古い絵葉書が・・その4

人気がないと思い、続編打ち切り!を決意しました。が、この度井原さん、西村さん、1900生さんから「早く続編を!これを見なければ新年が迎えられない。デジ青史上最高の企画だ」(多少の誇張と我田引水を含む)と熱いラブコールを頂き、やはり見る人が見れば分かるものだ、と再開を決めました。

でもその前に反応のなかった前回にも遠慮しないでコメントしてください。

古い絵葉書が・・その3

※無回答が多かった「その2」「その3」に正解を書き込みましたのでご覧下さい。

⑲D6058 1970.4 1900生さん正解!久大本線 湯布院ー南湯布院

力闘

 

⑳C58×2 1971.2 陸羽東線 鳴子ー中山平 井原さん正解

力闘

 

㉑C62重連出発C622+C6216 1971.3 長万部 1900生さん正解

力闘

 

㉒離合 C11313 C11366 1971.10 正解は会津線 湯野上駅です。

力闘

 

㉓C5519 1970.7 筑豊本線冷水峠 筑前内野~筑前山家 1900生さん

力闘

 

㉔D51484 1969.12 石北本線常紋信号所を通過する590レ 西村さん正解!

力闘

 

㉕C6217 1970.3 呉線 安芸阿賀ー広 西村さん正解

力闘

 

㉖C6124 1971.6 奥羽本線 二ッ井ー前山 井原さん正解です。

力闘

 

㉗D5256 1970.12 室蘭本線 静狩ー小幌でした。

力闘

 

㉘峠のパシフィック C57109 1970.7 日豊本線 青井岳ー門石

力闘

おしまい

古い絵葉書が・・その4」への25件のフィードバック

  1. 米手作市様
    早速の蔵出し、ありがとうございます。多くの方からのコメントを期待して、ひとつだけ回答します。㉔は石北本線常紋信号場ですね。1900生さん、KAWANAKAさんとこの場所に立ったときのことをなつかしく思い出しています。もうあれから半世紀が経ちました。

  2. 蒸気機関車は撮影された時期と番号が分かれば、路線名とおおよその場所の察しが付きます。ところが㉔のように山の中で撮影されたものは、現地へ足を運んで撮影された方にしか分かりません。西村様はいとも簡単に答えを出されましたが、私はさっぱりわかりませんでした。
    ㉓のC55 19は私にとって忘れられない場所ですが、ひとつ前の㉒を考えてみます。C11 313・363の両機ともに、この時期は会津若松区に所属してました。使用線区は会津線と日中線です。
    当時のダイヤで離合する列車を探すと、会津只見線で4駅、会津滝ノ原線に1駅見つかりました。光線状態や線路の様子から会津坂下駅のように思いますが、確たる証拠はありません。C11 313は停車中で、列車停止位置の標識がわずかに見えています。C11 366は進入してきたようです。ですが、会津宮下駅のような気もして、どちらとも決めかねております。

  3. 米手作市さま
    早速越年の糧を蔵出し戴き感謝申し上げます。これで年末年始の無聊を慰められます。しかしご厚意にお答えしようと意気込んだものの、中々撮影ポイントまでは分かりませんが、以下心当たりを書いてみます。なお厳冬期の常紋にヒグマは居りませんので念のため。皆さん冬眠中ですので。
    ⑲久大本線:由布院~南由布間。D60とバックの由布岳から。
    ㉑これは言わずと知れた下り「ニセコ」の発車シーンだと思います。重連の吐く煙で背景が確認できませんので、ちょっと不確かではありますが、広い構内で急カーブしているのはここしかないと判断しました。
    ㉓自信はありませんが筑豊本線では。だとすれば筑前内野~筑前山家間辺りでは?
    ㉕呉線の急行「安芸」ですね。西村さんの地元、三原の須波寄りの鉄橋だと思います。
    ㉗室蘭本線だと思いますが、場所の特定はできませんでした。
    ㉘日豊本線青井岳ですね。少し宮崎寄りの鉄橋です。ここは色んな角度からの撮影が可能で、SL亡き後もキハ58系・ED76ブルトレ・475系急行型電車などを撮りました。

    西村雅幸さま
    ほぼ半世紀前の想い出ですね。これは除雪用矢羽根の付いた信号機付近だったでしょうか?確かKawanakaさんが雪を踏み抜き、水路で足湯ならぬ足氷水をされて大変でした。当日朝、留辺蘂駅のホームで「今朝は暖かいね」と言いながら見た寒暖計がー15°Cを指していましたね。信号場では列車待ちの間、ストーブに当たらせて戴き熱いお茶までご馳走になりました。

    • 1900生様
      ㉕ですが、これは安芸阿賀・広(現在では新広)間にある黒瀬川橋梁です。㉔の常紋信号場ですが、引上げ線にあった木造のプラットフォーム上から誰でも簡単に撮れたカットだと思います。私の写真を添付しておきます。KAWANAKA氏の足湯は北浜・浜小清水のトーフツ湖ではなかったでしょうか?

