続・ユースで巡った鉄道旅 -5-

「南近畿周遊券」を使った本テーマの昭和46年7月の旅は、もう少し続きます。ただテーマであるユースの宿泊は、前項(4)で終わっていて打ち止めのはずでしたが、意外なな(?)紀勢本線への反応で、多くのコメントをいただました。そこで、ユース宿泊は無いもののの、この旅の最後まで載せることにしました。

前項の岩代付近の海岸沿いの撮影は、真夏のカンカン照りのなかの撮影、ノドの渇きと空腹で、途中で投げ出してしまい、早めに紀伊田辺へ。一服してから、紀伊田辺機関区へ向かった。準特急さんのコメントにも応答したが、機関区の背後に、住宅の建っている丘があり、そこから機関区全体が見下ろせる。庫は木造の貧相なもので、蒸機は、ほとんど扇形線に留置されている。車両基地を俯瞰で写せるのは珍しく、居並ぶC57・C58の集煙装置の構造もよく観察できた。

紀伊田辺機関区で写したあと、下りの最終急行に乗って、深夜の新宮へ。ここから、22:40発の天王寺行きの夜行鈍行921レに乗って、和歌山に3:53に着いて、再び和歌山線の始発列車に乗車しました。深夜、上下の夜行列車を乗り換えて、再び元に戻って来る、“〇〇ターン”は北海道が有名で、“上川ターン”とか“士別ターン”などがありましたが、なんと南紀でも可能だったのです。

前々日に和歌山線へ向かったのと同じ始発列車に乗ったものの、寝過ごしてしまい、すぐ反対列車に乗って、本日の撮影地の船戸まで戻って来た。ちょうど蒸機の一番列車、C58 234の牽く522レとは、駅で交換となった。

紀伊小倉寄りに歩いて、C58 211の牽く、客車6両の524レを撮影。

船戸駅のすぐ和歌山寄りに県道がオーバークロスしていて、ここから駅の様子がよく見える。つぎの和歌山市行き521レの到着を写す。多くの通勤客がホームを埋める。機関助士は、タブレットを授受するところ。

C57 119の特徴である機関士側のキャブ前面の三角窓を見る。採光を良くするため、鷹取工場で改造された。関西の蒸機には見られたが、全国的に普及しなかったようだ。

続いて到着したC57 147の牽く523レを船戸駅でとらえる。先ほどよりも大勢の乗客が待ち受けている。オーバークロスする県道の下で523レの発車を。客車の編成も長い。

貨物592レを牽くC58 80 ダフレット投下の瞬間をとらえる。

この日、午後からは阪和線山中渓に移動、阪和線の客貨を写す。下り区間快速、クハ76 314ほかのスカ形編成。ED60 5の牽く下り貨物。こちらは、石油を積んだタキ編成のためEF52重連(3+2)となった上り貨物列車。最大長の電機の重連。

いっぽうこちらはEF15 120の牽く下り貨物、まだEF58の入線はなく、デッキ付き電機の活躍が見られた。山中渓駅でクモハ60059ほかの区間快速を。これで均一周遊券「南近畿周遊券」を目いっぱい使った7日間の旅行が終了した。

 続・ユースで巡った鉄道旅 -5-」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    アホの一つ覚えのように、順光、斜めがち、後追いせず、そして俯瞰。こんなことばかり考えて60年です。うまくなるはずはありませんが、やはり俯瞰はよろしいですね。違った角度から機関車のディティールがわかりますし、全体を見ても模型のようで面白いです。若いころは多少機関区詣でをしましたが、バックに丘や小高い山がある機関区は思いつきません。熊本機関区もちょっと違うようです。何れにしましても少し高い位置、最近では車にヒヤヒヤすることもありますが、線路を跨ぐ道路などはよく行きます。さて、紀勢本線ですが、三木里~新鹿間を最後に苦労して開通させて紀勢西線、東線がつながったのは1959(昭和34)年7月のこと。そんなに大昔のことではないのにもう新宮~白浜も廃線のうわさが出ています。今の時代は本線と名がついていても安心してられませんね。総本家さんの山中渓を始め数々の名作もこういう時に撮ったのだなとそのストーリーがわかるようです。

    • 準特急さま
      いつも暖かいコメント、ありがとうございます。そうですね、俯瞰ができた機関区は、見当たりませんが、蒸機時代の国府津、平の機関区は裏手が小山だったように覚えていますが、果たして俯瞰が可能だったかは不明です。準特急さんの故郷の熊本機関区は、とにかく狭いところだった記憶しかありませんでした。いまは地方へ行っても線路沿いからの撮影は憚れるようになり、高架道路から俯瞰するか、踏切しか撮影出来なくなりました。
      紀勢本線は、この50年前の撮影以後、乗ったのも2、3回で、まして撮影などしたことがありません。関西人でもなかなか行かないところです。今回、カビたような古い写真を載せられて、紀勢本線を思い起こす、いい契機になりました。

  2. おはようございます。本文中の「C57 117」は147号機の間違いですね。写真でも読み取れます。117号機は門デフ付きのお召し機だったので、九州にいました。失礼いたします。

    • K.H.生さま
      準特急さま
      C57の番号の誤記のご指摘、また写真の掲載、ありがとうございます。番号は訂正しておきました。調べますと、C57147も御召牽引の実績があることが分かりました。また撮影1年後には、遠く苗穂へ転属していました。しかし、1年で廃車、解体されたそうです。

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