こころ旅 萩 玉江浦

 「こころ旅」という番組は鉄道に因んだ内容であることが時々ある。とうちゃこの所が駅であったり、お父さんが機関士でその思い出であったり、自転車で走っている道が廃線跡あったりとか。2019年秋の旅も山口県に入った。山口県最初の訪問地は萩市玉江浦であった。ふと考えてみると、ここはO君と行ったところである。番組では鉄道がでてこない。番組に出てくるのは弁天様と浜辺である。しかし、私にとってはO君と汽車の写真を撮った地である。そこは玉江駅であり、海の見える山陰線、懐かしい田舎の風景であった。

 去年の7月にO君と行った大嶺支線のことを投稿したのであるが、それから先はどこへ行ったというと、萩である。この旅はO君からは萩に行こうと誘われたからである。O君の言うことによると萩に親戚がいるのでそこに泊まろうということである。萩のどこに行ったかというと、萩から西側にあたる玉江というところだと記憶している。たぶん、着いた日は玉江駅の下関側へ2㎞ほど歩いたところで写真を撮ったようだ。その時の写真がこれである。

 DF50牽引の普通列車である。このDF50は電気式ディーゼル機関車で、今となっては模型の世界でしか見ることができない。蒸気機関車の牽引する列車などもありで、我々にとっては楽しい時代であった。さらに場所を変えて、

 地図で見ると玉江からかなり遠くまで歩いたようだ。この浜は「こころ旅」に写っていた地図看板に小原浜と書かれてあった所だと思う。この日はここまでで、O君の親戚の方の家に泊めていただいた。覚えているのは風呂が五右衛門ぶろであったこと。

 翌日は玉江駅から東萩駅へ行ったようである。写真の列車に乗ったのだろう。どこの駅かわからなかったが背景の山や民家、そして少しだけ写っている道のカーブの具合から、今の地図と見比べるとほぼ玉江駅でまちがいないと思う。

 東萩駅でレンタサイクルを借りたようだ。レンタサイクルの写真があり、自転車に東萩駅前と書かれていたので間違いないようである。写真を見ると松陰神社に行っている。そして阿武川にかかっている鉄橋のところへ行ったようだ。鉄橋のところで撮った写真はそこそこの枚数がある。写真を見ると天気が良く、陽当たりがよいようだ。ポカポカと暖かいのでながいをしていたようである。

最初に来たのは中間にキハ58として両端がキハ28の3両編成。これは急行?

次は気動車の普通列車。形式音痴なので、これはキハ※△?+キハ〇★

だれか教えて~

DF50は寝台特急も牽引した電気式ディーゼル機関車で未電化路線では当たり前のように走っていた。この機関車は自前の発電所を持った電気機関車ともいえる。

D51牽引の貨物列車である。今と違うのは日常的に多彩な列車が走っていたこと。

 ときは師走、1971年12月17日。田んぼに大根を干している横を列車が通過して行く。どこで撮ったのだろうか。捜索のヒントはこの前に撮っている4枚の写真と微かに見える踏切である。この場所に来る前は大照院に行っている。大照院は玉江駅の南東の所にある。写っている踏切は2か所、その位置から今の地図を見ると、お寺の参道を下った所に踏切のようである。たぶん、ここから萩方面にレンズを向けたのだと思う。今もストリートビューで見ると田んぼがある。向うに踏切もある。ほぼ間違いがないと思うのだが。

ここはどこ?レンタサイクルを東萩駅の所へ返さないといけないので、ここは東萩駅だと思う。ここから列車に乗って帰ったと思う。そして最後に写っていたのは

大阪駅の入換用電気機関車EF14だ。ところで東萩駅から大阪駅までどのようなルートだったのか。微かな記憶によると上り普通夜行列車に乗り、途中で 下り普通夜行列車に乗り換えたような・・・とにかく、大阪駅までの足取りは定かでない。

 

