ここらでボンネットバス 近畿編 〈19〉

吉野山上を走る吉野大峯ケーブル自動車

前項で紹介の吉野山のボンネットバス以上に珍しいバスが、定期路線として吉野山上を走っていました。奈良県のバス事業は奈良交通グループが独占していましたが、唯一の例外が、吉野山上を走る路線バス会社、吉野大峯ケーブル自動車でした。同社のケーブル部門は、日本最古のロープウェイとして、近鉄吉野駅前から吉野山を結んでいましたが、自動車部門もあって、。通常はケーブル吉野山駅から奥千本までを約35分で結び、4台の路線バスで運転されていました。2台はよくあるマイクロバスですが、あとの2台は、ボンネットバス以上に珍しい、キャブオーバー式のバスが使われていました(昭和60年4月撮影)。終点の「奥千本前」に到着した吉野大峯ケーブル自動車、これが、そのバス。吉野で最後に咲く桜の名所、奥千本はこの付近。

▲ 奈2あ20-01 トヨタFC80(1961年式)、ボデーは尾張車体、この撮影時点で、25年は経過していた。▲ 奈2あ20-02 いすゞBXD20E(1964年式)、ボデーは川崎ボデーと言われるが、ほかのメーカーの可能性もあるとのこと、20-01より大型で製作年代も後になるが、前灯は2灯。

キャブオーバーバス(COE)は、車体前部にエンジンを置いた箱型バスで、車体前部にグリルがあるのが特徴、車内には運転席横にエンジンの張り出しがある。ボンネットバスと共通の車台に、箱型バスを乗せた形で、ボンネットバスからの改造車も見られた。箱型バスの主流が、リアエンジンに移行し、次第に縮小され、この時期、地方ではまだ散見されたが、近畿では、この2台だけだった。

バスの運転区間は、方向幕のように、ケーブル吉野山駅~金峯山寺~竹林院前~奥千本前を結んでいたが、ケーブル吉野山駅~金峯山寺~竹林院前は、道路沿いに旅館、土産物店、民家が建ち並ぶ山上の街となり、桜の時期は歩行者専用路になるため、竹林院前~奥千本前のみの運転で、訪問時は30分ヘッドのピストン運転だった。また竹林院前~奥千本前は、当時、吉野大峯ドライブウェイの有料道路で、背後の門が料金所となっていた。普通自動車は500円とメモにあった。

料金所を出た奥千本前行き、なんと有料道路なのに、未舗装がずっと続く。

ダートコースを行く奈2あ20-01 トヨタFC80 ちらほら遅咲きの桜も見られた。後部に「TOYOTA」のエンブレムが輝く。

こちらは奈2あ20-02 いすゞBXD20E ボンネットバスの車台を利用しているから、お尻はボンネットそのもの。この日は2台がフル稼働、途中で交換のシーンも見られた。運転席にエンジンが張り出しているのがわかる。終点の「奥千本口」に到着。と言っても、人家も何もないところ、山全体の桜を見下ろすには、まだ歩かなけれならない。この2台のキャブオーバーバスは、なんと平成の時代まで生き延びたと言う。現在でも4台のマイクロバスが、ケーブル吉野山~奥千本を結んでいる。

 

 

 ここらでボンネットバス 近畿編 〈19〉」への2件のフィードバック

  1. 2002の方は、1991年4月15日に、奥吉野の桜を見に行ったドライブで、奇跡のような遭遇をしていますね。
    妻が横に乗った黄色いシトロエンBXを停車して、「あキャブオーバーバスがこんな所に残っている!」と去り往く姿を写していました。
    当時は行きしなの藤井寺郊外の羽曳野の葡萄畑には3輪ミゼットがバンバン走っていて、それは楽しい発見の多い時代でした。
    私はネット以前の情報が多くなかった時代に、今でもノスタルジー的憧憬を感じます。

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