客車準急「エルム」 時刻表でたどる運転時刻と編成

先般、西村さんの「福塩線のコロナ対策(続報)」から脱線して、準急「エルム」が話題になりました。客車時代の「エルム」を少し調べたついでに、デビューから36-10までの時刻・編成の変遷を交通公社の時刻表でたどってみました。「エルム」の写真もなく、ダラダラと長いだけの投稿になってしまいましたが、ご用とお急ぎでない方はご覧ください。

◎客車時代の準急「エルム」
「エルム」といっても五所川原ではなく、北海道の室蘭と札幌を結んでいた準特急でもない準急行列車の愛称で、室蘭本線~千歳線を走る初めての優等列車として設定されました。当初は愛称がなく、昭和26年4月に「エルム」というかわいい親しみやすい愛称をもらいました。国鉄初のカタカナの愛称でした。終始、下りは室蘭を朝発車して札幌へ向かい、上りは昼過ぎに札幌を出て夕方に室蘭に帰るスジでした。34年9月22日時刻改正から「エルム」と同じ室蘭-札幌間に気動車による準急「ちとせ」が登場し、時代の流れでその後まもなく「ちとせ」が2往復に増加し、ついに36-10で「ちとせ」に統合され、客車準急「エルム」の愛称は惜しくも消えてしまいました。

以下、客車時代の準急「エルム」の時刻・編成の変遷を抜き出してみました。
◆25年10月号  164ページ室蘭本線  「25.10.1改正」で、愛称のない「2・3等準急」として設定された205・206レがその前身であった。
205レ室蘭7:25→10:25札幌  206レ札幌14:50→17:49室蘭  巻末の「主要旅客列車編成」に記載無し。

