2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part2 大連路面電車

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大連
は、日露戦争後の1905年、ポーツマス条約により日本の租借地である関東州に入りました。都市計画を進めるための路面電車建設については、南満州鉄道運輸部運輸課電気係が当初を担当しました。1909年9月25日に大桟橋(大栈桥)から電気遊園(电气游园)間、2.45キロ(DC750V、ゲージ1,435㎜)の路面軌道を開業したのが、大連路面電車(大连有轨电车)始まりです。
最初の電車は車体は米国製、台枠は英国製、電気部品はドイツ製と国際都市らしく、木造11車型電車37両が投入されました。会社名は、後に「満電鉄課」と改称され、1927年には営業路線も33.80キロに延伸、車両数も100数両となり、ピークを迎え市内ネットワークが完成しました。何度か替わった社名は、「大連都市交通」と再度改称されています。

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