から右へ、また左へと走路を替えますので、その度に降りて、乗るの繰り返しです。

▲ 山に入ると急坂ですので、降りて上がり、また乗ってカーブが続く犬走りを快走します。走行スピードは、30~50km/hと、スリル感は満点です。怖い私は、必至でしがみ付いての乗車でした。
樺南はご覧のとおり、新緑にはほど遠く、雪解けが終わったばかりです。所々に残雪がありました。泥濘道も多くなってきました。時々、後輪がながれるので、ヒヤヒヤです。降ろしてもらって歩きます。
9:25、ようやく待ってもらっていた作業列車が見えました。峠の立新駅に到着です。


▲ 今は勿論使われていない 立新駅舎です。1974年の表示がありました。右は、休憩所です。かつて撮影華やかだった頃には、雑貨屋があって、奥の部屋は、泊まれる民宿になっていたそうです。最初は、2食付で50元(約650円)だった宿も、鉄ちゃんが押し寄せるようになってからは、100元、150元と値上げしていき、最後の頃には300元(約3,900円)にもなったと、小竹先生は言われていました。ここに何泊もされているO氏は、ひどい時はギシギシで詰め込まれて、身体を横にしないと寝れなかった。みんなは、ここを立新貧館と呼ぶと、分りやすい説明を入れてくださいました。


▲ 作業列車は、C2 +カブース+レールバス+貨車3両で編成されていました。このレールバスは、個人経営で線路を借りて、客を乗せて運行していたそうです。片運転台で、シートは木張りのクロスシートです。


▲ 9:30、給水を終えたC2-168号機は、ゆっくりと撤去作業現場へと推進運転で下りて行きました。

▲ 作業列車を見送った後は、
樺南方向から、もう1台の044号機も上がって来ます。王さん、下山してカマに乗り込み、煙演出をお願いします。11:57、王さんを乗せた044号機が上ってきました。煙のサービスです。この後2回も、フォットランをしました。


▲ 手前に引きつけてのカットを望みましたが、止まってしまい、先ほどまで我々の傍から離れなかったおじさんを乗せて立新駅に上がっていきました。どうしたのと聞きましたら、樺南名物の「おねだり」です。自分には何も行き渡らなかったので、こちらに来たわけです。タバコを渡して、一件落着ですが、ここまでくると、もう駄目ですね。おねだり癖が染みついています。


▲ 12:55、再び立新駅まで上がりますと、機回しを終えた044号機は、給水です。しかし、良く給水設備を残してありましたね。石炭は、貨車に積んでも運べますが、水は大量に必要ですから、なければ走れません。


▲ 14:07、044号機は、道床から剥ぎ取った枕木を積んだ貨車を牽引して、山から降ろします。O氏お奨めの場所に行って、全員で撮りました。

15:40、今度は、立新から先の撤去現場最前線に行く事になりました。初めて私が先頭になって、下ります。10台もバイクが犬走りを走るのは、壮観です。
しかし、途中でレール切り作業を終えたおじさん、おばさん4人が、ボンベを犬走りに置いて待っていますので、通れません。
もうじき引き揚げ列車が来るので、もっと手前で撮りなさいと言われました。
私には、どこが良いのか分りませんが、この地での撮影経験者ばかりです。誰かが、「じゃあ、あそこにしましょう。」と言えば、すぐに「そうだな、あそこがいいなあ。」 と、直ぐに相槌が返ってきます。最後尾のバイクが、反対方向に向きを変えて、もと来た道を上がっていきました。

▲ 16:10、作業を終えた工事人達と、剥がしたレール、枕木を積んで列車がやってきました。春が来たとはいえ、まだ冬枯れの山に白樺の白さが引き立ちます。これが、樺南だったのですね。ただ、これで白煙でも良いので、出てくれば最高ですが・・・。


▲ これで引き揚げかと思いましたが、まだまだ追っかけがありました。立新駅での給水作業中に追い抜きました。撮影場所は、みなさん好みでバラバラになりましたが、私は小高い山に登って、立新駅をバックに入れたカットにしました。斜光には、逆光でしたが、山里の駅を出て走る雰囲気は出ました。煙があると、もっと良いのですが・・・。

▲ 陀腰子のこの村には、悲しい物語があります。開拓団のみなさんが、遠く故郷を思い浮かべながら、家の門は鳥居形にしました。今も残り、鉄製の新しい門までできていました。O氏からもお話を聞きましたが、投稿しています中国では、こういったプログや歴史については、アクセスが出来ないようになっていますので、また改めて調べて掲載します。

▲ 今日は、素晴らしい夕焼けが見られると期待して、追っかけを続けていただきましたが、追い抜けたのは、樺南市内に入ってからで、断念しました。


▲ 19:15、一旦ホテルの部屋に荷物を置いてから、夕食です。今夜は、羊肉しゃぶしゃぶ食べ放題、飲み放題です。王さんにタレのブレンドを各自頼んで、肉を鍋に入れますと、瞬く間になくなってしまいます。男9人ですから、食べるのは早い早い、ゆっくりビールも飲ませてもらえませんでしたが、追加、追加でたっぷり食べ、白酒もたっぷりといただきました。鍋の閉めは、鄭州で見たフィ麺ではありませんか。
明日は、早いので早くに部屋に戻って、即睡眠でした。