2019年 凍てつく大地への旅 Part8 遼寧振興生態造紙を撮る その1

インフルに感染してからは身体不好で集中力がなくなり、投稿原稿作成が停まってしまいました。ようやく復調?なったようですので続けさせていただきます。
▲ 8:50 昨夕からの移動軌跡です。4列車を乗り継いで1,086㌔、旧満州を南下して
盤錦(ばんきん)へと着きました。


第5日目 1月14日 その1

① ハルピン東 23:34(K1010)⇒ 7:16 瀋陽
② 瀋陽 7:49(G8082)⇒ 8:50 盤錦

◀ 瀋陽站では瀋陽空港から帰国される皆さんとお別れ、一路順風さんと私の二人は高速鉄道に乗り換えて、一路順風さんお薦めの盤錦へと向かいます。
どんなナローゲージ鉄道が走っているのか楽しみです。

▲ 7:27 2012年7月30日にリニューアル完成なった橋上駅の出発ロビー待合室。


▲ 7:37 発車15分前に改札開始です。

◀ 今日の最高速度は今までで最も速い307km/h、快調に盤錦へ向かいます。
車窓は往路と同様の晴天ですが遠くは霞んでいます。

▲ 8:50 定刻に盤錦到着。2013年8月10日竣工されたホーム7面13線の盤錦站です。出口には以前お世話のなったフライアッシュで有名だった阜新の住民、さんがお待ちでした。

【 遼寧振興生態造紙 】
今まで訪問した中国のナローゲージ鉄道は一部塩を輸送、それ以外の殆どが石炭輸送でした。ここに来るまで調べてはいませんでしたので楽しみでしたが、なんと河川や湖沼の水際の湿地帯で生えている「葦」を輸送する鉄道でした。
この6mにも成長する葦はサトウキビのように刈り取り干してからトロッコに乗せられて工場に運ばれます。工場ではチップ状に切断、溶解されて紙になります。
運ばれていく姿はインドネシアや台湾で見たシュガートレインと被るものがあります。併用軌道もあるそうで楽しみでした。

【 中国での製紙の歴史 】
最近の中国はパクリとコピーの国となっていますが数年前の古代中国は全く逆で創造性、創意工夫に富み、他の文明よりも先んじていました。中でも「印刷火薬羅針盤」は四大発明と言われ、後世の私たちもその恩恵を受けています。
その1つの「
紙」は特定の人物が発明したというより、古綿やぼろ布を洗濯してそのまま置きっぱなしにし、それが風化して乾燥して文字を書けるようになっったのが発祥だそうです。放置している間に繊維が分散され製紙段階になってしまったものと思われます。
自然発生、偶然に誕生した紙はその後書写の道具として改良されていきましたが、まだまだ原始的手法で製造され量産されるまでには至りません。中国では紀元前2世紀頃の遺跡から紙の原形が発掘されています。しかし文字は陶器や骨に刻まれたり、平たくした竹に書写する竹簡(ちっかん)や木簡(もっかん)が中心でした。

紙が画期的な書写の道具となったのは西暦75年頃、皇帝から実験を命じられた宦官の蔡倫(さいりん)は様々な紙の材料を試し西暦105年に「蔡侯紙(さいこうし)」を完成し献上しました。その後数百年をかけて繊維状に溶解された材料を簾ですく製造法も確立されていき大量生産も可能になっていきます。また材料も中国では資源豊富な竹、葦、バカス(サトウキビの搾りかす)、小麦の藁と多種にわたっていきました。職人たちの手改良により紙質が良くなり竹簡からの移行が進んでいきました。

【 和紙
日本に紙の製造技術が伝来したのは諸説ありますが3~6世紀頃、高句麗経由であったと言われています。研究・改良を経てコウゾを原料として質や美意識がより追求されました。結果、他に例を見ないほど丁寧で繊細な紙漉きの技術を発展させ、遣唐使時代には中国に逆輸入されて珍重されています。日本のモノづくりの良さは当時からあったようです。和紙は2014年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。