◆26年3月号  164ページ室蘭本線  「25.12.1訂補」で、「2・3等準急」だけで愛称「エルム」の記載はない。千歳線のページも同じ。巻末の「主要旅客列車編成」にも記載無し。
時刻は25-10から変化はない。
◆26年4~5月号  164ページ室蘭本線  「26.3.10訂補」で、他は3月号と同じ。
◆26年6月号  未見。
◆26年7月号  172ページ室蘭本線  「26.6.20訂補」で、「2・3等準急エルム」と記載されている。170ページ千歳線も同じ。愛称「エルム」と命名されたのは4月なのに時刻表では少し遅れて26年6月号か7月号に初めて愛称が載ったことになる。
時刻は26年4月号と同じ。
◆26年8月号  172ページ室蘭本線  「26.6.20訂補」で、時刻は26年4月号と同じ。
◆26年9月号  未見。
◆26年10月号  172ページ室蘭本線  「26.9.1訂補」で、時刻は26年4月号と同じ。
◆26年11月号  172ページ室蘭本線  「26.9.1訂補」で、時刻は26年4月号と同じ。上部欄外に「◎ご注意  11月1日より北海道各線時刻改正の予定」と注記がある。
◆26年12~27年2月号  172ページ室蘭本線  「26.11.1訂補(改正の誤植か)」で、時刻は
205レ室蘭7:25→10:25札幌  206レ札幌15:00→17:49室蘭。上りの札幌発が10分遅くなったが、室蘭着に変化はない。
◆27年3~4月号  未見。
◆27年5月号  172ページ室蘭本線  「27.4.1改正」で、
205レ室蘭7:20→10:10札幌  206レ札幌15:00→17:49室蘭。
余談であるが、室蘭本線・千歳線に横浜-札幌間の特殊列車1201・1202レが出現した。
◆27年6月号  未見。
◆27年7・8月号  172ページ室蘭本線  「27.6.10訂補」で、時刻は27年5月号と同じ。
◆27年9月号  172ページ室蘭本線  「27.9.1改正」で、
205レ室蘭7:15→10:06札幌  206レ札幌15:00→17:48室蘭。
◆27年10~28年4月号  172ページ室蘭本線  「27.10.1訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆28年5~6月号  未見。
◆28年7月号  182ページ室蘭本線  「28.5.15訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆28年8月号  未見。
◆28年9~12月号  182ページ室蘭本線  「28.7.1訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年1月号  182ページ室蘭本線  「28.12.1訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年2月号  182ページ室蘭本線  「28.12.20訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年3月号  182ページ室蘭本線  「29.2.1訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年4月号  182ページ室蘭本線  「29.3.15訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年5月号  182ページ室蘭本線  「29.5.1改正」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年6月号  未見。
◆29年7月号  183ページ室蘭本線  「29.5.1改正」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年8月号  183ページ室蘭本線  「29.7.8訂補」で、時刻は27年9月号と同じ。
◆29年9月号  未見。
◆29年10月号  183ページ室蘭本線  「29.10.1訂補」で、
205レ室蘭7:12→10:00札幌  206レ札幌15:00→17:48室蘭。
◆29年11~30年3月号  183ページ室蘭本線  「29.10.1訂補」で、時刻は29年10月号と同じ。
◆30年4~5月号  183ページ室蘭本線  「30.3.1訂補」で、時刻は29年10月号と同じ。
ここまで「主要旅客列車編成」に記載無し。
◆30年6月号 183ページ室蘭本線 「30.6.1改正」で、
205レ室蘭7:20→10:03札幌 206レ札幌15:00→17:52室蘭。
この室蘭着17:52は誤植で、17:42が正。180ページの千歳線でも17:52室蘭と間違えている。
巻末の「主要旅客列車編成」267ページに初めて記載有り。←室蘭①ロ+②ロ+③~⑧ハ札幌→の8両編成。
◆30年7月号  183ページ室蘭本線  「30.6.1改正」で、
205レ室蘭7:20→10:03札幌  206レ札幌15:00→17:42室蘭。
巻末の「主要旅客列車編成」267ページ ←室蘭①ロ+②ロ+③~⑧ハ札幌→の8両編成(図1)。
◆30年8月号  183ページ室蘭本線  「30.7.1訂補」で、時刻・編成は30年7月号と同じ。
◆30年9月号  183ページ室蘭本線  「30.9.1訂補」で、時刻・編成は30年7月号と同じ。
◆30年10月号  183ページ室蘭本線  「30.10.1改正」で、
205レ室蘭7:20→10:07札幌  206レ札幌15:00→17:48室蘭。
