2019年 凍てつく大地への旅 Part9 遼寧振興生態造紙を撮る その2

ここ盤錦付近は中国3大油田の1つ遼河油田(りょうがゆでん)もあります。満州時代の昭和12年にはボーリング調査が始まりましたがなぜか本格的な調査には至らず途中で探鉱は中止されました。開戦により南方資源地帯確保が出来たためとも言われていますが、もし進められていましたら南方と繋がる制海権を失ってからも安定した石油供給を確保できたでしょうから戦局も変わっていたかも、そもそも開戦にも至らずになっていたかもと思われます。また当時は中国大陸に油田は存在しないといった説が圧倒的で、発見されたとしても掘削・精製など戦前の日本の技術力・国力からは製品化は難しかったようです。
戦後、満州内には開国なった中華人民共和国の手によって1963年に大慶油田
1973年に遼河油田の大油田が発見、生産開始されて最盛期には日本にも輸出されてその量は日本の原油輸入量の3割に相当する年間5000万トン以上の生産量を誇りました。
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