2019年 凍てつく大地への旅 Part9 遼寧振興生態造紙を撮る その2

ここ盤錦付近は中国3大油田の1つ遼河油田(りょうがゆでん)もあります。満州時代の昭和12年にはボーリング調査が始まりましたがなぜか本格的な調査には至らず途中で探鉱は中止されました。開戦により南方資源地帯確保が出来たためとも言われていますが、もし進められていましたら南方と繋がる制海権を失ってからも安定した石油供給を確保できたでしょうから戦局も変わっていたかも、そもそも開戦にも至らずになっていたかもと思われます。また当時は中国大陸に油田は存在しないといった説が圧倒的で、発見されたとしても掘削・精製など戦前の日本の技術力・国力からは製品化は難しかったようです。
戦後、満州内には開国なった中華人民共和国の手によって1963年に大慶油田
1973年に遼河油田の大油田が発見、生産開始されて最盛期には日本にも輸出されてその量は日本の原油輸入量の3割に相当する年間5000万トン以上の生産量を誇りました。

第5日目 1月14日 その2

東郭大街との交差点から本務機だったDL3号機も工場へと戻っていきました。一路順風 さんはもう今日は葦トレインが走る事はないと言い切られます。まだ帰るには早すぎますので先ほど見た作業車を見に行こうとなりました。
▲ 15:43 保線作業を続けておられましたが夕陽が傾いてきました。作業も切り上げのようです。

▲ 15:49 満州の荒野に夕日が沈むころに作業列車の発車です。追っかけ開始しました。

▲ 16:01 東郭大街に入ってきました。スイッチバックに協力する補機は工場に引き上げています。どうするのでしょうか?

▲ 16:03 列車に乗っておられた保線区員が一人降りられて手を振りながらの大通りの交通遮断です。列車の運転手はバック推進運転で交差点を渡っていきます。

▲ 16:06 交差点から先の信号所で機回しです。

▲ 16:12 凍結した運河に夕陽が反射しています。夕陽を背に受けて工場へと戻っていく作業車列車を見送って今日の撮影を切り上げました。

◀ いつも走行情報を教えていただく食堂に戻ってビールを飲んで打ち上げです。

ビールの生産地は遠く河南省鄭州で初めて飲むビールです。なぜに地元の雪花やハルピンビールではないのでしょうね。
▲ 19:10 食堂に充電中だったタブレットを忘れる大失態をまたも起こしました。幸いにして車に乗ってから気づくのが早く列車の改札時刻に遅れることなく盤錦站に到着出来ました。

③ 盤錦 19:18(D33)⇒21:05 大連

▲ 19:16 駅舎の2階待合室から連絡橋を通ってホームへ下ります。エスカレータ手前には防寒のためにシャッターが設置されています。

▲ 20:56 北京始発大連行きのD33は、CRH5G系の8両×2の16両編成です。大連までの312㌔を1時間47分、平均速度は175km/hと快走します。かつて在来線では約5時間前後かかる行程でしたので楽になりました。

▲ 21:05 定刻に大連到着、宿は駅前のビジネスホテルです。明日は大連空港から帰国される一路順風さんとはお別れです。一方の私は久しぶりに大連市電乗り鉄、撮り鉄とメトロが開業しましたので乗り鉄する予定です。明日に備えて熟睡でした。
Part 10 へ続く

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