「主要旅客列車編成」267ページ ←室蘭①ロ+②ロ+③~⑦ハ札幌→ と1両減少して7両編成(図2)。
◆30年11月号  30年10月号と同じ。
◆30年12~31年2月号  183ページ室蘭本線  「30.12.1訂補」で、時刻・編成は30年10月号と同じ。
◆31年3月号  209ページ室蘭本線  「30.12.1訂補」で、時刻・編成は30年10月号と同じ。
◆31年4月号  209ページ室蘭本線  「31.4.1訂補」で、時刻・編成は30年10月号と同じ。
◆31年5月号  209ページ室蘭本線  「31.4.6訂補」で、時刻・編成は30年10月号と同じ。
◆31年6~7月号  209ページ室蘭本線  「31.6.1改正」で、
205レ室蘭7:16→10:03札幌  206レ札幌15:00→17:40室蘭。
「主要旅客列車編成」303ページ ←室蘭①ロ+②ロ+③~⑥ハ+⑦ハ+⑧ハ札幌→  ⑦+⑧は札幌-長万部とある(図3)。
◆31年8~9月号  209ページ室蘭本線  「31.7.1訂補」で、時刻・編成は31年6月号と同じ。
◆31年10月号    209ページ室蘭本線  「31.9.1訂補」で、時刻・編成は31年6月号と同じ。
◆31年11月号    209ページ室蘭本線  「31.10.29訂補」で、時刻・編成は31年6月号と同じ。
◆31年12月号  239ページ室蘭本線  「31.11.19改正」で、
205レ室蘭7:14→10:03札幌  206レ札幌15:00→17:44室蘭。欄外に、205レは(客車の一部長万部発502)、206レは(客車の一部長万部着2007)と注記がある。
「主要旅客列車編成」335ページ ←室蘭①ハニ+②~⑤ハ+⑥ロ+⑦ロハ札幌→  ⑦は札幌-長万部とある(図4)。
⑥のロが変則的(規則では郵・荷・優等車は函館寄りに連結する)な位置なのは、①の外側にロハを連結するのを避け、札幌寄りに⑦ロハを連結しなければならない東室蘭駅での解結の事情によってロ同士を隣接させようというものであろうか。
◆32年1月号  239ページ室蘭本線  「31.11.19改正」で、時刻・編成は31年12月号と同じ。
◆32年2~5月号  239ページ室蘭本線  「31.12.17訂補」で、時刻・編成は31年12月号と同じ。
◆32年6月号  239ページ室蘭本線  「32.6.1訂補」で、時刻は31年12月号と同じであるが、
「主要旅客列車編成」335ページでは、 ←室蘭①ハニ+②~⑤ハ+⑥ロ+⑦ロハ+⑧ハ札幌→  (図5)。乗客の増加に対応したようで8両編成になったが、⑦だけ「札幌-長万部」の注記があり、⑧は①~⑥と同じく室蘭-札幌間のように見える。東室蘭駅では入換にたいへんな手間がかかると思うが不思議である。
◆32年7~8月号  239ページ室蘭本線  「32.6.18訂補」で、時刻・編成は32年6月号と同じ。
◆32年9月号    263ページ室蘭本線  「32.9.2訂補」で、時刻・編成は32年6月号と同じ。
◆32年10月号  263ページ室蘭本線  「32.10.1訂補」で、時刻・編成は32年6月号と同じ。
◆32年11月号  未見。
◆32年12~33年1月号  263ページ室蘭本線  「32.12.1訂補」で、時刻・編成は32年6月号と同じ。
◆33年2月号  263ページ室蘭本線  「32.12.1訂補」で、時刻は31年12月号と同じであるが、
「主要旅客列車編成」363ページでは、 ←室蘭①ハニ+②~⑤ハ+⑥ロ+⑦ロハ札幌→ (図6)で、⑧がなくなり、⑥の二等車だけ「札幌-長万部」の注記があるという非常に不思議な編成である。
◆33年3月号  263ページ室蘭本線  「32.12.1訂補」で、時刻は31年12月号と同じであるが、
「主要旅客列車編成」363ページでは、 ←室蘭①ハニ+②~⑤ハ+⑥ロ+⑦ロハ+⑧ハ札幌→ (図7)で、2月号で消えていた⑧ハがまた現れ、32年6月号の図5と同じようになったが、ここでは⑦と⑧に「札幌-長万部」の注記が付き、結局、32年6月号~33年1月号の注記と、33年2月号の編成表はミスだったようである。
◆33年4~6月号  268ページ室蘭本線  「33.4.1訂補」で、時刻・編成は33年3月号と同じ。
◆33年7~8月号  268ページ室蘭本線  「33.7.5訂補」で、
205レ室蘭7:14→10:06札幌  206レ札幌15:00→17:44室蘭。欄外に、205レは(長万部発502)、206レは(客車の一部長万部着2007)と注記がある。編成は33年3月号と同じ。
◆33年9月号  未見。
◆33年10月号  268ページ室蘭本線  「33.10.1改正」で、
205レ室蘭7:14→10:03札幌  206レ札幌15:00→17:44室蘭。欄外の(長万部発502)注記は205レではなく、ひと列車ずれた215列車に矢印がある。206レは正しく(客車の一部長万部着2007)と注記がある。編成は33年3月号と同じ。
◆33年11月号  268ページ室蘭本線  「33.10.1改正」で、欄外の(長万部発502)注記の矢印は205レに付いた。時刻・編成は33年10月号と同じ。
◆33年12月号  268ページ室蘭本線  「33.11.15訂補」で、時刻・編成は33年10月号と同じ。
◆34年1~2月号  268ページ室蘭本線  「33.11.15訂補」で、時刻は33年10月号と同じ。
「主要旅客列車編成」371ページでは、 ←室蘭①ハニ+②~⑤ハ+⑥ロ+⑦ロハ札幌→ と⑧が減車された(図8)。
◆34年3月号  268ページ室蘭本線  「33.11.15訂補」で、時刻は33年10月号と同じ。
