伏見城と伏見桃山城は違うらしい。伏見城は秀吉、家康の時代のもので焼失したり幾多の変遷があったが、今見ることができるのは伏見桃山城で全くの模擬天守である。伏見城は最初のものは指月山伏見城で、その後近くに再築されたものが木幡山伏見城と呼んで区別されている。木幡山伏見城もほどなく廃城となり、部材が二条城、淀城、そして前回の福山城に移築されている。城跡の主要部分は明治天皇の伏見桃山御陵となっており、模擬天守のある遊園地は近鉄グループが運営していた。
走る電車は近鉄京都線竹田-上鳥羽口間の京都行き急行で652+509+649の小型車3連である。撮影は1966.10.4でこの頃ここでは吊り掛け特急も見られた。▼
この界隈は京阪伏見桃山、桃山南口、近鉄桃山御陵前、JR桃山と桃山が多過ぎて不慣れな人間には迷いやすいのではないかと思うが、寄り道先の御香宮神社の近くには戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いか)の傷跡の残る建物も見られる。
準特急様 各地の城郭にご造詣が深いことをこのシリーズで改めて知りました。私は近鉄傘下の伏見桃山城近くに住んでいたことがあり、S先輩と桃山丘陵をよく歩きました。昭和46年になぜか井笠鉄道の1号機が展示されたことがあり、早速見に行きました。この1号機はその後西武山口線で復活を遂げ、現在は笠岡市の井笠鉄道記念館に保存されています。
西村雅幸様
造詣は深くないのですが、鉄道撮影の合間にお城見学をすることはあります。先日も伊賀上野でDRFC現役生の皆さんとOB会の連合の大イベントが開催された時もマルーンさんはお城に行かれたようにうかがっております。鉄ちゃんで城好きな方は多いのではないでしょうか。西村さんがこの近くにお住まいであったことは国鉄奈良線の写真等を結構撮っておられるたのでうすうすそうではないかと思っておりました。西村さんの三原城のお近くの邸宅はまだですが、群馬県高崎の邸宅はお邪魔しております。
西村さん
これも桃山城で撮ったものらしいのですが、少しちがうようですね?
母が息子を(祖母が孫を)撮った写真ですが、見比べるとナンバープレート入れ替えたのでしょうか?入れ替えたのでしょうか?
(訂正)
「ナンバープレート入れ替えたのでしょうか?」
→「「ナンバープレートも違います。機関車を入れ替えたのでしょうか?」
準特急さん
吊り掛け特急とはこれですか?
米手作市様
違うようですね。このモ681は元の奈良電が昭和29年に新造した新性能車両デハボ1200形です。私の良く見かけたこの頃の吊り掛け特急は18000系です。ややこしいですがモ681に似たモ683は3連の吊り掛けで通常予備特と言われておりました。詳細はTさんのJTBキャンブックス「近鉄特急上」の140、141、148頁をご覧ください。1967.12.10新田辺付近で撮った吊り掛け特急18000系(18003+18004)奈良行きです。左端の踏切付近にはDRFC仲間が写っています。
米手作市様
桃山城で撮られたのは、私が紹介した井笠1号機ではなく、井笠9号機です。1号機が西武へ移ったあと、昭和48年に展示されました。元々JR山陽線笠岡駅西側の跨線橋下に保存されていたのですが、搬出しやすい場所にあったせいか、9号機が桃山城に来ました。1号機はコッペルですから価値はあるものの全国に仲間がたくさんおりますが、この井笠9号機は非常に貴重なカマです。1910年ベルギーのコッケリル社製で、釜石製鉄所の2号機でした。コッケリル製は1911年製のB1タンク 津軽森林鉄道5号機の2両しか輸入されておらず、希少種です。但し釜石製鉄所時代に上回りは大きく改造され、下回り以外は原形を留めていません。このベルーギ生まれの9号機は井原市に里帰りしています。井原鉄道開通前は屋根のある保存状態だったのが、その後場所が変わって井原駅東の七日市公園で野ざらし状態です。撮影したのが23年も前ですので、今も健在かどうか不明です。H11-1-30撮影の写真を添付しておきます。
追伸です。井笠9号機はご紹介した七日市公園から井原市美星町宇戸にあるオートキャンプ場「星のリゾート 星空感」に移設されています。美星町はその名の通り、星空が素敵な町として売り出し中です。9号機も星空を眺めながら、祖国ベルギーに想いを馳せているのでしょう。
ありがとうございます。
伏見桃山城にて展示されていたこともある井笠9号機ですが、井笠鉄道の末期には笠岡で保存されていました。(1970年3月撮影)
笠岡駅近くの交通公園と称する高架道路下の狭い所で、現在はホジ9が置かれています。