じいじ二人が行く、新緑の四国路の旅 Part6  馬路から別子へ 別子鉱山鉄道

Part5を投稿してより1ケ月近く経過してしまいました。Part6の下書きは用意していましたが、クローバー会の皆様へのお知らせ郵送があって、こちらに全力を向けました。
ようやく16日に作業が終わりましたので、3月に芭石鉄道で出会った早稲田大学鉄道研究会OBのO氏よりお誘いがあった中国地方線に現役で残るSL撮影旅行に出かけることにしました。
いつもでしたら中国からでも投稿していましたが、今回は愛用ノートパソコンが直前に物理的に壊されて持っていけません。(たまたま床に置いてあったのを掃除人に踏んづけられて、液晶画面がバリッと割れました。)
そんな訳で、こんなに遅れてしまいました。ご老公様、申しわけありません。続編を投稿させていただきます。

第3日目 5月6日 馬路→高知駅→善通寺
魚梁瀬森林鉄道は現地に来て、生い立ちから廃止への歴史を学びました。馬路からの帰路は、対岸に見た1・2号トンネルを真近に見るために途中から一般道を離れ、廃線跡を奈半利まで向かいました。今では狭いながらも農道に使用されています。



▲ 奈半利からは、土佐くろしお鉄道沿いを高知駅へと向かいました。土佐湾沿いは”しらす”で有名です。道の駅で教えてもらった「ちりめんおこげ」がウリのお店に寄りました。こおばしい焼きおにぎりを釜揚げしらすの茹で上げ汁とカツオだしを注いで食べます。こんな記念写真も撮ってくださいました。

この日は、高架になった高知駅の様子を見たいとのご老公のご希望で寄った後、高知自動車道を戻り、久しぶりのご対面となるお姉さん宅に厄介になりました。

第4日目 5月7日 善通寺→別子鉱山→道の駅滝宮
善通寺のお姉さん宅を出発後は、琴平参宮電鉄が走行したという廃線跡をご老公のご案内を受けながら走りました。琴平へは、かつて国鉄土讃本線の他に、琴平電鉄、琴平参宮電鉄、琴平急行電鉄と4本の路線があったとか。都会ならともかく、こんな地方に・・・。聞いていても信じられませんでした。

▲ 陸軍駐屯地があったそうで、立派な木造駅舎の善通寺駅です。

今日の住友グループを築いた別子銅山を走った鉱山鉄道を訪ねました。
善通寺から高速を約1時間走り、まずは別子銅山記念館に到着です。神社の階段を上がると、かつて鉱山輸送に活躍した車両が展示保存されていました。


さらに上がって行くと観光施設として公開されているマイントピア別子に着きました。ここでのお目当ては、かつての鉱山鉄道路線を走る観光列車の乗車です。


▲ ほんの5分ほどの乗車です。列車はレブリカでも路線は本物。トンネル、橋梁と雰囲気は感じられました。


▲ この後、再び通行規制の山道を走行して、東平地区まで上がり、鉱山跡を見学しました。

今から320年前の1691年(元禄4年)に採鉱が始まった別子鉱山は、主に銅を産出し、明治26年には鉄道路線(下部鉄道)が開業し、船で大阪へと運ばれました。
山頂近くの東平地区は、1895年(明治28年)に採鉱開始され、小学校、郵便局、映画館もあるほど栄えていました。魚梁瀬森林鉄道同様、街から遠く離れた山中に当時の暮らしがあったのです。

この夜は、仏生山温泉で旅の疲れを癒してから、再び琴電の滝宮駅近くの「道の駅 滝宮」に宿泊しました。

第5日目 5月8日 道の駅滝宮→仏生山車庫→帰宅

最終日は、ご老公が今回の旅の目的の1つとされていた写真の贈呈を仏生山車庫で行われました。これで4泊5日の大型連休での旅は終わりました。そして最後も讃岐うどんを食べ、淡路島圣由にて家路へとつきました。ぶんしゅう7号の全走行距離は、1,173.4キロ。燃費は過去最長の10.5km/リットルを記録しました。

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