【 満州での製紙業 】
王子製紙の子会社、錦州パルプ錦州工場の建設は昭和14年に始まり昭和17年に完成しました。錦州工場は奉天(瀋陽)~山海関の中間辺り大凌河東側に広がる湿原に位置します。広大な湿原に繁殖した葦を採取して製紙業が始まりました。運搬のためにナローゲージによる鉄道が敷設されガソリン機関車が投入されたのが今回訪問する鉄道です。
敗戦後引き継がれた金城造紙の記事は
一路順風さんのHP、こちらへ
新たに設立された遼寧振興生態造紙の記事は一路順風さんのHP、こちらへ

▲ 10:12 盘锦站から谷さんの愛車に乗車してナローゲージが東郭大街と交差する地点に到着しました。工場から出たナローはこの大通りを横切って反対側に出ます。そしてスイッチバックして刈り場へと向かうそうです。待機しています1両のディーゼル機関車はこのスイッチバック作業に必要だそうです。この待機車がここにいるという事はトロッコ列車がもうすぐに来ることなるとの事です。

▲ 10:48 待つ事約30分余り、専用軌道の向こうから青い影が近づいてきました。

▲ 10:49 待機していた補機DLが大通りを渡った後、本務機はトロッコを離して単機で渡っていきます。

▲ 10:51 本務機がスイッチバックを済ませた後、補機が再度大通りを渡って空トロッコ列車を牽引してきました。ご覧の通り道路に信号はなく、踏切番のおじさん一人の手旗信号で作業が進んでいます。

▲ 10:54 再び本務機は空コンテナ列車の先頭になって発車していきました。

▲ 11:09 先程の現場に戻ってみますと葦を圧縮してロール状に丸めたものを満載したトラックが停まっていました。トラックにはこんな風にして積み込むのか?

▲ 11:12 追っかけていきますと凍結した運河に沿った路線途中で作業車編成が何やら路盤工事をしている光景に出会いました。中々見る事が出来ない光景です。

 

▲ 11:11 作業車編成と空トロッコ編成との交換が見られました。

▲ 作業車編成です。機関車後には工具でも入っているのか「ワム」のような有蓋車1両、1両のトロッコを挟んで3両の作業員輸送車が連結されています。ストーブ煖房があるわけはなく厚いカーテンで冷気を遮断しているのみです。この後ろには5両の平車がレールを乗せていました。レール交換でもしていたようです。

▲ 12:00 このナローゲージ鉄道の状況についていつも情報をもらうという地元の食堂に挨拶に伺い、ついでに昼食です。ここはバイキングで好きなものを取りますが、余り空腹感がなかったので少ない目にしました。

▲ 12:20 一路順風さんから工場から北の方へ行く路線もある。トロッコが行くかもしれないと言うので向かいましたが路線近くへ行く道路がありません。遠くから数10両もの長いトロッコ編成を見送るのみになりました。丁度工場からのデルタ線を通過するあたりで機関助手がポイントを転換しているのが見えました。

 

▲ 13:07 再び現場に戻ると車幅の3倍以上もの葦を満載したトラックが横道に入って行くのが見えました。本道から入った門にはトラックの積載重量測定所が設置されています。これはインドネシアでも見かけましたが、各トラック別にいくら収穫したかを記録します。
運び込まれた葦はアーム付きのマシーンで積まれていきます。その周りを囲むように避雷針が設置されていました。落雷があればすぐに収穫した葦が燃えてしまうので防火対策のようです。

▲ 13:20 待っていました葦を満載したトロッコ列車が遥か向こうの集葦場からやって来ました。シュガートレインとかわりありませんね。追っかけ開始です。

▲ 13:28 作業車編成と2回目の交換です。

▲ 13:32 谷さんがお墓と呼ばれるお寺前を通過です。▲ 13:41 東郭大街に入ってきました。一応道路との併用軌道ですが自動車が通る事はないでしょうね。

▲ 13:43 大通りを横断する前に小休止です。何処からか現れたおばさんが積載された葦の束を選んで引き抜いています。トロッコから突出しないように整理されているのか、それともお持ち帰りになるのでしょうか?

今の気温です。満州も南下して来たので日中では零下になる事はありません。

▲ 13:47 待機していたDL8号機が大通りを渡って葦積載列車を連結してきました。

▲ 13:49 本務機だったDL3号機は追うように単機で工場へ向かいます。
  Part 9へ続く

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