      • 西村雅幸さま
        安芸阿賀~広(現在は新広)間でしたか。そこなら113系湘南色を撮りに行きましたが、橋梁が勾配になっていたようなのと、もう少し短く感じたので判断しなかったのですが。ご教示有難うございました。

        KAWANAKA氏のドボン事件は前日の北浜でしたね。猛烈に寒い日でした。翌日の留辺蘂駅のー15°から思うと、北浜はー25°位だったのではと話し合ったものでしたね。

    • 米手作市さま
      う~ん、小生にはこの辺りが限界ですね。どなたかお詳しいかたのお力をお借りしましょう。
      ㉑は長万部発車ではなかったですか。となると思い当たる所はないですね。

      • 長万部なら正解だが駅名を書いていなかったので不正解とした。
        ワシは厳しいのだ!(高橋勘)

        • 米手作市さま
          確かに。長万部と書いたつもりが書いていなかったのではしょうがありませんな。
          それにしても「高橋勘」が解る方がどれほど居られるでしょうかねえ。

          • 貴兄と西村さんと特派員さんとぶんしゅうさんに分かればいい。

  4. 米手様
    ⑳は陸羽東線堺田-中山平温泉間、
    ㉖は奥羽本線二ツ井-前山間
    と思います。

    • 年末営業終了後で打ち上げをしているのに飛び込みで解答を入れるとは、井原さんやから受け付けます。
      ⑳は“ほぼ正解” 正確には「反対側」の鳴子ー中山平です。年末大サービスで正解!
      ㉑はもちろん大正解!
      来年もよろしくお願いします。ただし、営業時間内に!

        • 井原様
          明けましておめでとうございます
          こちらこそよろしくお願い致します。
          ところで今年の年賀状は「平成33年」と解釈しての趣向でしょうか?

          • 明けましておめでとうございます。なんとか年を越せたようです。
            国鉄には、形式が「3」の客車は無いようで、番号が「3」の客車は木製の御料車3号と鋼製の御料車3号がありましたが見たことはありません。また、戦後の一時期「マヤ3」という特別職用車がありましたが、これも見たことがありません。しかたがありませんので、31以降はそのまま継続しております。30代の形式は多いので都合が良いのです。
            ところで、「営業時間内に!」とは何でしょうか?どこに表示してありますか?営業自粛にならないようにお願いします。

      • そーゆうわけでしたか!よく解りました。
        ところで「営業時間」は気分次第の気まま営業ですから、相手の顔を見て決めますのでご遠慮なくお出で下さい。
        私も来年の写真を探さなければ、と思っております。

  5. 新年おめでとうございます
    湯野上でしたか。これは分かりませんでした。湯野上駅は南北に線路が敷かれていて、なるほど、光線の具合から南を向いて撮影されてますね。
    C11 313は会津田島行きの365列車、右側のC11 366は会津若松行きの362列車のようで、撮影時刻は午後2時半過ぎと思います。
    今年もよろしくお願いします。

    • 紫の1863様
      明けましておめでとうございます
      新年最初に目の覚めるような解答をありがとうございます。年賀状に写っていた、大谷大学前の2600、よかったですよ。
      今年もデジ青をよろしくお願い致します。

  6. 無回答が多かった「その2」「その3」に正解を書き込みましたのでご覧下さい。

  7. 米手作市さま
    正解発表有難うございました。
    ㉗は静狩の大カーブでしたか。2度訪れていますがわかりませんでした。
    最初は昭和44年夏、クラブの北海道夏合宿時に総本家青信号特派員さまはじめのメンバーと一緒だった記憶があります。当時はこの写真のようにスカッとした綺麗なカーブが撮れたものです。
    2度目はこの記憶があったので、まだ北斗星やトワイライトEXPが走っていた頃に編成を撮りたくていきましたが、線路脇の樹木が成長していてアテが外れました。毎週土曜日に週4回運転のカシオペアとトワイライトの運行が重なり、定期の北斗星2本と合わせた北の寝台特急4本の内3本が小一時間のうちに効率よく撮れたものです。特にカシオペアとトワイライトは5分ほどおいての通過でした。
    これでお正月を平安のうちに過ごすことができました。企画~実施~検証と、お世話をおかけいたしました。又の機会を楽しみにしています。

  8. 年明けで、コメント入れるのをすっかり忘れていました。
    遅ればせながらおめでとうございます。KAWANAKAです。
    北浜の足湯の件は、2年ほど前のデジ青”寒い中北海道みて歩き”に詳細があります。顛末はそこで知ることができます。-15℃中での1900生さん、西村氏の写真もあります。慣れとは不思議で、その時は快晴で、瑠辺蘂の駅頭で、今日は温いで、言うていましたから。
    常紋の写真も同じ記事中で記載されています。
    なお、常紋のヒグマですが、昭和47年5月に単独で訪問しており、生田原から信号場まで歩いた。その時俯瞰写真を撮りたくて、常紋に向かって左側の小川(あったかな?)を渡り、向かいの小山のクマザサを掻き分けて登った。視界はよろしくなく写真は撮れなかったと記憶するが(ササの中で苦労している写真はあったと思う)、思えば冬眠明けのヒグマが居てもおかしくなかったでしょう。当時は動き始めた客車中で目を覚まし、深川のホームを外れたところで、三脚とカメラバッグを投下後、デッキから天降ったとか、結構むちゃなことをしたことを思い出しました。
    二ツ井では、マミヤプレスでC61を重ね撮りしたりしたことを思い出しました。写っていれば絵葉書のような写真のはずだったはずです。半世紀前のことで懐かしさがこみあげます。

    • KAWANAKAさま
      お久しぶりです。脚氷水は西村さんご指摘の北浜だったんですね。しかし常紋信号場から少し下った、丁度信号機が建っていた辺りでも雪を踏み抜いて、築堤下の小川で足を洗われてましたよね。
      生田原から歩かれたそうですが、常紋に向かって左手に小川と林道がありましたよ。クマ笹をかき分けて反対側に行かれたとか。トンネルとの中間辺りで林道が踏切を越えて山側に移ります。その先にSL撮影地として有名だった144㎞・145㎞地点がありました。更にその先、白樺林をウネウネと進んでゆくと常紋信号場へと至ります。という説明が出来るということは、実は小生も歩いたんですなあ。それも石北貨物のDD51を撮るために。かつて石を投げる対象だった51にです。些かの嫌悪感を感じながら。どちらも懐かしい想い出になりましたね。

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