北の大地への旅 2024年秋 Part5 道東の撮影地へ向かう④

第4日目 9月29日

今日で3日間ご一緒した準特急先輩、車を運転して各撮影地へと案内していただいたクモハ73106東ウラさん、NETさんとのツアーは完了です。クモハ73106さんとNETさんは夕刻のJAL便で東京に戻られますが、準特急さんは席が取れなかったそうで帯広泊まりで明日の飛行機で戻られます。一方の私は一昨年12月に宿泊予約しておりました上富良野の十勝岳温泉凌雲閣行きが東鹿越行きの代行バスの運休、切り替えて函館本線旭川経由で行こうとしたところこのルートは、豊沼駅構内で除雪車と特急電車との衝突事故があって函館本線が運休となり行けなくなりました。一度は日本で最初に紅葉が見える十勝岳温泉には行ってみたいと今回は前回のリベンジを兼ねて今宵は準特急さんと同じく帯広泊まり、明日向かうことにしました。

2日間は天候に恵まれずでしたが最終日は朝から快晴です。町内にある「留辺蘂町仲よし公園」に保存展示してあるD51311号機を視察に向かいました。
① 北見ビアゾンホテル 6:00(約4㌔)⇒6:14 留辺蘂町仲よし公園

▲ 公園の中にポツンと置かれていましたが屋根もないのに錆もなく良好な状態でした。
続いて市街地の中央にそびえたつ瞰望岩(がんぼういわ)下、町民の憩いの場として親しまれている 遠軽郷土資料館へと向かいました。Ð51859号機が保存展示されています
② 留辺蘂町仲よし公園6:18(約42㌔)⇒6:57 遠軽郷土資料館

▲ D51のデフレクターに遠軽町の町章が描かれているのが異様にも思えました。

撮影後は直ぐ近くにあります遠軽駅横断橋へと徒歩で向かいます。DF200形が牽引する貨物列車を狙います。
③ 遠軽郷土資料館  7:00(約100m)⇒  7:05 遠軽駅横断橋  ▲ 7:09 石北本線を走る貨物列車としてはタマネギ輸送が有名です。編成前後にDF200形ディーゼル機関車を配して25‰の急勾配を駆けてきました列車の到着です。
▲ 7:20 遠軽駅で折り返して旭川へと向かっていきました。

次はまだ行ったことのない遠軽から約27㌔、生田原駅~金華信号場の146㌔ポストへの撮影地へと向かいます。
④ 遠軽駅横断橋 7:21(約27㌔)⇒8:02 生田原駅~金華信号場の146㌔ポスト
▲ 8:02 同業者の先客数名が既におられました。有名な撮影地のようです。隊長さんから持ってくるようにと指示がありました小さな脚立を今回初めて出して高い位置からのアングルを決めます。先ほど遠軽駅で発車を見たDF200 62号機牽引の貨物列車が急坂を上ってきました。
▲ 9:09 紅葉はまだ少し前ですが黄色く色づいた林の中を網走行きの4659Dが軽快な足取りでやってきました。
▲ 9:20 続いては旭川へ向かう「ひとめぐり号」です。後追いですが待ちました。

撮影後は今回最後の訪問地の丸瀬布いこいの村へと向かいました。
⑤ 生田原駅~金華信号場の146㌔ポスト 9:22(約45㌔)⇒
10:22 丸瀬布森林公園いこいの森

▲ 10:22 2009年10月25日、当期最後の運行日に来て以来3回目の訪問となる丸瀬布森林公園いこいの森に到着しました。10:30発の列車は乗客がいませんでしたので運休でしたが次の11:00発は運行されました。

▲ 12:00発迄3本を撮りましたが昼食場所に予定していたいこいの森内の食堂が今日は休業です。丸瀬布駅近くのコンビニで弁当を買うことにして、その後はタウシュベッツ橋梁の遠くからの撮影に切り替えました。

⑥ 丸瀬布いこいの村 12:15(約141㌔)⇒14:55 タウシュベツ川橋梁展望台

▲ 14:55 北海道らしい原生林の中を走り、タウシュベツ川橋梁展望台に到着です。TVや雑誌で近くに寄った写真はよく見ていますが俯瞰できる場所があったとは初めて知りました。ダム完成前の線路跡も残されていました。
続いては48624号機が保存
展示されています音更町交通公園へと向かいます。

⑦ タウシュベツ川橋梁展望台 15:00(約58㌔)⇒16:04 音更町交通公園

 ▲ 16:04 かつての士幌線音更駅跡にある音更町交通公園に到着。ここの8620形はカットモデルになっていて機関車内の内部構造がよく見えるようになっています。
ジョルダン式雪かき車キ700形貨車キ704と、ヨ3500形貨車ヨ4730も保存展示されていました。

夕刻に近付きました、今回の旅最後の撮影地となる十勝鉄道保存車両を見学に帯広市内へと向かうことにしました。
⑧ 音更町交通公園 16:11 (約36㌔)⇒ 16:56 十勝鉄道車両保存公園

▲ 16:56 車両が保存展示されている公園に到着、かつて走行していた線路跡のようです。十勝鉄道を走行したNo.4号蒸気機関車は1920年(大正9年)7月に日本車輌製造で3両が製造された12トンC形タンク機です。コハ21形木造2軸客車は4両が1926年(大正15年)9月に大阪市の楠木機械製作所で製造されました。コハ23のみが保存展示されています。

この鉄道は、砂糖の原料となる甜菜の輸送を目的に、1920年(大正9年)北海道製糖株式会社の専用鉄道として開通しました。翌々年からは混合列車による旅客輸送も開始され帯広を中心に105.5㌔もの営業路線を誇っていましたが、貨物輸送の衰退により、1977年(昭和52年)に廃止されました。57年間の営業でした。

17:00 これを最後にツアーは解散です。私と準特急先輩はホテルまで送っていただき、隊長さんとNETさんはレンタカーを返却に帯広空港へと向かわれ帰途されました。
その後私は予約していますホテルパコ帯広中央へチェックイン後、準特急先輩がお泊りされておられます東横イン帯広へと向かい合流、夕食をご一緒させていただき二人での打上会としました。  Part 5 へ続く

北の大地への旅 2024年秋 Part5 道東の撮影地へ向かう④」への1件のフィードバック

  1. ぶんしゅう旅日記様
    常紋は初めてでこんなものかと思いましたが、一人では車運転は無理ですね。丸瀬布の雨宮の列車は天気も良くなったこともあり結構いい写真が撮れましたね。遊園地的列車ですがそこは北海道、そこそこ距離があり景色もよく、光線具合や煙の予想から場所探しで行ったり来たりでここでもバテ気味でした。タウシュベツ川の橋は士幌線十勝三俣まで家族旅行で行ったことがあるので通った事があると思っていましたが1955(昭和30)年に別線を作ったのでこの橋は通ったことがないことがわかりました。タウシュベツ橋を見学する展望台までの林の中に別線跡が残っていましたね。大勢の見学客が行ったり来たりでおしっこに行きたくなり苦労しました。歳をとるといろいろ大変なことがわかりました。

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