奈良電デハボ1200登場!

懐かしの奈良電!

思い出せば紀元節が復活した年に柏原神宮まで乗ったのが最初でした。奈良電はよく乗りましたが、久津川にいた友人の家を訪ねるためで、特急に乗ることは無く、奈良電らしからぬ明るい社内とクロスシートにかかった白いカバーに感激したものでした。

もっともこれは近鉄になってからで、この絵にある奈良電色ではありませんでした。近鉄特急の色でありながら車体幅やキハ20のような窓に旧型車の匂いがして特急料金を取られるのが不服ではありました。

 

4 thoughts on “奈良電デハボ1200登場!

  1. 長老様、
    ご指摘の通りでした。読み返すのですが見落としました。お詫びし申し上げます。
    これは「かしはら」と入れるところを「かしわら」と書いたことに原因があります。戦後生まれの若造につきお許し下さい。
    こんな事はさておき、デハボ1200についての薀蓄をお願いします。

  2. 薀蓄と言われると困るなあー。迷図作家さんの見解に?と思うことがある。デハボ登場の頃はまだ近鉄とねんごろになってはいないと思う。奈良電が経営危機に陥ったのは昭和30年を越した頃で、新聞沙汰になったのも覚えている。詳しくは合併前に刊行した年史に記されている。こと車両について近鉄に援助を受けた形跡はないと思う。1948年の新車1100、700形は近畿車輛製で私鉄規格型Cに該当するが、資材割当を受け近接地の近畿車輛が製造所として指定されたのではないかと思っている。そこで奈良線600形2期車の寸法を幅広にして製作されたのではなかろうか。西大寺以東に乗り入れしていたので、ありうる話だと思う。電気機器類は開業以来のTDKである。そこで1200形だが、車体は阪急(京阪の大株主)系、台車は近車、電気機器は三菱とくれば近鉄の差し金と思いたくなるが、三菱は主電動機
    MB3020形の性能を試したくなり試供品として格安で売り込んだのではないか?
    WN駆動で定格110KW(300Vか600V-どちらでした?)は近鉄800形より1年早い。げすの勘ぐりだが、それほどに電鉄界はサンフラン条約締結後、各種新機軸の製品が溢れ返った時代だったのです。その中で京阪1800形2両は新機軸満載の新車であったのです。その第2弾が奈良電1200形とすれば、相変わらず京阪馬鹿やと言って笑われるのが落でしょうか。
    さて1200形が600形とコンビを組んで特急運転開始となったのは1954年秋のことであった。老人は母親が京大病院入院となり、父と兄との男3人暮らしとなった時だから電車どころではなかった。始めて乗ったのは翌年春、父の出生地である田舎へ行った帰路、西大寺から乗った。運転台貼り付けで、その頃珍しかった速度計を睨んでいた。108㎞/h出たのが小倉の勾配を下りきった時であった。この時の揺れはすさまじく恐怖を覚えた。その後、玉砂利に砕石を追加、締めた結果ましになったが、レール交換は近鉄合併後のことで、35Kgが40Kgになったようで、すべるような乗り心地となったのはよいとして特急料金が必要となった。

  3. 長老様、
    さすがの薀蓄をありがとうございました。
    門外漢の私でさえ近鉄と合併の話を聞いた時には?と感じたものです。新幹線が開通し、京都駅の近鉄ホームが二階に上がった頃、見上げると近鉄のホームに京阪1000型が停まっているのはいいものでした。いまは京都市交の地下鉄が奈良駅まで乗り入れているのも時代の変化でしょうか。

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