「主要旅客列車編成」371ページ、 ←室蘭①ハニ+②~⑤ハ+⑥ロ+⑦ロハ+⑧ハ札幌→ と⑧がまた現れ、⑦と⑧に「札幌-長万部」の注記が付いた(図9)。
◆34年4~5月号  268ページ室蘭本線  「34.4.1訂補」で、時刻・編成は34年3月号と同じ。
◆34年6~7月号  268ページ室蘭本線  「34.6.1訂補」で、時刻・編成は34年3月号と同じ。
◆34年8月号  282ページ室蘭本線  「34.8.1訂補」で、時刻・編成は34年3月号と同じ。
◆34年9月号  未見。
◆34年10月号  282ページ室蘭本線  「34.9.22改正」で、
205レ室蘭8:15→10:59札幌  206レ札幌15:00→17:40室蘭。205レには注記はなく、長万部5:09発231レに(客車の一部札幌着1059準急205)という注記が付いた。なお、284ページの206レには従来同様(客車の一部長万部着2008)と注記がある。編成は34年3月号と同じ。205レの時刻が変わったのは、この時刻改正で、室蘭7:19→9:41札幌という二・三等気動車準急203レ(愛称なし→のち「ちとせ」)が設定されたためで、その影響で、長万部発231レは東室蘭に7:17着なのであるが、⑦ロハ+⑧ハは205レの8:34発まで1時間17分待たされることになった。気動車準急203レは東室蘭7:36発なので、長万部方面からそのまま「エルム」に併結されて札幌まで乗る乗客はいないのではないか。そこまでして⑦+⑧の客車を運用する意味は、上り「エルム」の時間帯に東室蘭→長万部の二等車がないので、「エルム」から分割して走らせている位しかなさそうに思える(図10~12)。
編成は34年3月号と同じ。
◆34年11月号  282ページ室蘭本線  「34.9.22改正」で、10月号にあった231レの注記がなくなり、長万部発233レに(客車の一部札幌着1059準急205)という注記が付いた。233レは東室蘭着8:26で、室蘭発「エルム」が8:26の同時着である(図13)。これなら納得がいく。10月号にあった231レの注記はミスであった。
「主要旅客列車編成」387ページでは ←室蘭①ハニ+②~⑥ハ+⑦ロ+⑧ロハ札幌→ という編成で、⑧だけ札幌-長万部の注記がある(図14)。
◆34年12月号 282ページ室蘭本線 「34.11.1訂補」で、時刻は34年10月号と同じであるが、231レ・233レ・206レのいずれにも、千歳線のページにも注記がない。
「主要旅客列車編成」387ページでは、 ←室蘭①ハニ+②ロ+③~⑦ハ札幌→ となった
◆35年1月号 282ページ室蘭本線 「34.12.1訂補」で、時刻は34年10月号と同じであるが、231レ・233レ・206レのいずれにも、千歳線のページにも注記がない。
「主要旅客列車編成」387ページでは、 ←室蘭①ハニ+②ロ+③~⑥ハ札幌→ と短くなった。
◆35年2月号 282ページ室蘭本線 「35.1.16訂補」で、時刻は34年10月号と同じである。
「主要旅客列車編成」387ページでは、 ←室蘭①ハニ+②ロ+③~⑥ハ札幌→ である(図15)。
◆35年3~5月号  282ページ室蘭本線  「35.1.16訂補」で、時刻は34年10月号と同じである。
「主要旅客列車編成」387ページでは、 ←室蘭①ハニ+②~⑥ハ+⑦ロ+⑧ロハ札幌→ でまた変化した(図16)。⑧だけ「札幌-長万部」の注記がある。⑦にロがきたのはロを隣接させるためであろう。ところが、282ページ他には、注記がどこにもないので、東室蘭-長万部間で⑧を連結する列車が確認できないのが不思議である。
◆35年6月号  300ページ室蘭本線  「35.4.23訂補」で、時刻・編成は35年3月号と同じ。
◆35年7~8月号  300ページ室蘭本線  「35.7.1改正」で、
205レ室蘭8:04→10:38札幌  206レ札幌15:08→17:34室蘭。スピードアップした。
「主要旅客列車編成」418ページでは、 ←室蘭①ハニ+②ロ+③ロハ+④~⑧ハ札幌→ でまた附属編成がなくなり、ロが1車半に増加した(図17)。
◆35年9月号  300ページ室蘭本線  「35.9.1訂補」で、時刻・編成は35年7月号と同じ。
◆35年10月号~36年1月号  300ページ室蘭本線  「35.10.1訂補」で、時刻・編成は35年7月号と同じ。
『鉄道ピクトリアル』777号59ページに、35年9月30日の205レの編成メモがあり、それによると、
札幌行  C57 194[築]+①スハニ32 52札サツ+②スロフ30 20札サツ+③スハ32 860札サツ+④スハ32 288札サツ+⑤スハ32 861札サツ+⑥スハフ32 377札サツ+(順位札無し)スロフ30 18札オタ  と記されている。
このメモと時刻表の編成とは一致しない。9月30日の205レの編成が特別に特異だったのか、時刻表のミスなのかよくわからない。また、①~⑥が札サツであるが、当初「エルム」の受持は札ムロであった。いつの時点で札ムロから札サツに変更されたのか興味がある。当時の運用表を見てみたいものである。
◆36年2月号  300ページ室蘭本線  「35.11.20訂補」で、時刻・編成は35年7月号と同じ。
◆36年3~6月号  300ページ室蘭本線  「36.1.14訂補」で、時刻は35年7月号と同じ。
「主要旅客列車編成」420ページでは、 ←室蘭①ハニ+②ロ+③ロハ+④~⑦ハ札幌→ と、35年7月号より1両減少した(図18)。
◆36年7~9月号  300ページ室蘭本線  「36.7.1訂補」で、時刻・編成は36年3月号と同じ。

