ご無沙汰です

関係者のご苦労で投稿環境を正常に戻していただき感謝申し上げます。
さて、私こと、掲示板に投稿しなければの強迫観念にとらわれて続けて数ヵ月、もがけばもがくほど、手はキーボードから遠ざかっています。
そんな時、先週末上京した際に、準特急さんと、元気に病後復帰されたT田さんの2人ともに、京浜急行・江ノ電へ行く機会がありました。
ここで、掲示板を思う準特急さんの並々ならぬ情熱を聞かせていただき、痛く心を打たれました。
掲示板が内部のツールだけでなく、斯界のオピニオンリーダーたちも熟読されており、クローバー会の重要な発信源として機能していると言われます。おっしゃるに、投稿も大事だが、コメントはもっと大事と言われます。本掲示板の特徴でもある、双方向のコミュニケーションを発揮することが大事なのです。
準特急さんは、今後の掲示板のテーマとして
・定点撮影-昔と今の同一地点を対比
・譲渡車両-同一車両を譲渡先ごとに比較
・思わぬ出会い-譲渡先であり得ない車両の出会い
を挙げられています。これらは、一朝一夕にはできない、準特急さんのように半世紀以上に渡って地道に記録を続けられてきた人間のみに可能です。
最近の新参趣味者の物量攻撃に辟易している特派員にとっては、一筋の光明を見た思いでした。
何か勇気づけられた気がした一日でありました。要は気負うことなく自然体で掲示板に立ち向かうことが大事なのでしょう。今回は、ひとまず当日の成果をご覧いただきましょう。

京急を訪れた目的は残り少ない1000形をとらえること。大師線、逗子線も回ってみたが、車庫に休んでいるだけで、昼間の稼動車はなかった。そこで、地元お住まいのT田さんのご案内で、京急線南部の撮影へ向かった。横浜を過ぎると丘陵部を走り展望は開けるが、住宅が建て込んで撮影には不向きだ。ホームからの撮影に切り替えスタンバイしたのは、京急富岡駅。短いトンネルを突き抜けて快走する2100形の快特をとらえることができた。

つぎに訪れたのは、逗子線の六浦~神武寺間。先日の京急の改正で、逗子線では新逗子から羽田空港へ直通する「エアーポート急行」が日中20分ヘッドで走るようになり、羽田シフトがより鮮明になった。この区間、横浜市と逗子市の境の山間区間に当たり、人家がほとんどない。とくにトンネルの神武寺側には池沿いに走り、背後の山も米軍池子住宅の用地で自然のまま残されている。準特急さんはこの池を入れて数十年前に撮られたことがあるそうだ。

午後からは久しぶりの江ノ電訪問となった。都会的ではあるが、どこか田舎の風情を残したこの沿線の風情はいつ来ても清々しく迎えてくれる。製造後50年となった300形の残る1編成305+355も、「江ノ電開業100周年」のヘッドマークを掲げて元気に走っていた。江ノ電・嵐電提携を記念した嵐電カラーの1000形1552+15021も走っていた。

この日の締めくくりは定番の鎌倉高校前である。目前は江ノ島、傾きかけた陽を受けて初夏の海がキラキラ輝いている。直前まで大渋滞していた道路だったが、急に両方向とも車が消えた。見通しがよければ、ちょうどこの向こうに富士山が見えるはずだ。冬の寒いとき、冠雪した富士山を撮りにもう一度訪れてみたい。