Re.備南電鉄→玉野市営電鉄について

44-3-18 102-2
三井造船所前付近を走行するキハ102/(44-3-18) 検査中のキハ103と廃車後放置状態のクハ201が見える。

「昭和の電車」は、しばらくは山陽地方の小私鉄とのことで下津井電鉄、尾道鉄道、広島電鉄、山陽電軌が続くと思われるがで何が登場するのか楽しみにしている。

今回の備南電鉄について、早速湯口先輩より貴重なモハ102、103の写真と共に解説があった。電車から気動車に切り替わったのが昭和39年12月のため、我々団塊世代では電車時代の撮影は、地元に居住してかつローカル私鉄に興味がないと難しいと思われる。
私自身は、気動車化後の40年8月18日と44年3月18日の2回訪れている。

湯口先輩の補足と、その後の経過について述べてみたい。備南電鉄は、宇野~児島~水島間(31.4㎞)結ぶ目的で、昭和25年4月1日に設立され、28年4月5日宇野~玉間3.5㎞を開業した。この時用意された電車がモハ101、102、103の3両であった。
湯口先輩の解説通り、曰く因縁付きの車両で、蔵王高速電鉄が山形~上山間の開業にあたり日立製作所に5両(モハ3両、クハ2両)発注したが、朝鮮戦争による物価の高騰により工事が中断したためキャンセルになった車両(モハ3両)である。クハ2両は十和田観光電鉄のクハ2401、2402になり、モハ2401、2402を同形で新製して同社に納入したという噂を聞いたことがある。H.K生さんがコメントされている通り、スタイルがそっくりであることは事実であるが真偽の程は不明である。

経営難により31年3月24日付で玉野市に移管され、その後「玉遊園地前」まで延伸され営業距離が4.67㎞になった。この間に駅が11カ所、信号所が1カ所あり、駅間距離は路面電車並みで、高速運転用電車や気動車の使用は不適切であった。

湯口先輩に続き、西村雅幸氏が投稿されており重複する部分もあるが、訪れた時に撮影した写真を貼り付けた。

【気動車】
昭和39年11月17日より運転を開始し、12月24日に全面的に切り替えた。当時のピク誌「読者短信」に電車+気動車のMD編成の写真が掲載されていた記憶がある。
業績悪化により電車から気動車に転換した鉄道は、池田鉄道、栗原電鉄→くりはら田園鉄道、羽後交通御雄勝線等何件かあるが、いずれも転換後数年で廃止されている。

キハ101/上(40-8-18) 三井造船所前 下(44-3-18) 玉遊園地前
三岐鉄道より関西線四日市乗入れ中止により余剰になったキハ81を購入した。昭和9年日本車両製で元鉄道省キハ41097として新製し、26年8月に譲受け、翌年の27年9月エンジンをDMH17に換装した。入線時に変速機を液体式に変更した。
98-25.kiha101.65.8.18.maru
44-3-18 101玉遊園地

キハ102・103
昭和39年3月31日付で廃止された熊延鉄道からジハ102、102を譲り受けた。25年汽車会社製で片側(玉遊園地寄り)に荷物台が設置されており、戦後製の気動車で荷物台付は珍しい。変速機は熊延鉄道時代、33年に液体式に変更されている。
キハ102/(44-3-18)  大聖寺前
44-3-18 102
キハ103/上(44-3-18)  三井造船所前車庫で検査中 中・下(40-8-18) 玉
103 44-3-18
98-20.kiha103.65.8.18
98-21.kiha103.65.8.18

キハ104/(40-8-18) 玉
元熊延鉄道のジハ103で、キハ102・103と同時に譲り受けた。書類上は27年九州車両製になっているが、元島原鉄道キハ二104で10年日本車輌製である。熊延鉄道入線時に荷物扉を廃止する等大改造を行った。変速機は歯車式であったが、入線時に液体式に換装した。
98-22.kiha104.65.8.1898-23.kiha104.65.8.18

【電車】
クハ201/上 (40-8-18) 下(44-3-18)  三井造船所前車庫
昭和37年4月ラッシュ時の増結用に野上電鉄から購入したが、気動車化により僅か2年半で失職した。昭和3年加藤車輌で2軸単車デハ7として新製、21年11月デハ102に改番、29年に自社で車体延長工事を行い気動車用のTR26を履きクハ化され、クハ102となった。気動車化後は三井造船所前車庫の留置線に放置状態で停められていた。
98-17.201.65.8.18
201 44-3-18
4年間で更に荒廃が進んだ。

モハ101~103
電車運転終了後、高松琴平電鉄に譲渡され、台車改軌等の整備後750形(750、760、770)となった。旧番は順に102、103、101である。
琴平線に配置され、日立多段式制御器と94KW×4の大出力の性能を発揮して使用された。42年に貫通扉の設置、49年に他形式との併桔が不能であったため機器の変更が行われ、HL式単位スイッチ式非自動加速制御器に変更、50年には台車、主電動機の交換が行われ、75KW×4と性能がダウンした。50年に長尾線に転属したが、53年に770が踏切事故で廃車、残るモ750とモ760も平成18年9月と7月に廃車された。760は里帰りを果たし、「玉野市電保存会」により、かつての終点玉遊園地駅近くの「総合保険福祉センター」で保存されている。
750+760 /(44-3-19) 瓦町
44-3-19 750
44-3-19 760
 770/(44-3-19) 仏生山
44-3-19 770

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