以上のように、客車準急「エルム」の愛称は、36-10で「ちとせ」に統合され、発展的に消えました。私は「エルム」の愛称の方が好ましいと思いますが。
交通公社の時刻表は表紙に「日本国有鉄道編集」とか「日本国有鉄道監修」とか大書している割に、誤植・ミスと思われる点がこんなに多いとは思いもよりませんでした。手作業で組版するのはそれほどたいへんだったのでしょうか。
時刻表の情報をストレートに信頼できないのは辛いものがあります。


↑図1  30年7月号


↑図2  30年10月号


↑図3  31年6月号


↑図4  31年12月号


↑図5  32年6月号


↑図6  33年2月号


↑図7  33年3月号


↑図8  34年1月号


↑図9  34年3月号


↑図10  34年10月号


↑図11  34年10月号

↑図12  34年10月号


↑図13  34年11月号


↑図14  34年11月号


↑図15  35年2月号


↑図16  35年3月号


↑図17  35年7月号


↑図18  36年3月号

 

どですかでんさんから質問がありましたのでお答えします。
時刻表36年3月号の「国鉄寝台案内」をご覧にいれます。↓
このように1等寝台(35年7月以降)にはA,B,Cの格付けがありました。「まりも」は「C1等寝台」で、マロネ29を使用していました。省略されている「利尻・石北・はまなす」の「ネCロ」は、マロネロ38で、2等寝台と2等座席が約半分ずつ配分されていました。『形式図 1959』からマロネロ38の形式図をご覧ください。昭和35年6月30日までは1,2,3等級制でしたので「2等寝台2等車」となっています。マロネロ38は米手さんがお好きな形式で、亜幹線用の格調高い車両です。↓

 

「ハシ」とは、仰るとおり半分(実際は半分以下)は2等座席車でもう半分は食堂車で、一例として『形式図 1959』からスハシ38の形式図をご覧ください。
スハシ38 1~5は元々は九州の急行列車用に製造された一等食堂車(マイシ37900形)という、珍しい形式でした。↓
36-10直前の資料は持っていませんので、36年10月1日現在の形式番号を載せておきます。
スハシ29 102旭アサ … 1両
オハシ30 4札サツ … 1両
スハシ38 4,6札サツ、21~23青ハコ … 5両    ハシ計7両
マシ35 1~3青ハコ … 3両    シ計3両(尾久から転属してきて、36-10から「まりも」に使用されました)
マロネ29 104,107,109札サツ                ロネ計3両
マロネロ38 3~5函ハコ、6,9札サツ、10函ハコ、21,22札サツ     ロネロ計8両

 

↓図23  28年11月号
1201・1202レは本州区間と北海道区間で編成両数が違います。

『鉄道ピクトリアル』718号38ページに、本州の1201レの編成が掲載されている。
【昭和29年1月某日土曜日】東京19時00分発1201レ 受持は東シナ。
←青森⑪スハフ42 195+⑩スハ43 253+⑨スロハ32 60+⑧スロ54 8+⑦マロネ29 116+⑥マイネ38 1+④マシ29 101+③マロネ29 21+②マロネ29 124+①マイネフ38 2+MBマニ32 25+マニ31 58
と、東京以北で日常的に走る一般人も乗車できる列車として最も豪華な編成であった。
マニ31は横浜-青森、MBマニ32は横浜-札幌、①は東京-札幌、⑥+⑦は東京-仙台、その他は東京-青森、なお、⑤は仙台-青森でマロネ29(仙セン受持)である。
同記事に「発車と同時に食堂車のコックが英和文で書かれた食堂案内のチラシを配って歩く」、「食堂車は日食がすべて米国輸入原料を用いて調理する」と記されている。その食堂案内のチラシが図23-1,23-2である。「29年4月1日現在」のもので、日本語と英語で書かれてある。
↓図23-1
図23-2
時刻を見ると、仙台着が午前1時42分となっていて、仙台で連結される⑤と、切り離される⑥+⑦のイネ・ロネにとっては無茶な時刻である。29年1月号に表記はされていないが、後の「十和田」では、上りの仙台23:28発に、「仙台では2等寝台車に21時より乗車開始」と注記がある(時刻表29年10月号)ように、特殊列車時代でも⑤は早めに乗車して寝て待っていることができ、⑥+⑦はそのままホームで朝まで使用できる取扱がされていたと思われる。
他の急行・準急は停車しない陸奥市川(9分停車)に停車するところが特殊列車らしい。

 

 

↓図24  時刻表29年5月号
↓図25  時刻表29年5月号

↓連合軍専用客車の寝台座席合造車1613(BELMONT)

 

 

【追記】
この投稿をご覧になった鉄道友の会の和田洋氏から「エルム」の運用と編成の資料が1~4のように寄せられましたのでご紹介し、少し追記したいと思います。

1.札鉄局報の「主要旅客列車編成」昭和28年7月現在によれば、205レは6両編成で付属2両がともにロである。

 

2.札鉄昭和30年6月1日現在の運用・編成表(某氏が手書きで書き写したもののコピー)

