今回は阪堺線

朝のNHKドラマを見ていると、阪堺線の旧型電車がよく出てくる。設定は松虫あたりと聞いているがなじみがないのでよくわからない。以前投稿で阪堺線があったがいま残っている電車には木造はない。この絵のダブルルーフもない。果たして乗った人はいるのだろうか。乙訓の長老ぐらいか。ご存じの方は今回も薀蓄をお願いする。

なお、このシリーズはまだまだ続くそうで、後に単行本化も予定されているようです。必ず買います。

今回は阪堺線」への2件のフィードバック

  1. 米手作市さん、見ましたよ、乗りましたよ、撮ったのがありませんよ。
    最初、昭和25年11月中旬に見ました。大阪、昭和20年3月の大空襲で被災した一家が向かいに引っ越してきました。同年の男の子がおり仲良しになりました。25年10月31日と11月1日のお伊勢さんへの修学旅行直前、大阪平野へ引っ越しとなりました。クラスの有志がお金を出し合い「生姜糖」を始め土産物-赤福餅なしーを買って、老人が使者となり届けましたが、その時に天王寺駅前で見つけました。翌年春、京阪特急1700系投入によるダイヤ改定により日曜日も運行されるようになり、平野へ南海電車も通じていることも知り、しばらく年1回以上幼馴染宅を訪ねました。その折乗っていますが、天王寺-住吉間で運転されていたようにおもいます。京阪200型並みの大型車体であり、なんといっても運転台の大型のコントローラー、側面が木張りで、大阪市電1001型(旧1081型)のものよりでっかいものだけに京都の電車少年には印象深いものでした。大学に入った年に南海501型が登場した頃に平野へ行っております。(幼なじみは関大に進学)その時に撮ったのですが、大阪市電の分はあり、南海の分(この時は天王寺―帝塚山間をあるいています)がありません。その後、聞いた話では南海101型登場時の外部塗色は黒一色だったとのことです。4ケモーターによる独特の低い起動時の走行音。今も351型で味わえます。思い出の一つとして、121型全廃前に125号を6人で貸し切り全線走破をしましたが、酒井福三さんと起動時の音が「ちょっと違うなぁー」といいながらも、大阪市電1601型の思い出も話し合いました。今回はこれまで。

  2. 乙訓の長老様、
    やっぱり乗ってましたか!
    関三平さんの絵で見たときはオーバースケールの絵やな、と思いましたが実物の写真を見るとすばらしいダブルルーフに圧倒されました。なぜか茅葺き屋根の古民家を連想しました。そう言えば京阪や近鉄にもこんな電車が走っていましたね。
    木造では京都市電の200型ぐらいしか現役時代を知りません。
    一度乗ってみたい電車です。

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