リニモや愛知環状鉄道の初乗りに満足し、愛環新豊田駅から名鉄豊田市駅に向かいました。ここから三河線終点の猿投(さなげ)に向かいます。
乗車した6004の運転台側には46年前、1977年の鉄道友の会 ブルーリボン賞の銘板がありました。この電車が相当年代物だということがわかりました。
次の梅坪駅で豊田線と分岐し、終点猿投に向かいます。
三河線は元の三河鉄道で、知立から南側を通称「海線」、知立から北側を「山線」と言うそうですが、この猿投駅は現在は山線の終点になっています。しかし猿投から先西中金までは平成16年3月31日に廃止されました。そして八百津線とともに名鉄の非電化路線でもありました。そういう基幹駅で、猿投検車場が隣接しています。
後日、調べてみると、猿投から西中金までの廃止区間は、大半がレールもそのまま残されているようです。名鉄の非電化区間では、軽快気動車というか2軸のレールバスが走っていました。名鉄のレールバスはキハ10形6両がまず導入され、11~14は老朽化で先に廃車されますが、15,16はくりはら田園鉄道に移っています。キハ20形5両は21,22が八百津線で、23~25が三河線で活躍しますが、5両揃ってミャンマーに第二の職場を得たそうです。あとボギー車のキハ30形4両がいました。電車から気動車に動力変更したくりはら田園鉄道でキハ15を撮っていました。
また近江鉄道のLE10形も同型車でした。
猿投駅では硬券の入場券が売られていたので、1枚買い求めました。
梅坪駅まで戻り、豊田線に乗り換えて赤池に向かうことにしました。途中、車窓から愛知環状鉄道の愛環梅坪駅が見えました。
愛環は先に述べたように、全線複線仕様で建設されていますが、単線区間も多くあります。愛環梅坪駅も1面1線ですが、複線化された場合にはプラットホームが増設できるような構造で作られているのがよくわかりました。
名鉄梅坪駅には平面クロスがありました。
豊田線はかつて豊田新線と呼ばれていた線区で、昭和54年7月29日に赤池・梅坪間15.2Kmが全通開業しています。全線にわたって踏切は無く、複線トンネルやコンクリート枕木の高規格の造りのせいか、100km/hでブンブン飛ばしてくれました。約20分で赤池に到着です。赤池駅は名古屋地下鉄鶴舞線との共用駅で、相互乗り入れしています。赤池駅から名古屋市交通局日進工場内にある「名古屋市電・地下鉄保存館 レトロ電車館」に向かいます。直線距離ではすぐで、見えているのですが、幅広い国道153号線を横断できる箇所がなく、かなり迂回して徒歩約7分を要します。
門を入ると、地下鉄建設工事に使用されたシールドマシンが迎えてくれます。
館内にはNゲージのジオラマがあって、運転操作もできるとあって、丁度日曜日だったこともあって親子連れの小さな子供たちが多く、展示車両をゆっくり見学できる雰囲気ではありませんでした。そもそも私は、名古屋市電とは全くなじみがなく、写真の1枚も撮ったことがないので、展示車両に懐かしさなどは感じないものの、連接の3000形や木南(きなみ)車輛の銘板や台車などは見ごたえがありました。
この日は早々とホテルを出発し、予定していたより順調に各地を巡ることができ、時間的余裕もできたため、やはり未乗区間である東海交通事業 城北線を訪ねることにしました。地下鉄鶴舞線で鶴舞まで行き、JR鶴舞駅から城北線への乗り換え駅である勝川(かちがわ)に向かいました。JR鶴舞駅で中央西線の電車を待つのですが、ホームの電光掲示板には「遅れ35分」と表示され、電車を待つ乗客がどんどん増えてゆきます。駅のアナウンスによると千種駅付近での沿線火災のため電車がストップしているらしく、いつ電車が来るのか判らないのでどうしようかと迷いましたが、ここまで来たら城北線を諦めるのはもったいないので、待つことにしました。
ようやく満員の電車が到着し、何とか勝川駅で13:31発の城北線に乗れるかと思っていました。事前にしっかり調べて来なかったのがいけないのですが、勝川駅では城北線にすぐに乗り換えられると勝手に思い込んでいたのが大きな間違いでした。ホームに降り立つと、中央線の対向2面のホームだけで、城北線ホームはありません。戸惑いながら改札口を出ると、小さな貼り紙がありました。
時計を見ると13:31が近づいており、400mも先の駅まで走っても間に合いそうにないので、あわてずにゆっくりと歩くことにしました。JR勝川駅前に立つと、城北線の高架は見えてはいるのですが、歩くと結構な距離がありました。