◆基本の札101は室蘭受持で、
室蘭→205レ→札幌→4205レ→苗穂→4206レ→札幌→206レ→室蘭→241レ→苫小牧→243レ→岩見沢→212レ→室蘭
苫小牧で1泊して2日にわたる運用である。
◆札附601も室蘭受持で、
室蘭→205レ→札幌→4205レ→苗穂→4206レ→札幌→206レ→室蘭
このスロフは「エルム」の室蘭方に連結されて往復するだけで、二等客がそれだけ多かったことがわかる。
◆札附527は札幌受持で、
札幌→206レ→東室蘭→224レ→長万部→221レ→東室蘭→205レ→札幌
札幌から上り「エルム」の後尾に連結されて東室蘭で切り離し、224レの後部に連結されて長万部へ。翌日長万部発朝一番の221レの先頭で東室蘭まで行って切り離し、室蘭から来る205レの先頭に連結して札幌へ戻る。資料ではこうなっているが、時刻表では「エルム」206レの東室蘭着は17時27分であるが、224レの東室蘭発は17時07分で、「エルム」が東室蘭に着く前に224レは発車しているので、この部分に何かミスがあるようである。

 

3.編成表 昭和30年11月14日

◆基本が6両になり、室蘭寄りにスロフ1両が附属で付く編成になった。

 

4.編成表 昭和31年11月19日

EPSON MFP image

◆基本が5両になり、ロが通常とは逆の札幌寄りに連結され、附属は室蘭寄りにスハニ1両、札幌寄りにスロハフ+スハフの2両になって、これは東室蘭から長万部を往復するようになった。また、冬季間は附属のスハフ1両が減車される。

なお、和田氏によれば、基本編成が室蘭から札幌に変わったのは昭和34年9月改正からのようであるとのことです。

 

 

 

客車準急「エルム」 時刻表でたどる運転時刻と編成」への31件のフィードバック

  1. 井原さん ちょっと質問があるのですが時刻表の編成表で「ハシ」とか「ネCロ」とか「ネC」はどんな客車だったのですか。「ハシ」は半分2等座席車で半分は食堂車?まさか食堂車と言っても立ち食いそば屋みたいなものだったのですか。「ネC」の「C」はいったい何なのですか。教えてください。

  2. どですかでんさん
    「ハシ」はスハシ38で、「ネCロ」はマロネロ38と思います。
    マロネロ38は急行「大雪」に連結されていたので乗りに行きました。
    「ネCロ」とは「Cロネ+ロ座」の意味でC級(非冷房)二等寝台+二等座席合造車です。
    スハシ38は半車食堂+座席のれっきとした食堂車です。
    スハシ38の写真を見てください。

    • 米手さん 珍問に答えていただいてありがとうございます。食堂車と座席車の合造車だったのはわかりましたが、どんな感じの合造車なのかスハシ38で検索してみました。すると車内配置図のあるサイトがあり、それを見ると座席の部分が左右両側4人掛けが4BOXでした。そして残りは食堂のエリアとなっていることがわかりました。なんでこんな座席数の少ない客車を作ったのですかね。なにか食堂の席待ちのような感じがしました。この時はイロハの等級の時代なのですか。なぜC級なのですか。そしたらB級はあったのですか。このC級の表示は時刻表だけなのでしょうか。

    • 訂正
      上記「マロネロ38は急行大雪に連結されて・・」は「スハシ38は急行大雪に連結されて・・」の誤りです。

  3. 学術的なことは井原博士にお任せしますが、ハシは東北や北海道の比較的長距離の急行に使っていたようですが、私が乗った昭和40年前後では急行「大雪」だけだったように思います。
    Aロネはコンパートメント寝台のマロネ40、Bロネはマロネ41などで、いずれも冷房付きだったと思います。20系にもA、B、寝台がありました。記憶だけで書いていますので間違い御免!

    マロネロ38の写真

    • 米手作市様
      本日はありがとうございました。
      検索方法を色々教えて頂いたので、探してみました!
      マロネロ38ですね! 茶色の時代でしょうか?
      この車が、準急利尻とかにも入っていたと思うのですが、詳細を知りません。代車として入って居たのかも知れません。
      また、色々と教えて下さい。

      • 廣瀬様
        本日は遠路はるばるご足労をおかけしまして申し訳ございません。
        この写真は以前に投稿したもので、上方の図18にあるように当時の北海道では定期運用で多く使われていました。しかし、本土では、特に近畿では絶対見られない車種のためスハシ38とともに見に行ったと言うことです。色は勿論茶色です。
        余談ですが、三軸台車の乗り心地は空気バネに匹敵しますよ!

        • 米手作市様

          こちらこそ、お忙しい中をお時間を割いて頂き恐縮です。その上、早速返答頂きありがとうございます。

          さて、図18確認しました~
          スッカリ忘れていました。
          考えてみれば当たり前なのですが、マロネロ38の編成にはスロ52は入っていないのでよね。利尻にスロ52が入っているのは、オロハネ10のハネ非冷房時代がベストフィットなのでした(お粗末) しばらく客車談義をしていないと基本的な事まで怪しくなります。 スロ54編成も欲しいし~
          一体、利尻編成をいくつ作るつもりなのか。 

