36年前の京急羽田空港駅/飛行機に乗るためには、ここから更にバスに乗り継がなければならなかった。
一昔前の写真を整理していたところ、昭和50年の大晦日に京急羽田空港駅を訪れていた。ちなみに特派員さんも一緒であった。勿論地上駅で現在の天空橋駅の海老取川を隔てた手前にあり、飛行機に乗るには羽田空港行の路線バス(狭隘区間を通過するためマイクロバス)に乗り継ぐ必要があった。蒲田~羽田空港間には路線バスが頻繁に運行されていたため、このルートを利用する人は極めて少なかった。
デハ276/行先板に注目、現在は「京急蒲田」であるが、当時は「京浜蒲田」であった。
当日の行動を振返ると、京都駅朝1番の6時19分発「ひかり302号」で出発した。名古屋で「こだま204号」に乗換え三島で下車して、東洋レーヨン三島工場の片ボギーのDLと伊豆箱根鉄道の電車を撮影。9時9分発の三島始発東京行に乗り湯河原で下車して、ホームで直ぐ後から来る「みずほ」を撮影。その後、駅の外に出て熱海よりに戻り、上下線が広く空いているところの中央から撮影した。今頃こんなところで撮影していたら、間違いなく逮捕されるであろう。小田原で大雄山線の電車を撮影後、川崎で京浜東北線に乗換え、蒲田で下車。駅の大森寄りで撮影後、京浜蒲田駅まで歩き、羽田空港駅まで乗車した。その後、上野駅で夜行列車を撮影し、八甲田55号で盛岡に行った。
湯河原に行くのにわざわざ三島で下車したのは、東レの片ボギーDLを撮影するためであったと思われる。私にとっては、湯河原でのブルトレはついで撮影で、本命は157系「あまぎ」であった。京浜急行の羽田空港駅はデハ230形を撮影が目的であった。