こころ旅 萩 玉江浦」への13件のフィードバック

  1. 5枚目の気動車2連の普通列車ですが、手前の急行色の車はいわゆる「バス窓車」ですので、キハ55(6~46)またはキハ26(1~22)のいずれかでしょう。奥の車はキハ25の201以降ですね。

    • まほろばの鉄趣味住人さま 私の持っている本は「日本の内燃車両」ですが、国鉄時代の気動車がよくわかりませんでした。それなりにわかりましたが、少しずつ違っているので細かいところがわかりませんでした。解説ありがとうございました

  2. どですかでん様
    DF50の客車列車と田んぼに干された大根の写真を拝見して、今年の1月に投稿された『勢浜のC58』を思い出しました。
    かつては12月に入ると一般の家庭でも正月の準備に大根を漬けたものですが、今では過去の風景になってしまいました。季節を感じさせる素晴らしい写真に、見入ってしまいました。『新日本紀行的鉄道写真』ですね。
    まほろばの鉄趣味住人様
    気動車の解説をしてくださり、ありがとうございます。
    該当する車両が小郡にいたのですが、山口線を通って益田から来たのでしょうか? 

    皆様へ
    D51 577の写真ですが、給砂塔と給炭台、給水スポート、奥の方には転車台も見えます。1975年の航空写真を見ると、東萩には見当たりません。背景の山の感じも違うように思え、他の場所ではないでしょうか? D51 577は浜田区の所属で、運用範囲は長門市から米子の間で、伯備線を新見まで乗り入れる運用もあったようです。小生は「益田」かと思いましたが、違うようでもあり自信はありません。

    • 紫の1863様
      当時の気動車の運用は、一般型であっても現在では考えられないほど広範囲の線区にまたがり、分割、併結等もあって複雑でした。従って、小郡区の車が東萩あたりまで来ていた可能性はあります。山口線から、あるいは架線下の山陽本線を通って美祢線から入っていたのかもしれませんね。

    • 紫の1863様 D51577の撮影場所ですが、紫の1863様のコメントの内容から検討しました。どうも浜田機関区のような気がするのですが。ネットで他の人の浜田機関区の写真を見てみると同じような所が確認できました。東萩駅からどのようにしたのか、まったくわかりません。ところで新日本紀行ですが、テーマ曲が新旧2種類あったのをご存じですか。どちらも富田勲さんの作曲ですが。

  3. どですかでん様、紫の1863様
    D51577のコマは浜田です。私も同じアングルで撮った写真がありますので間違いないと思います。

    • 西村さんのお墨付きをいただいたので浜田機関区で決定!しかし、その後の足取りがわかりません。もはや、O君に聞くわけにはいかないし・・・

  4. 西村雅幸様
    浜田機関区でしたか。遠くに見える大きな屋根は、客貨車区の検修庫ですね。有難うございます。これで答えが出ました。
    どですかでん様
    12月17日撮影の列車は
    玉江駅のD51 415・・・門司発福知山行 824列車
    キハ28+58+28・・・米子発小倉行 801D 急行さんべ1号
    キハ26(55)+25・・小郡発厚狭行 931D
    DF50客車・・・・・・下関発京都行 826列車
    D51貨物・・・・・・・幡生操発梅小路行 867列車
    DF50客車・・・・・・出雲市発下関行 827列車
    この後自転車を返却され、東萩駅を14:26に発車する804D急行さんべ1号に乗車されたと考えます。804Dは浜田着が16:25で、車窓からD51 577を撮影されたのでしょう。その後804Dに乗り続け、出雲市駅で『上りの普通夜行列車』826列車に乗り換えます。京都駅には翌朝5:18に到着し、「ちくま2号」もしくは「きたぐに」で大阪駅へと帰ってこられたのではないかと推理しました。
    気動車2両編成の931Dですが、小郡⇒山口線⇒益田⇒山陰本線⇒長門市⇒美祢線⇒厚狭のコースを辿っており、小郡区の運用であったのも納得できました。
    おかげさまで、楽しませていただきました。