          三軸台車の乗り心地はそんなに良いのですね! やはり軸重対策だけでは無いのですね。 三菱石炭鉱業のスハニ6に乗ったことが有るだけなので、分かりませんでした。遅いし、線路状態はイマイチだし・・・ タタタン、タタタンと云う感触は味わいました。

  4. 井原実様、米手作市様、どですかでん様
    福塩線の増結問題がマロネロにまで発展するとは予想もつかず、また井原様のエルム特別講義には頭の下がる思いです。私が唯一持っている古い時刻表 昭和36年6月号の巻末を改めて見てみました。すると「ハシ」は急行403,404レ「鳥海」にも組み込まれていました。これもスハシ38なのでしょうか?また「ネC自ロ」は急行801,802レ「羽黒」に、「ネCロ」は急行203,204レ「伊勢」、901,902レ「那智」に組込まれていることがわかりました。特に東京を出発する際には3列車併結の「能登」「伊勢」「那智」は15両の堂々たる編成だったのですね。名古屋で軽くなるので関ケ原を越えられたのでしょう。
    井原様 特別講義の中の昭和27年 横浜・札幌間の特殊列車1201,1202レとは一体どのような列車なのですか?青函連絡船に積み込まれてロングランしたのでしょうが、GHQに関わる列車ですか? 

    • 特殊列車(1201,1202列車)について
      西村さんのお察しの通り、当初連合軍の列車として登場したものです。最初は昭和21年4月22日から上野-札幌間(常磐線・小樽経由)毎日運転の連合軍専用列車1201,1202列車“Yankee Limited”として運転を開始しました。そして21年7月16日から東京-札幌間になり、さらに同年11月5日から常磐線・苫小牧経由の横浜-札幌間になりました。といいましても1編成まるごと全区間を走るわけではなく、荷物車と一等寝台車が直通し、他の車両は本州と北海道で別々に編成しました。青森と函館では入換にたいへんな手間がかかったことと思います。青函連絡船に寝台車を乗せて運航したわけですが、26年5月、津軽海峡で機雷が発見されてから、青森-函館間の寝台車航送は中止されました。
      27年4月28日に講和条約が発効し、Occupied Japanが終わりますが、それより少し前の4月1日から鉄道は米軍の管理下でなくなりましたので、1201,1202列車は“Yankee Limited”ではなく、制限付きで日本人も乗車できる「特殊列車」と呼ばれる急行列車扱いの特殊な列車になりました。またその時から寝台車の航送が再開されましたが、29年9月の洞爺丸事故で1等寝台車(マイネフ38 5)が沈没したので、寝台車航送はまた中止されました。なお、事故後有川桟橋に引き揚げられたマイネフ38 5の残骸を山科の人間国宝さんが撮影されています。そして29年10月1日時刻改正で急行列車となり、本州と北海道で別個の列車にして、本州は「十和田」、北海道は「洞爺」という愛称が付けられ、「特殊列車」の運転は終了しました。

    • 西村様
      特殊列車1201・1202レの編成表(時刻表28年11月号)を本文に追加しましたので、ご覧ください。

      • 井原実様
        特殊列車の存在を全く知りませんでした。郵便車、荷物車が津軽海峡を渡るのは知っていましたが、寝台車だけとはいえ定期列車が青函連絡船に乗っていたとは。昨年、青森港の八甲田丸を見学しましたが、車両甲板にキハ82やDD16がいて大変違和感を感じたのに加えて、客室部分の多くが展示室になっていて、当時の雰囲気をあまり感じられず、少々がっかりでした。

  5. 偶然ですが1962年3月夕方、植苗で下り列車を待っているとき通過した蒸汽時代の上り室蘭行き準急を撮っていました。名称は第4ちとせと記憶していますが。

    • 村樫四郎様
      ご無沙汰いたしております。クルクルパーを除けば完璧なシゴイチですね。植苗ですと3月でも雪がないようです。貴重な写真を拝見させていただき有難うございます。

    • 村樫四郎様
      貴重な画像をありがとうございます。上り「第4ちとせ」は千歳16:55発ですから丁度「エルム」の後身と言えますね。
      機関車は室蘭のC51でしょうか。

  6. 井原さん、寝台車の図面と時刻表にあった寝台案内図ありがとうございます。この図を眺めながらいつも憧れの北新地ではなかった!あぁ憧れのA寝台と思っていたものです。ところでマロネロ38は図面でのロングシートみたいなところが寝台になるのですか。幅は610mmほどあるのですが長さは1780mmと短いような気がするのですが、いかがなものなんでしょうか。

    • 接待を伴う飲食にはご注意ください。
      マロネロ38の二等寝台の寸法は、長さ1780ミリ×幅(奥行き)700ミリです。たしかに1780ミリで十分とはとても思えません。スハネ30が1900ミリ×520ミリですから三等寝台よりも長さが短く、昔の人は身長が低かったのですかね。時刻表29年5月号の「国鉄寝台案内」を本文に載せておきます(図24,25)。図25の上の「マロネ37及38型」がそのイメージです。マロネロ38も同じです。

