存廃に揺れる北海道の駅を巡る (1)

京都市電写真展では忙しくも有意義な日々を送りましたが、その開催直前には北海道へ行っていました。LCCのお蔭で、毎年行くようになった北海道ですが、昨年には関西~釧路も新規就航し、道東へも格段に行きやすくなりました。ただ北海道に着いてからの足となる鉄道は、目を覆いたくなるほどの衰弱ぶりです。支線・駅の廃止と言った話題だけでなく、列車そのものが削減され、もう列車移動による徒歩撮影など全く不可能で、単なる“乗り鉄”ですら、ムダな空白時間ばかりで、移動が困難な状況に追い込まれました。
そんななか、時刻表をひっくり返して、廃止が予定される駅や、50年前に訪れた駅を再訪し、岐路に立つ北海道の現況を見てきました。

今週末のダイヤ改正で廃止される駅のひとつ、根室本線の直別を発車したキハ40 1779 「北海道の恵み」ラッピング車で、エリア別にキハ40の4両に施された。

直別

朝に家を出て、釧路便に乗ると、12時50分には、もう釧路駅に立っていた。恐るべき早さだ。しかも驚くほど安い。まずは釧路の帯広寄りにある、直別、尺別の2駅に向かうことにする。

JR北海道は2016年に「極端にご利用の少ない駅」を公表した。一日の平均乗車人員が1人以下の58駅で、当時の北海道の駅の13%に相当していた。改正のたびに数駅ずつ廃止され、このたびの3月16日改正では、根室本線の直別、尺別、初田牛の3駅が廃止されることになった。過去5年間の1日平均乗降人員は、最も少ない初田牛はわずか0.2人。直別は0.6人、尺別は1.0人だった。

釧路駅で直別に向かうタラコ色のキハ401758 ▲▲発車直後の同列車は約10人の乗車

釧路から約1時間で直別に到着、タラコ色のキハ40は早くも傾きかけた陽を車体に映して去って行った。

直別の設置は、当時の根室本線の開業直後の明治40年、付近には開拓の集落が相当数あったのだろう。▲▲もぬけの殻の駅名標も。

ログハウス風の駅舎、右の扉が待合室への入り口、左はトイレ。以前の駅舎は十勝沖地震で倒壊し再建された。▲▲直別駅の時刻表、上下6~7本は北海道ではマシなほう。ほかにも特急、貨物も走るから意外なほど多くの列車が通り、交換も行われる。

駅前の「直別」信号、国道38号が横切り、廃止駅につきものの秘境感はない。▲▲「直別」信号の向こうには生活感のある民家が見えるが、もう日常的に利用する高校生などは居ないのだろう。

16時を過ぎると付近は日没を迎える。釧路から一時間のこの駅も釧路市に含まれる。広域合併の際に旧音別町が編入されて釧路市となったが、間に白糠町があり、飛び地となっている。

16時34分、キハ40 1709の2427Dが到着、この列車は滝川釧路行きで、本来は日本最長の普通列車として知られているが、実際は台風被害によって東鹿越~新得はバス代行のため、列車は分断して運転されている。

 

 存廃に揺れる北海道の駅を巡る (1)」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    当板への現地レポートで道東を訪ねておられることを知りましたが、2度目の胆振東部地震の影響はありませんでしたか?心配しておりました。
    尺別と直別、懐かしい想いでのある駅名です。尺別はかつて寒中北海道見聞録でレポートしたように、尺別鉄道を訪ねてスカタン旅をした処でしたし、直別はここ10年くらいの間に原色DD51とタラコ40を追って何度か利用した駅でした。直別の尺別寄りにあるスケールの大きなカーブはいかにも北海道の原野という風情があり、かつ国道から少し線路に寄るとやや俯瞰気味の構図も得られ、小生好みのポイントでした。駅舎はご紹介の通りログハウス風のやけに新しいものでしたが、地震被害に遭って建て替えられていたのですね。撮影後に4~5回文中の釧路行を待って乗車しましたが、夕刻ということもあっていつも小生独りでした。この区間の音別~浦幌間はどの列車もほぼ回送状態でした。ご紹介の2427Dは現在は単車になっているのですね。東鹿越~新得間が不通になるまでは、富良野以東は2両編成になり、月に一度は2両ともタラコに揃えられて走っていました。当時はタラコ運用も発表されていて追いかけやすかったのですが、北海道社でトラブルが続くようになってからは運用発表が取りやめになり、まさに貧すりゃ鈍の状況になってしまいました。取りやめ直後は滝川から釧路まで2429Dを乗り通し、交換列車の運用をチェックしたりしましたが、釧路区や帯広留置庫に入っていて確認できない運用もあり、原色DD51も減ってきてその後は撮影に行かなくなりました。
    北海道の各線はかつての賑わいを知る者にとってはその落差に愕然として、本当に寂しくなりますね。

    • 1900生さま
      さっそくのコメント、ありがとうございます。北海道でまた地震がありましたが、私はその前日に帰ってきました。1900生さんも、タラコDC、DD51を追って、根室本線へよく行っておられたのは、聞いていましたが、まさか直別にも足繁く通っておられたとは知りませんでした。たしかに尺別寄りは、ちょっとした山越え区間になっていますね。駅前にあった唯一の観光案内にも、展望台への道筋が書かれていましたが、行かれた俯瞰ポイントは、ここなのでしょうか。この付近の普通列車に乗ったのは久しぶりですが、たしかに白糠ぐらいまでは、釧路の郊外と言った感じで、人家もあり、そこそこ乗降も見られましたが、白糠以遠は、乗り鉄以外に、ほとんど乗降はありませんでした。このタラコDCですが、キハ54に不具合があり、翌日には釧路~根室で代走していたのが見られました。

      • 総本家青信号特派員さま
        足しげく通った訳ではありませんが、前述した大カーブが気に入り何度か足を運びました。ご案内の展望台がどこなのか詳らかにしないのですが、上り列車に対しては駅前の国道を尺別方向へ約1.5㎞ほど行った地点で(廃道になった小道を線路寄りへ入ります)、下りに対しては更に尺別方向へ歩き、トンネルの1㎞ほど手前をクマザサをかき分け線路が見えるポイントで、それぞれ撮りました。後者は最後に訪れた際には鹿よけのネットが出来ていて慌てました。
        タラコは臨時に別運用に入ることがありました。ある時朝の厚岸行に入るという情報だったので、前夜釧路に泊りタクシーで別保まで行ったもののワンマン40が来てガックリきたことも。僅かな車両の運用を追いかけて撮っていると、こんな肩透かしを食うのは日常茶飯事で、もう宿命だと割り切ってはいますが悔しいですね。車両数が多いうちに撮っておくものです。

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