  5. 紫の1863様、どですかでん様
    何十年も前の行動が列車番号まで特定できるとは恐れ入りました。ところで、浜田機関区だとは申しましたが、「丁寧な説明」には「証拠」が必要ですので、昭和47年3月27日に浜田駅で撮影したD51878の写真を添付しておきます。O君とどですかでんさんの弥次喜多旅の様子が目に浮かぶようです。

    • 西村雅幸様
      新しい情報には疎いのですが、この時代なら何とかなります。時刻表と蒸機列車の時刻が載っていた「別冊週刊読売」、それに運用表が載った「鉄道ピクトリアル」251号など、当時を知るすべを揃えております。
      ところで、浜田機関区と言えばレンガ造りの機関庫を連想しますが、このような設備もあったのですね。また、機関区につきものの給炭槽が見当たらず、ベルトコンベアーで積み込まれていたのでしょうか? 今頃になって気づくことの多さに、恥じ入るばかりです。

  6. 皆さん、ご心配とご迷惑をおかけしておりますが、(そんなん、誰も心配してへんぞという声が聞こえそうです。)そのついでにこんなん出てきました。旅行に使った山陰均一周遊券です。発行は46.12.15.です。そして鳥取の下車印が押されています。これはいったいどうしたことなのか。いよいよ、さらに謎めいてきました。

  7. どですかでん様
    「山陰均一周遊券」懐かしいですねぇ。京都発は発売されておりませんでしたので、大阪まで買いに行きました。
    さて、鳥取の下車印が押されているとなれば、考え直さねばなりません。問題となるのは鳥取まで乗車された列車で、京都行き普通の826列車なのか、804D急行さんべ1号に乗り続けられたのか…。どちらにしても鳥取から大阪までは、福知山線経由の706列車急行だいせん4号ではないでしょうか。
    826列車でのんびり揺られるのも風情があって良いものですが、出雲市発は19:00なので辺りは真っ暗です。車窓から風景を楽しむこともできません。ここはさんべ1号に乗り続け、終着の鳥取まで行った方が得策かと。出雲市では6分の停車時間にホームに降り、カニ寿司300円也を購入、7分停車の米子では温かい駅そばを車内に持ち込むのもよろしいかと。鳥取には21:20の到着です。だいせん4号の発車は日付が変わった0:27なので、駅を出て居酒屋で一献傾けるのもオツなものかと存じます。以上、小生の妄想でした。
    『新日本紀行』に二つのテーマ曲があるとは知りませんでした。ネットで調べると18年もの長き渡って放映されたとかで、これほどの長寿番組とは知りませんでした。初めの頃は放送される時間帯が遅く、見てなかったと思います。

    • 紫の1863さま、まほろばの鉄趣味住人さま、西村雅幸さま ながらくのご乗車ありがとうございました。無事に大阪駅に着いたようです。あれから、均一周遊券についての紫の1863さまのコメントからいろいろ考ええていたのですが、最後のEF14が写っている写真は何時頃に撮ったものか気になっていたのです。写真は8番線ホームから上り方向にレンズを向けていることがわかります。ところが時間がわかりません。時間がわかれば大阪駅に着いた時間が推定できます。影の具合からどうも午前中のようです。肝心の時計が中央出口の表示板で見えません。よく見ると9時から4時の所には時計の針が見ることができませんのでひょっとしたら、朝の9時まで時間でないかと思っています。それに11番線のディーゼル急行の5号車がグリーン車であることから調べてみたら、新潟行きの急行越後ではないかと考えてみました。そうすると朝の8時から9時頃の大阪駅で撮ったと推定できるのではと思います。(急行越後の発車時間がわからないが)紫の1863さまが推定されているように急行だいせん4号で大阪に着いたとするのが自然なようです。やっと、とうちゃこしたようです。

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