今までお城をバックにした電車を発表してきたが、うまく城郭と電車が入る所は限られているのでこれからは城郭訪問前後に利用した電車も発表とさせていただきたい。その代わりと言っては何であるが12(今まで松山城を発表したので残り11)の現存天守のある城を当面の発表対象として続けることとする。
最初は宍道湖を眺める国宝松江城である。関ヶ原合戦西軍の毛利氏が支配していた出雲は合戦後東軍徳川方の堀尾吉晴が遠州浜松から入封し月山富田城を経由して松江に築城、城は1611(慶長16)年に完成した。別名千鳥城と呼ばれる。その言われは千鳥が羽を広げた格好に見える三角屋根を「千鳥破風」と言うなど諸説がある。従って木次線を走った快速「ちどり」は松江城のことである。佐竹保雄先輩撮影のC56のヘッドマーク付きの姿が「想い出の木次線(同志社大学鉄道同好会)」に掲載されている。
2002.8.17 松江城 ▼
武家屋敷、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)記念館などの観光をし、城見学の後は一畑電鉄松江しんじ湖温泉ターミナルをに向い、宍道湖をバックに一畑電車の撮影に向った。3扉→2扉化改造の京王の2104で担当は京王重機であるが、この頃松江の観光用バスには京王重機の子会社東京特殊車体が改造したレトロバスも走っていた。2002.8.17津ノ森-高ノ宮 2104電鉄出雲市行き▼
車輛は京王、南海の独壇場であった。上の写真の2104の京王時代の写真を探した。1970.2.27高尾山口-高尾間単線区間を行く急行新宿行き5718である。▼
松江温泉駅では東西の名特急車両が見られました。
米手作市様
有難うございます。よく1回乘っても何回(南海)電車、早稲田が乘っても慶応(京王)電車と言われますが、正しく駄洒落ツーショットですね。右は元京王5,000のうち大改造した優等列車用車両です。もう私も投稿最高齢者となり、ネタ切れと投稿疲れを起こしています。今回からこのように電車の後方や横に天守や石垣がなく、本来の目的から脱線しておりますがお許し願います。ところでこの様な元大手の電車の譲渡先での並びは面白いです。富山地鉄でも元京阪、西武、東急等の並びは日常見られます。富士山麓電車もそうです。養老電鉄はどうでしょうか。南海、京王等資本系列にあまり共通性がない方が面白いです。大昔ですが、京王バスは南海ホークスの選手の輸送を担当していたことがあるそうです。1月も半ばになりましたが本年もよろしくご指導くださる様お願い申し上げます。
米手作市さまが投稿された京王5000の優等列車用改造車は、昨年12月には添付のようなカラーとなり、これが元京王5000かという姿になっていました。2022.12.9夜 一畑口にて。
顔の整形手術、うまくいかなかったのかな?
クモハ73106東ウラ様
こんなオカチメンコに劣化改造をしていたのですか!
センスが疑われますね。
乗った時は車内もきれいで、京阪間で走ってもだれも文句を言わないような出来栄えでした。
準特急様
松江城は風格がある優雅なお城で、お堀から見る姿も優雅だったと記憶しています。
千鳥城と呼ばれ、快速「ちどり」命名の由来だったのですね。
マルーン様
明治の始めに多くの城は破却令により石垣を残して消え去っていきましたが、復興させたものもあります。日本の12ある残存天守は当時の部材を使ったりいろいろと修理を施して残っています。姫路城も昭和の大修理などを経て現在の姿が残っています。残存天守は中を見学した方が面白いです。木造の雰囲気がわかり、ロープを使う急な階段もあったりして高齢者には厳しい所もあります。福井も立派な石垣が残っていますね。
準特急さんの「お城知識」には兜を脱ぎます。
学生時代にも脱がされた兜は数知れずでした。
米手作市様
DRFCは鉄道を趣味とする同好の集まりで知識や内容は問いません。他の趣味があって当然です。鉄ちゃんは旅好きですから、鉄道の他にバス好き、飛行機好き、神社仏閣や城好きもおられると思います。私の場合は鉄道撮影で時間があるとその街の自慢の場所に行きますがその中に城も含まれている程度です。スポーツの団体は勝つこと、強くなることが目標でこの点がDRFCとは異なりますが、DRFCはグループを形成する限り社会人としての最低限のルール、マナーは当然です。これも世代や考え方によって変わっていくのかもしれません。米手さんとは半世紀以上のお付き合いで有難く思っております。学生時代は毒舌の会長として怖い存在でした。勝って兜の緒を締めたいところでしたが、連戦連敗で兜が足りませんでした。ところで戦国武将の兜では伊達政宗のそれが格好いいと思っています。正面に関学の校章を鋭くしたような三日月がついているあれです。