お城と電車(12)熊本城

熊本城は慶長12(1607)年築城の名手と言われた加藤清正により建てられ、その後加藤氏改易後小倉から細川忠利が入城し細川家が幕末まで続いた。城は明治10(1877)年、日本の最後の内戦西南戦争の戦地となり、原因不明であるが焼失している。その後昭和35(1960)年に大小天守が復元された。平成28(2016)年の熊本地震により損傷を受けて現在は修理中である。熊本城は別名銀杏城と言われている。城内には宇土櫓という遺構が残存し小西行長の宇土城の移築と言われたが真相は不明である。有名な櫓であるが写真が見つからず割愛させていただいた。また、熊本城の石垣の勾配は見事で武者返しと言われているがこれも写真紛失で割愛した。どなたか特徴ある姿を撮っておられ追加していただければ幸いである。熊本城は江戸城は別格として大坂城、名古屋城とともに三名城と言われていることは前に述べたが、もう一つ規模的なことを考慮して三大名城というのがあるが、これは大坂、名古屋、姫路城であるがいろいろな説があり三名城自身も三大名城とも言われはっきりしない。

1988.5.1  昭和35(1960)年再建の大小天守 ▼

城内には西南戦争で西郷隆盛と戦った官軍熊本鎮台司令長官谷干城(たにたてき / たにかんじょう)の銅像があったが、現在は他の公園に移されている。▼

熊本市交通局の電車は皆さん何回かデジ青で発表されている。私は市電にあまり熱心ではなく、ついでに撮った数枚のみである。何れも1988.5.1熊本城前付近である。1032▼

1093②健軍町行きと読める ▼

同じく9703 ▼

 

 

お城と電車(12)熊本城」への3件のフィードバック

  1. 撮影時期が不明であるが、第三の天守と言われる宇土櫓の写真が出てきた。公開されており中に入ることのできる遺構で国の重要文化財である。

  2. 熊本をルーツにされる準特急さんのこと、熊本城への思いは格別のものがあると思います。私も高校二年生の時に熊本を訪れて以来、何度か行っています。ただ旅先の印象と言うものは、初回時の印象が左右します。初めての時は雨で、C60を求めて訪れた熊本機関区は、狭い狭いところで、いい写真が撮れなく、その日に泊まったユースも最悪で、ずっと良い印象がありませんでした。それを覆してくれたのが2016年2月に丸二日掛けて、じっくり市内を回った時でした。市電・バスが実に活発に動き、街の躍動感のようなものを感じました。添付の写真は、またまたブルーモーメントですが、高い石垣と市電です。夜の街もにぎやかで、さすが九州第三の都市だと思いました。ただ、その2ヵ月後に熊本地震が発生、この石垣が崩れ落ちたテレビを見て、愕然としたことを覚えています。

    • 総本家青信号特派員様
      熊本は高校2年の修学旅行で行きその時は親戚の面会もありおかげで熊本機関区に行けませんでした。翌年3月蒸気機関車撮影で再び九州に向かいその時の内容をファン誌に取り上げてもらいました。ところでお城の夜景は相変わらず見事ですね。確かな目と技術力を感じました。ありがとうございます。

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