再度、『かえだま』に関する考証を

河 昭一郎さんより、先の投稿に補追として写真と解説が送られてきました。
我々には事故による車輌運用の事件として面白おかしく伝えられてきた話題ですが、当事者には大変な、歴史的大事件だったことが先の河さんによるご投稿で明らかになりました。『かえだま』などと揶揄していた不見識を恥じるばかりです。
それでは送っていただいた当時の貴重な記録写真と解説をご覧頂きます。

①臨時特急『第2ひびき』の運転期間を大幅に繰上げ終了し、157系を捻出して153系『かえだま』を解消した。 1964-5-20 クモハ157-8以下9連の157系使用の1M『こだま』 東京駅にて

②『とき』先頭車のクハ161-3を『こだま』に供出したため、『日光』から間引いたクモハ157+モハ156+サハ157がピンチヒッターに入り、クハ161-3を含んだ161系3両分と交換して混結使用された。準急『日光』は編成を縮小して対応した。  1964-6-30 157系使用の2M『とき』の回送 御徒町にて


③157系(左)と151系(右)との連結例(床面他の高低差)

④クハ161-3に代わって特急運用に入ったクロ150-3(サロ150-3の改造車)  1964-9-19 2001M『第一富士』 東京駅にて

⑤短い台枠長のサロ150-3を無理矢理先頭車に改造したため、変則的な扉位置となった。  1964-9-15 クロ150-3 横浜駅にて

⑥一連の騒動のシメとなったクハ181-53(サロ150-3⇒クロ150-3⇒クハ181-53と遍歴)  1965-3-11 クハ181-53 田町電車区にて
河 昭一郎

再度、『かえだま』に関する考証を」への4件のフィードバック

  1. 河さんの貴重な写真の数々、拝見しました。私も一枚だけ、153系の「こだま」を撮ったことはありますが、河さまのように153系から157系、161系と日替わりのように車種が変化し、151系の不足を補っていく過程がよく分かります。当時では唯一の鉄道雑誌のP誌のニュース欄を見直すと、河さまの貴重な記録が満載でした。以来、50年以上にわたって鉄道の記録を続けられている河さまには、改めて敬意を表します。新幹線の開業までの半年足らずで、車両の運用に限界を来していた時期での事故による車両不足、おまけに直後には新潟地震も発生して、混乱に輪を掛けました。困難な時期を一致団結で乗り切った、当時の国鉄の頑張りぶりも改めて感じました。

  2. 河さんのプレゼントを有り難く思っておりましたところ、その上「かえだま」についての更なるご説明を頂き、成る程なぁーと思っておりました。
    その内容がこの様に画像で拝見しますと、めっちゃ分かり易いですね。
    有り難うございました。

  3. 総本家青信号特派員様 マル―ン様

    自分から発信した話題(6枚の古い写真)の内、過去に何度も取り上げられていて食傷気味だった『かえだま』をピックアップしてしまった事を反省していた矢先でした。

    そんな時に頂いたご両人からのコメントに勇気付けられました。
    どうもありがとうございました。

    • 河さま
      50年以上前に愛読していたピク誌の投稿常連たった河さまからは、当時、“かえだま”以外にも、貴重な情報を与えていただきました。なんの因果か(?)、再び河さまとご高誼できること、喜んでいます。

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