雑誌「ならら」の今月は鉄道のまち王寺を特集

龍田古道を特集した11月号を取り寄せてもらうつもりで本屋に行ったら12月号があり、王寺駅開業130周年の特集でこれも買いました。

ならら12月号

龍田古道についても連載2回目でルートとして古代の道と近代の鉄道のルートが同じであることが興味深く思いました。そして、今の王寺駅の写真はというと

王寺駅を発車した奈良行

奈良駅より乗降客が多い駅で、今でも交通の要所です。

通信機能付き携帯電子計算機での投稿は意外とお手軽にできるようです。

7 thoughts on “雑誌「ならら」の今月は鉄道のまち王寺を特集

  1. 王寺駅はあまり馴染みの無かった駅でしたが、先日の信貴山ツアーでは、駅前で参加者同士で昼ご飯まで食べて、すっかり溶け込みましたょ。先達のNさんが、面白い位置から王寺駅を撮っておられました。昭和30年代、C51の牽く関西線の列車と、キハ17系の桜井線が併走しています。先日、みんなで田原本線の電車に乗り、“この場所から撮ったのか”と思いました。

  2. 「柳生号」の赤いヘッドマーク、なつかしいです。運転されたのは昭和46年ですので、半世紀近い昔のことになりました。運転最終日に王寺駅で、発車を撮っております。

  3. 皆さん、コメントありがとうございます。総本家青信号特派員さんの写真にある田原本線が関西本線をオーバークロスする築堤は、今も電車はゆっくりと下っていきます。田原本線の電車の窓から王寺の町が近づいてくる風景が気にいっています。大和鉄道の蒸気列車はどんな感じだったのでしょうか。想像するだけでも楽しくなってしまいます。紫の1863の柳生号ですが、私は柘植の駅でヘッドマークを付けた単機回送して戻って来たD51を撮っているのですが、写真が見つかりません。多分あると思うのですが探してみます。

  4. 柳生号の柘植駅で撮った写真がありました。1971年10月3日の撮影です。柳生号を撮りに行ったのではなく、柘植駅周辺で蒸機を撮りに行った時にたまたま柳生号のヘッドマークがついていたのでラッキーでした。ところで、前回のコメントのお礼で「紫の1863さん」と書くところを敬称略となっていたことに気が付きました。失礼いたしました。

    • どですかでん様
      日にちが開いてしまいましたが、どうぞ、お気になさらないでください。些細なことですから。
      柳生号は私にとって思い出深い列車で、木津で撮ったあと気動車で伊賀上野に移動し、帰りは終着の天王寺まで乗ったものです。牽引機のD51は柘植まで方向転換に行ってましたが、発車のずいぶん前に伊賀上野に戻ってました。小一時間はあったように思います。子供たちは運転室に乗せてもらったり、乗務員の制服と制帽を借りて記念写真を撮ったり、蒸気機関車を満喫したことでしょう。国鉄職員のファンサービスの一環かもしれませんが、自分の子供や孫と接するような暖かな雰囲気を感じました。そんな和やかな風景を写真に残せたらよかったのですが、当時の私は中学3年生で、考えがいたりませんでした。
      柘植で撮影された柳生号牽引機のD51 452は、初めて拝見しました。私は佐那具で伊賀上野に戻る同機を見かけましたが、とてもお見せできるような写りではなく残念です。

      • 紫の1863さまは中学3年生だったのですか。私はDRFCに入会して2年目です。私も中学生の頃は親にカメラを借りて撮ったりしたのですが、スカばっかりの写真でした。今でもあとでしまったと思うことが多く、まだまだ修行が足らんなと思ってしまいます。何事も精進、精進。

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