新緑の京都をめぐる (2)

嵐電を写すために嵐山まで来たついでに、山陰本線(嵯峨野線)にも寄ってみることにしました。嵯峨野の竹林のなかにある野々宮踏切へ、観光客に囲まれて向かいます。この踏切は、50年前にはC57を求めて通ったり、最近では、湘南色の113系が見られなくなるというので何度か訪れていましたが、それ以来の久しぶりの訪問となりました。竹林やそれに続く小倉山も新緑に映えている。通り過ぎる列車は、残念ながら無表情な車両ばかり。城崎温泉行き「きのさき9号」。

この区間、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車も同じ線路を共用している。下りは、推進運転となるため、貨車改造のトロッコSK200が先頭、誘導員が乗務しているのが見える。以前、タレント二人が踏切から外れて線路上で撮った記念写真をSNSに上げて、謝罪に追い込まれたところ、客の多い時は、ガードマンが配置されている。

その先に陸橋があり、現在では墓地への専用路となっている。すぐ先が、山陰本線下り線と、トロッコ線の分岐で、上りトロッコは、山陰線の通過を待って、下り線を逆走、嵯峨嵐山へ向かう。インバウンドには大人気のトロッコ列車だが、急に増えた日本人観光客で車内は結構の賑わいだった。

 

 

 

 

 

日中の普通、快速は221系4連。嵯峨野線は、最近の輸送動向で、改正ごとに本数の増減を繰り返している。日中時間帯で見ると、2017年3月改正では、急増する外国人観光客に対応して、京都~園部20分ヘッドから15分ヘッドに増発、増発分は嵯峨嵐山折返しとなった。ところがコロナ禍で外出自粛、外国人観光客はゼロとなり、2021年3月改正では、嵯峨嵐山折返は廃止、20分ヘッドに逆戻りした。そして、ことし3月改正では、京都~園部の普通が亀岡発着となり、亀岡~園部は1時間1本に減便となった。

 

 

湘南色113系(C17編成)の走っていた時代、やっぱり国鉄色は新緑によく映えている。後部に福知山発クモハ112+クモハ113の5300番台を連結した113系6連。2008年5月

 新緑の京都をめぐる (2)」への7件のフィードバック

  1. 『逆走』という言葉に惹かれ、13年ほど前に私も野々宮踏切を訪れたことがあります。百済駅へ進入する貨物列車が関西上り線を走っている事例を取り上げられることが多かったようですが、ご紹介の嵯峨嵐山駅やかつての高松駅(高徳線上り列車が予讃下り線を走行)、距離はかなり短く「渡り」とも言えなくない天王寺駅(関西5番線から阪和下り線へ転線する際の阪和上り線)など、探せばいろいろありそうです。いずれにしても、信号や連動装置は逆走することも設定済みで、単にその方向の運転回数が少ないだけのこと、と冷めた結論に至り、興味がそがれてしまいました。
    13年前に訪れた際の写真では面白くないので、単線時代(1976年頃?)の写真を貼付しておきます。

    • 四方様
      “逆走”考察、おっしゃるとおりで、仕組まれた信号システムがある限り、別に取り立てることもありませんが、貨車改造のトロッコ先頭の推進運転で、よく脱線しないものと、つい模型的なことも考えてしまいました。
      単線時代のDC急行、ありがとうございます。お返しに、DF50を貼りました。C57が無くなる時に撮りましたが、この時も新緑が、DF50の周りを彩っていました。

      • 559号のお写真、ありがとうございます。
        日射しから、京都11時23分着の834レを思い出します。優等列車の行き違いや追い抜きで表定速度は26km/hと遅く、私にとってはDF50を存分に堪能できる列車でした。

  2. この区間で写真を撮ったのは、半世紀以上も昔の昭和46年4月でした。四方様が撮影されたのは、トンネルポータルの上ですね。大河内山荘の前から竹藪を下りて行くと、この場所に出られました。比叡山が正面に見える良い場所ですが、影になるのも早かったですね。
    ハーフ判からのトリミングで見苦しいのですが、カラーはこれしかありません。気動車の後ろに白く見えるのが、墓地への陸橋です。

    • 紫の1863さま
      貴重なカラーありがとうございます。昭和46年4月と言えば、C57が無くなった時ですね。この場所は、四方さんの撮影とほぼ同じ場所だと思いますが、私は行ったことがありません。なるほど、俯瞰が効くのですね。比叡山が真っ正面に見えるのは、私も墓地陸橋から確認しました。私も同じ昭和46年6月に竹藪横で撮ったC57を貼っておきます。

  3. 紫の1863様、
    私の写真は、仰せの通り亀山トンネルの上からです。さらに俯瞰できる場所があったとは驚きました。総本家様の写真を見ても、どこから撮影されたのか想像もつきません。山越あたり(?)の山並みや比叡山まで綺麗に写り、羨ましいです。

    • 四方誠さま
      大河内山荘の前の道から、トンネルポータル真上に出る斜面の途中で写しました。ネットで昭和50年の画像を見つけましたが、すっかり竹やぶに覆われて撮影は不可能なようです。昭和46年4月は梅小路のC57が見られた最後の時期で、幸運にも線路の見える空間がありました。トンネルの真上から数メートル高いだけですが、ずいぶん見え方が違いますねえ。
      ストリートビューを見ると金属製のフェンスが設置され、今では近寄ることも出来なくなっていました。

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