2012年 春の中国鉄路の旅       Part22  北朝鮮国境の町 图们(도문=図们)から长春へ

前回に引き続いての長い旅も終盤になりました。後4日間と思うと、無性に我が家が恋しくなり始めました。今日は、夜行列車で长春まで戻ります。1歩我が家に近づく思いで、朝を迎えました。
約67年前になりますが、満蒙開拓団の皆さん方が苦労を重ねて荒野を開墾して、ようやく豊かになってきたかと思ったら敗戦によって大地を追われて、帰国しなければならなくなった無念さは計り知れません。望郷への思いは、この数百倍、いや数万倍以上だったろうと、満州をまわり、この地にいますと感じずにおられません。

第25日目 5月13日  図们2日目

図们22:02(2168次)→7:18长春  528キロ 9時間16分

今日の朝は、昨日とうって変わって雨がふっています。昨日ロケハンを怠りましたが、地図上で撮ってみたい撮影地がありました。小雨に変るのを待ってから、出かける事にしました。雨を避けてTaxi(5元=約80円)で向かいました。

▲ 7;24、途中で寄った道口から何気なく撮った图们の機務段ですが、帰国後に見ると、1番左の車両に興味がわきました。

線路に枕木が置かれているので、普段は使用されないのだろうと推測しますが、正面の顔が面白すぎます。運転席窓ガラス位置に目の玉のようなライトを装着しています。アニメのキャラのようにも見えます。その時にもっと早くに気づいて近くから撮っていれば、もっと詳細に分かったでしょうが、まか不思議な車両です。


▲ 地図上では、図们に来る列車が撮れるかなと思って来ました地方路線に良くある道口です。踏切番のおじさんに挨拶すると、「そうかい、日本から来たのかい。東北の震災は大変な出来事だったね。さあ、中に入って。」 と、フレンドリーに迎えてくださいました。やはり、親日的な朝鮮族の方です。この踏切は4人体制でやっていると、仕事の段取りを説明してくれます。ベットのようなものは、オンドルになっていて外から石炭を入れて暖めていました。注目したのは、日めくり式の通過時刻表で、日本で見たのと同じ様式です。列車が来るまでは踏切番小屋で、お話を聞きながら雨宿りさせていただきました。
中々返答を聞けなかった国境の鉄道橋の件ですが、1ヶ月に1回ぐらい北朝鮮への列車が往来するそうです。どんな物を運ぶのか、日程は分かるのかも聞いてみましたが、その時でないと分からないと申されていました。



▲ アウトカーブになっているので、もう少し編成を入れたカットが撮れると思ってきましたが、カーブの曲がりが今一少なく正面ぽいカットしか取れませんでした。
7:51、右は、长春~図们を走る往路で乗車したK7323次、528キロを11時間8分で結びます。本来は、北京~図们に使われ、間合い運用になっています。
8:12、左は、ハルピン~図们を走る2038次、582キロを12時間24分で乗換えなしで結びます。こちらは长春~図们にも間合い運用で使用されています。
今はすくなくなりましたが、かつて国鉄時代には、日本でも数多くの列車に間合い運用が行われていましたが、中国鉄路では間合いとは言えないような長距離列車の共通運用が行われています。


▲ 8:51、撮影場所を替えて図们江を渡る牡丹江方面への牡図線鉄橋を目指して、降りしきる雨の中を歩きましたが、先に渡ってしまった貨物列車が図们駅手前で止まってしまって動きません。単線ですので、待っていても次の列車が通れません。味気ないコンクリート橋だったのと、さらに雨脚が強くなってきましたので撮影意欲は減退です。お腹も減ってきたので引き揚げることにしました。駅前までは、約40分弱でした。

▲ 駅前食堂で刀削面を注文しました。ビールは、吉林の氷川啤酒ですが、この辺りは雑貨屋でも冷やしています。やはりビールは冷えてこそ美味しいですね

ホテルに戻ってからは、雨がやむまでPC作業でした。
夕方近くには雨も上がり日差しがさして来ましたので町を散歩しました。帰ってくると、玄関口にホテルの従業員のお姉さんが待っていて、日本語で話しかけてきます。

聞けば、「お兄さんが東京の大学に留学していたので、呼んでもらって、2年間一緒に住んでいました。日本人が泊まっていると聞いて、懐かしいので是非に日本語で話をしたい。時間はありますか。」 と、言われて話を始められました。

「私は、朝鮮族で今は結婚して子供もいますが、15年前に日本に行きました。当時は日本に行くと友達たちに言うと随分羨ましがれました。2年間、東京でビル内の清掃、焼肉屋でのアルバイトを一生懸命しました。会社の社長さんはじめ皆さんからもやさしくしてもらった事を忘れていません。帰国後は、日本で働いて貯めたお金で、ホテル前にあるマンションを15万元(約200万円)で買って両親にプレゼントできました。今は20万元以上にもなっています。子供もいるので行けませんが、機会が出来ればもう一度日本に行きたいです。」 と、申されます。
また、「韓国にも4年間行きましたが、同じ民族なのに厳しく対応されました。お金も貯まらなかったです。中国に帰国しても漢族が威張っていて朝鮮族をさげすみます。特に女性は、日本や韓国と比べてやさしくなく正反対でとても怖いです。図们では朝鮮族が多いのですが、漢族と結婚して籍を移すので、だんだん朝鮮族と言われる人が少なくなってきています。」 と、流暢な日本語で話を続けられました。

このまま聞いていると夜になろうかと心配しましたが、携帯が鳴って急いで去られましたが、余ほど日本での暮らしが良かったのでしょうね、生活環境等々も語ってくれました。
こんな調子で、思えば公園のおばさんも親日派でした。町行く人や市場の人とも少しですが話をしても日本人と言いますと、口調が和らいでの対応でした。

「図们は親日派が多い。」、これが私が接して感じた図们の印象です。
図に乗って、ホテルの延長料金の値切りをやりましたが、これは直ぐに却下されました。


▲ 夜は、再び街に出て昼間見つけておいた餃子屋へ参りました。上に串街とありますが、その中の一角です。ワンタン風ですが、大変美味でした。


▲ 図们からの列車は、始発から乗りたかった牡丹江からの2168次です。車両はRW22型とあっては堪えられません。古き良き車両の乗り心地に任せて、今夜も熟睡でした。  Part23  へ続く

 

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