お城と電車(13)甲府城

甲斐の国と言えば武田信玄であり、その城は甲府城ではなくもう少し北にある躑躅ケ崎館である。甲府城は武田氏滅亡後将軍家に最も近い親藩の城となった。築城は1583(天正11)年とも1585(天正15)年とも言われ家康が建てたとの説が有力である。三橋美智也の武田節には「人は石垣、人は城」とあるがこの石垣はどこのものなのだろうか。関東には石垣があるのは江戸城、小田原城、甲府城、沼田城(山梨県は、天気予報やニュースなど関東、甲信越と一括りになっている)くらいだと聞いたことがある。幕末の戊辰戦争の末期には幕府から新選組組長近藤勇に甲陽鎮撫を命ぜられたが、目指す甲府城に行きつかず板垣退助に敗れ敗走し最後は板橋で処刑されている。明治の廃城の後に現在のJR中央本線が開通しており城は分断されている。

写真の左部分にも再建の城建物があるが下手な撮影で右の櫓のみ 2018.4.8 17:25身延線ホームより撮影 ▼

お城と電車(13)甲府城」への9件のフィードバック

  1. お城と電車シリーズ楽しみに拝見しています。以前からお城を巡っていたのですが、地元大津出身の今村翔吾さんの「塞王の楯」を読んで石垣にも興味を持っていろんな本を読みました。穴太衆の石積みは石を加工してきれいに並べるのではなく、加工せず、その場所に収まる石を選んで作る「野面積み」で行うので、お城を見に行くとつい石垣に目が行きます。甲府城は行ったことはないのですが、この石垣も穴太衆が積んだもので、高さは東日本最大級の石垣とも書いていましたので一度見てみたいものです。電車とは関係なく失礼しました。

    • 大津の86さんならではの穴太衆の話有難うございます。駅名でも特に石垣に興味ない人には穴太は読めないですね。野面積みは信長や秀吉などの時代に見られますが主に関ケ原合戦以降は技術が進歩したようです。大坂城も地下に埋められた秀吉の天守閣の石垣は発見されて野面積みが確認されていますし、出世城と言われた家康の浜松城も野面積みですね。甲府付近のJR東(身延線のJR東海は別)の普通電車は今でも211系です。有難うございました。

  2. 準特急先輩が城郭にお詳しいことを知りませんでした。甲府城(舞鶴城)ですが、城内にED171とC125が保存されていました。現在ED171は大宮の鉄博で見事な復活を果たしていますが、甲府で見たときは、紺色でした。丁度城跡の埋蔵文化財調査が行われていて、写真が撮りにくかったことを覚えています。

    • DRFC-OBでもバスや飛行機と同じように城が好きな方もおられると思います。石垣や城郭遺構などは昔を偲ばせてくれます。そういう雰囲気がいいのです。古い街道や神社仏閣も同じです。「城と鉄道」は京大さんの写真展のテーマでもあったそうですが、両者を入れて撮るのはそろそろ種切れになってきました。山には100名山がありますが、多分100名城もあると思います。城だけを目的に行くのもいいと思います。山城などはちょっとしたハイキングでして高齢者にはしんどいです。西村さんには三原城のことでいろいろ勉強させていただきました。紺色のED171は是非見たかったです。「保存蒸機とその現役時代」ももう少し続けようと思っておりますが、こちらもそろそろ種切れが近づいています。それより皆さん蒸機自身にあまり興味がないようですので次のテーマも考えたいと思います。有難うございました。

  3. 準特急様
    甲府は、関西から、なかなか行きにくいところですね。私も、一度しか下車したことがありません。駅のすぐ横に、こんな櫓があるとは全く知りませんでした。また知られざる「城と電車」、楽しみにしています。
    2006年、その一度だけの甲府駅で写した、215系「ホリデー快速ビューやまなし」です。初めて215系に乗って、2階席からの展望を楽しみながら、新宿まで乗りました。215系も2021年に全廃になり、この列車の廃止されて、懐かしいシーンになりました。

    • 甲府の行き難いのは同感です。山梨交通の電車があった湯口さんの時代やD51がスイッチバックをあえいでいた時代はもっと面白かったのでしょう。身延線も低い屋根のゲテモノがいましたね。215系はお買い得な快速列車でした。ありがとうございました。

  4. 皆様もお書きのとおり甲府は関西からは行きにくいところですね。確か、山梨県は足を踏み入れたのが都道府県の中で最後でした。(沖縄県は未だに行ってませんが、、、)
    甲府へは、8年前に東京から身延線経由で帰ったときの1回のみの訪問です。EF64が国鉄色、茶色の2機構内にいましたが、残念ながらどちらもパンタを下ろしておりました。

    • 宇都家様
      EF6437は茶色に塗られてイベント用で特急北陸にも使われたと思います。しかし、EF64そのものは最初からブルーに白で茶はありませんでした。もう一つ番号を忘れましたがEF641000番台に茶色がありこれもイベントによく使われていました。写真の左のがEF6439であれば、これもよくイベントに使われていました。山梨は阪急の小林一三が韮崎の出身ですが、東武の根津嘉一郎も山梨ですね。大物が多いので有名です。金丸信なんていましたね。夜行高速バスで関西から甲府行きはなかったでしょうか。

      • 手前は39号機です。
        小林、根津らは甲州財閥と言われたりしますね。
        バスは甲府、小淵沢から京都、大阪を結ぶ路線が昼夜行あるようです。鉄道では行きにくいので直通バスは競争力がありそうですが、移動のニーズはどの程度あるのでしょう。

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