お城と電車(18)備中松山城

備中松山城は現存12天守のうち唯一の山城である。標高420mの臥牛山にあり、JR伯備線備中高梁駅から徒歩で20~25分かかり、高齢者にはタクシーの利用がお勧めである。この地は鎌倉時代から城や砦があったが、関ヶ原の合戦以降家康の傘下となり、小堀新助政次、その子政一が入った。政一は小堀遠州のことで城や庭造りの名人と言われた。現在の城は寛永19(1642)年水野(みずのや)氏の時代のものである。城主は目まぐるしく代わったが水野氏の後には播州赤穂の浅野氏となり大石内蔵助が城代となっている。昭和の初めの古写真を見ると天守はボロボロで崩壊寸前の姿である。明治6(1873)年の廃城令で藩主の居宅等は破壊されたが、天守や櫓、門等は不便な山の上にあったことが幸いし、そのまま放置され昭和16(1941)年に国の重要文化財に指定されている。

訪問したのは2002. 8.18の午後で暑い中を徒歩で行ってみると何と天守は工事中でがっかりした。▼

メモには県立高梁高校と登城道(御殿坂)は備中松山藩の上級武士の住んでいた所とあるからこのあたりが武家屋敷地区であったと思われる。なお、映画「男はつらいよ(フーテンの寅さん)」はこの高梁市でもロケが行われていたような気がする。

備中高梁駅に戻ったのは17時前で暗くなり始めており列車撮影には難があったが、流し撮りを2枚トライしてみた。

16時50分新見発858M播州赤穂行きクモハ115-1545▼

続いて17時に381系1029M「やくも19号」出雲市行き▼

 

お城と電車(18)備中松山城」への4件のフィードバック

  1. 準特急様
    備中松山城は急な上り坂で、夏の訪問はつらいものがありますね。汗水たらしてたどり着いた天守が工事中とは、なんということでしょうか。今は観光シーズンにシャトルバスが運行され、天守近くまで行けるようです。
    私は1994年7月に行きましたが、暑かった記憶しかありません。
    備中高梁は「男はつらいよ」の第8作と32作でロケが行われ、8作(1971年12月公開)にはD51が写っていました。
    添付の画像はロケが行われた武家屋敷町で、映画ではこの場所をD51が走って行ったように思います。

    • 紫の1863様
      お互いに暑い時期の訪問でしたね。しかし、今になってみますと備中高梁のような街は風情があっていいですね。寅さんは葬儀に集まった人の集合写真の撮影で「はい、笑って笑って」と言ってひんしゅくを買っていました。ワンパターンのストーリーですが、山田監督は鉄道や渡し船がお好きなようで私もこの映画はよく見ます。D51通過場所の添付写真も有難うございます。

  2. 準特急様
    備中松山城は見上げるような山の頂上にあるのが、車窓からも見え、さぞ難攻不落の城であったことが見て取れました。残念ながら、駅に降りることもなく、街歩きもしていませんが、唯一、50年前に駅の交換を撮っていました。以前、本欄に載せましたが、昭和46年、備中高梁で交換するD51の牽く岡山行きです。

  3. 総本家青信号特派員様
    ありがとうございます。伯備線は蒸機時代に乗っていませんので交換列車でコメントしていただき嬉しいです。

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