雪景色(2)矢立峠・青森県側

下の2枚は、峠を越え、青森県側で大晦日に撮影した補機付きです。
 1966
年元日、矢立温泉、鉄橋を行く列車が見える寒い部屋で起床。朝食もそこそこに出かけました。雪は止んで少し青空が見えたが、すぐにまた雪空になって来ました。
  国道を通り津軽湯ノ沢方面に向け峠を下ります。この日もダイアは雪で乱れていました。トンネルを出たところのカーブが今日の撮影の中心地です。
  DF50曳く急行『第1津軽』が峠を下りました、補機は峠の登り列車にも付きません。『出世列車』と呼ばれた「津軽」、上下・第12の計4本があります。間違っても『出征列車』と呼ばないでください。後部から順に、マニ、オロネ、オロ、オハネ2両、その前はナハ10系ですか。補機が付かないのは相当軽量化された編成なのでしょうか。客車に詳しい会員諸氏へ、編成に間違いはないでしょうか。

普通列車も補機付で登って来ます。せっかくの補機をと意気込むが巻き上がる粉雪と蒸気が邪魔になります。

上り急行日本海が登ってきました。オユ、オロ61、スハネ30などが見えます。秋田で1両を、新潟からはさらに2両を増結、編成方向を逆にして大阪に向かいます。


  雪国で、見て楽しいのは、天気のよい日の墨絵のような山々、雪によく映える蒸気機関車。逆に辛いのは寒さ。特に風には弱かった。粉雪や弱い吹雪程度なら大丈夫でも、強い風と吹雪には参ることが多かった。現代のように手軽で便利な使い捨てカイロなどがない時代で、「桐灰懐炉」なるものを携帯していました。ハッキン懐炉もまだない時代です。『フーフー』しながら灰の先に上手に火を付け、上下に針のついた細長い空間に収め、金属製で外側に繊維粉が糊着(フロッキー加工と呼ぶ)された金物の容器のふたを閉めて使う代物でした。肌に近づければとても熱いし、服の上からではなかなか温まらない代物、それでも寒さを少しばかり凌いだのでありました。  それに吹雪では、遠景の見通しが利かず、写真も良く撮れません。

峠を下り、140分遅れの客車で碇ヶ関に着きました。碇ヶ関の構内風景です。
矢立峠も二度訪れたのですが、翌年は吹雪が激しくて結局、陣場駅近くで撮影するのみでありました。 
 次回は花輪線です。偶然にも当会会員とばったり出くわすことがありました。ローズ・Yさんと現在の大阪通信員さんです。お楽しみに。