木次線DE15の先行き不安

中国新聞の記事をもうひとつ。

令和3年5月28日 中国新聞朝刊

木次線出雲坂根のスイッチバックをみんなで堪能しようと企画した「木次線ツアー」だったにも関わらず、丁度その日に土砂崩れが発生し、肝心の区間を代行バスで通過するという大ハプニングに見舞われました。木次で一泊した翌日、再度備後落合方面に戻られた方はスイッチバックを楽しめましたが、出雲、松江方面に出られた方は、涙をのまれた旅でした。そんな木次線観光の目玉とも言うべき「おろち号」が2023年までに廃止されることが決まったようです。2023年というのは牽引機のDE152558の「車検切れ」のタイミングを指しているのでしょう。従って最も遅いと2023年であって、コロナや何やかやの理由でもっと早く廃止されることは充分に考えられます。

平成29年4月9日 出雲坂根駅にて

ダブルクロスを渡って出発

国鉄からJRに引き継がれた際には84両もあったDE15は、現在JR北海道に3両とJR西日本の後藤総合車両所のこのDE152558の計4両しかないようです。そもそもDE15は除雪が主目的の機関車ですが、JR西は除雪気動車キヤ143を開発しており、DE15をキヤ143に置き換えるようです。しかしこのキヤ143は56Tonもあり、軸重は14Tonです。DE15の軸重は13Ton らしいので、キヤ143は機関車並みであり、地方線区に入線できるのかどうか心配です。このDE15やおろち号の廃止によって、木次線の命運も危ぶまれます。

6 thoughts on “木次線DE15の先行き不安

  1. セルフコメントです。書き漏らした件がありました。もう1両DE15が生きているようです。大垣にある西濃鉄道に今年5月に入線したそうです。元DE152526⇒DE151251で旭川、釧路、秋田臨海鉄道、仙台臨海鉄道を渡り歩いて西濃へ来たようです。西濃には三原生まれのDDが2両いるのですが、こちらの方がよほど古く、部品探しに苦労すると赤坂の機関区長が嘆いておられました。そういう意味ではまだDE15の方がマシなのでしょう。

  2. 青春18切符が余ったので使ってくれということで乗ったことのない和田岬線(これは山陽本線の盲腸線?)と東海道本線の盲腸線(美濃赤坂)を訪れました。そこで西濃のDLを撮ってきました。中山道赤坂宿をブラブラしたり、赤坂本町駅跡を見たり結構面白かったです。DLは車体がきれいでしたので大事にされているようでした。

  3. どですかでん様
    西濃の写真ありがとうございます。私が美濃赤坂を訪ねたのは平成29年5月で、4年前のことです。クラの中には、DD402,DD403とDE10501がいました。DD402は台車を外されて整備中で、この日はDE10が入換えに従事しており、DD403は動いていませんでした。DD402は昭和44年生まれ、DD403は昭和47年7月生まれでもうすぐ49歳です。北国からDE15がやって来たのであれば、DDはお役御免となるのでしょう。

  4. まじめな話を。
    DRFC-OBは以前から木次線への関心が強く、写真集も作っている。木次線が芸備線などと共に廃線の危機にあることは以前から予想されていた。個人的ではあるが地元の観光団体や知人に木次線の観光資源としての重要性や歴史資産としての貴重性を訴えては来ていたが、地元民の関心は私ほどは高くなく、反応薄である。先人が私財や労力を費やして作った鉄路を、一私鉄に過ぎないJR西日本が増収のための努力も知恵も絞らず、赤字は廃止とルーティンで決めるのは無能の極みではないか?役所というのは潰れると言うことをしらない。それがいかに悲惨で人格を破壊する経済事件であるかを理解できない。だから利益を得るために血を絞る努力もしない。
    最後の機会と今一度知ってるルートを使って県庁やマスコミに働きかけてみようと思っているが、会員の中で助けてくれる人があれば知恵を貸して欲しい。
    まず、車両が古くなって保守ができないそうだが、DE15に代わる機関車はないのか?客車も12系を使っているが梅小路で使っているトロッコのように、コキのフレームを使えば箱(車体)だけ作れば行けるのではないか?などDRFC ならではの提案を考えて欲しい。さらには観光地の開発と提案だ。私は「鬼の舌震い」と「たたら」を観光の目玉に採り上げたが他にあればおしえてほしい。
    いずれにせよ、一旦廃止されたら復活はできない。現役の三段スイッチバックは鉄道文化財である。
    私は木次線を守りたい。

  5. 木次線といえば亀嵩、備後落合、松本清張、砂の器と連想します。そして映画「砂の器」のスタッフは木次線ツアーの時に泊まった旅館「天野館」に泊まり込んでロケをしたとのことです。そして松本清張さんがお父さんの里を訪れる途中で立ち寄って1泊した旅館が備後落合にあります。駅のすぐ近くです。新日本風土記で「松本清張 昭和の旅」という番組で紹介していました。何回も映画やTVドラマなど映像化されています。木次線といえば「砂の器」です。写真は松本清張さんが泊まった元旅館で左側の立派な建物がそうです。

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