      • ほんまですね。接待飲食には注意しないといけませんね。ところで寝台の幅は昼間の背もたれの部分を含めて700mmですので実質寝ることができる寝台の幅は図面から割り出して610mmぐらいと考えてみました。実際にどんな感じかと寸法を計って寝転んでみましたが、寝返りをしたりするには狭いし、前後が窮屈です。端っこですのでよく揺れたと思います。柵がなかったら床に転がり落ちていたと思います。まあ、横になるだけでもましですかね。

    • 未来少年コナンを見ながら井原さんへのコメントを書いていたら、米手さんに先を越されてしまいました。しかし、貴重な写真を見せていただきありがとうございます。写真から想像するとマロネロ38の寝台部分はなにやらせせこましい感じがしますね。

  7.  井原 実様
     準急「エルム」の旅を満喫させていただきました。
     客車列車らしくいろんな方々が乗り降りされ、楽しいお話やご注文を楽しませて頂きました。
     改めて井原さんの博識に敬意を表させて頂くと共に様々な資料を拝見することが出来たことを有り難く思います。
     ところで、米手さんのマロネ29の車内写真を見て思ったことです。ロネは憧れです!残念ながら乗ったことがありません。もし、この列車に乗って朝を迎え寝台が畳まれ、昼間仕様になった時に窓側の背もたれに寄りかかり着座した際、床に足が届いてリラックスした着座姿勢がとることが出来たのでしょうか? 寝台の幅が70センチ、座るとどんな感じになるのでしょうか?皆さん堂々とゆったりリラックスされていたんだと思うのですが・・?

        • なんでウーン!何ですか?ついこないだでは、電動客車の長椅子に着物をきたおばあさんがよく履物を脱いで、正座おっちょんしていましたよ。そしてミカンなんぞを袋から取り出して、もぐもぐと・・・

      • 夜間は頭がつかえて窮屈、昼間は座面の奥行きが深すぎて持て余すというシロモノですか。

        • 歴史的事実を現在の物差しで判断するのは間違いです。昭和10年頃の日本人はチビで短足でした。

          • 月々キッチャテンで1杯のコーヒーより少し安い金額を払って「鉄道ファン図書館」を見ています。鉄道ファン以外の絶版本も見ることができ、その中で校友社に所蔵されている占領下の軍用客車形式図集があります。それを見いているとマロネロ37を改造した寝台座席合造車がありました。図面を見ると寝台部分は変わっていません。長さは1780mmです。改造されたところは座席を左右2席分を減らして、通路を挟んで事務室のようなものを2室つくられています。それ以外の改造はありません。背の高いアメリカ人は体を猫のように丸くなって寝たのでしょうかね。

          • どですかでんさんご紹介の客車は、連合軍専用客車の寝台座席合造車1613(BELMONT)ではないでしょうか。1951年の形式図を本文に載せておきます。「事務室のようなものを2室」は、「DRESSING ROOM」とありますので「化粧室・更衣室」ですね。1600代を付けられた専用客車は全部で14両あり、なかでも「DRESSING ROOM」があったのは1613だけでした。履歴は、
            マロネロ37633(1939年新製 大宮工)→(1941年改番)マロネロ37 34→連合軍接収(1947年5月15日指定、1952年4月1日解除)→(1953年称号改正)マロネロ38 16→1964年廃車。解除後は長らく大ミハにいて廃車になりました。
            この図では、広めの「DRESSING ROOM」と「WATER COOLER」のために2等座席の定員が32名→18名になっています。また、1948年1月の形式図では、2等座席の定員が24名で、冷水器もなく、化粧室・更衣室に接して腰掛が残されています。どですかでんさんがご覧になったのはこちらの図でしょう。それにしてもなぜこの1両にだけ化粧室・更衣室ができたのでしょうか。

  8. 井原さんの言われる通り、見ていたのは1948年1月の形式図のもののようです。そこには番号3734とあり、施工工機部大宮 改造年月 22-6と書かれています。所属は「東」と書かれています。軍番号は1613です。図面を比較していると部屋の用途が変わったような感じがします。

    • 1948年1月の形式図VC03299には、中央の2部屋には「DRESSING ROOM」と明記されてはいませんが、「机」・「腰掛」・「鏡」・「片持灯」と記入されていて、「鏡」が必要な事務室?ではなく、最初から「DRESSING ROOM」だったように思えるのですが...

      • 井原さんのご指摘通り最初から「DRESSING ROOM」のようですね。よく見ると扉の横にハンガー掛けのようなものが記載されていました。寝るところが狭くてパジャマに着替えられなかったのかな?

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