高架の終端は、気動車の留置線になっていて キハ11-302が留置されていました。柵の間から何とか撮影できました。
高架上の留置線の脇を進むとようやく勝川駅ホームにたどりつきます。次の列車は14:31発でまだ40分以上あります。
列車の到着まですることもなく、少し先に見える中央西線の電車やEF64牽く貨物列車を見ながら待ちました。
14:17頃ようやく列車が到着しました。乗客6人でした。早速乗り込んで発車を待ちます。
城北線の車両はキハ11-301と302の2両だけです。私を含め4人の乗客を乗せて枇杷島に向けて発車しました。勝川駅ホームから線路がカーブしていて枇杷島方面の線路が見えず、てっきり単線だと思っていたら、何と全線複線なのには驚きました。日中は1両が1時間ヘッドで往復するだけの鉄道が複線とは。
枇杷島付近では上下線が一旦離れて複雑な線路配置なのは、元々稲沢ヤードからこの城北線を経由して中央西線にショートカットしてつなぐ構想で作られたのに、その計画は破綻して、こんな中途半端で贅沢な仕様の鉄道になったことをあとで知りました。枇杷島駅に到着です。JR東海道本線の枇杷島駅に乗り入れます。下車時に運賃箱に整理券と料金を入れて下車し、改札口を通らずにJRの電車に乗り換えることができます。そのために運転士から「降車証明書」をもらって降りるのです。こういうシステムも初体験でした。
東海交通事業はJR東海の100%子会社で、枇杷島でJR東海道本線に乗り入れ可能で、2両の気動車の整備、点検はJR東海に依存しているようです。大都市名古屋の近郊に、こんなローカル赤字私鉄が立派な線路上を殆ど空気を運んでいることを全く知りませんでした。
長良川鉄道、愛知環状鉄道、リニモ、名鉄三河線、豊田線、名古屋レトロ電車館、そして城北線と未乗車区間の乗り鉄ができ、収穫も多く楽しい2日間でした。5月の北九州ツアーを利用して、寄り道先を考え始めているところです。
猿投~西中金の廃止区間は、廃止直前に乗りに行っていました。この時は“尻毛会”という、OB会有志集まりのツアーでした(「尻毛」の由来は、ご存じと思いますが、当会の文字通り重鎮の奥様の故郷である、名鉄揖斐線の尻毛駅に由来)。メンバーを思い出しますと、本欄で怪気炎を上げておられる面々が参加でした。乗車したのは、ボギーのキハ33でした。この時は、パノラマスーパーの最前部に乗ったり、5500系のリバイバルカラー編成を撮ったり、最後は、関のウナギの名店で、うなぎ定食を食べて、大満足の1日でした。
特派員殿 西中金までの乗車会があったとは知りませんでした。ストリートビューで見ると、結構山の中で、早々に廃止されたのも頷けます。このような非電化私鉄が少なくなり、寂しい限りです。
はい、この時代は、米手さん、大阪通信員さん、そのほかの先達の皆さんとともに、いろいろなところに連れて行ってもらいました。近江鉄道、紀州鉄道など、私は行けませんでしたが、福井や高松へも行かれたようでした。豪華な昼食を食べながらの小宴もあって、これも楽しみでした。
西村雅幸様
先日の長良川鉄道ツアーにご一緒出来て嬉しい事でした。美濃太田駅でお別れして多治見に向かわれましたが、二回にわたるレポートを有り難うございました。
中京圏のことも疎く、西村さんの緻密で熱心で真摯なレポートで現況を伺うことが出来ました。
ちょっと昔、福井のえちぜん鉄道に愛知環状鉄道の電車が配置されるというニュースで愛知環状鉄道の存在を知りました。東海交通事業の存在なんてとてもとても・・・勉強になります。
黄色い名古屋地下鉄には記憶がありますが、黄色の車体に大きなやさしい窓、京急にも通じるスタイルで私は好きです。
シールドマシンのお蔭でトンネルがスピーディーに掘削されているのでしょうが、展示されているのですね!迫力を感じました。
マルーン様
長良川鉄道では、自分の写欲が先行して、皆様との会話が疎かになり、失礼したと反省しています。この歳になると、多分この場所にはもう来ることはないだろうとの思いが強く、考えてみれば、なぜそんなに一生懸命写真を撮ってどうするのと自問自答しながらも、足が自然に動いてしまうのです。マルーン様と北九州で再会できますか?今度は小倉でゆっくり盃を交わせればと思っています。ありがとうございました。