全鋼車・近鉄5201系

昭和4年製で1000mmの広窓という。少し時代が下がるがオロ36とオロ40を思い出しました。

それにしても全鋼車ができたのが意外と遅いのに驚きます。近鉄のように各社が合併してできあがった会社は別として、阪急や京阪でも同じ頃なんでしょうかね?やっぱり地下乗り入れや都市間連絡の都会型電鉄は早いのでしょうね。

 

全鋼車・近鉄5201系」への2件のフィードバック

  1. 奧野師匠の教えによれば吉野鉄道モハ201~206、クハ301~314の20両製造された。年に一度の花見客用にモハは客用扉間、クハは全席対向クロスであったとの事で、これは武蔵野鉄道鉄道モハ5560、クハ5660形を参考にしたものだ、との事。
    トレイラーが多いのは花見シーズンは電機で牽引させようとしたためであった。
    戦時体制に入り、名古屋線沿線に軍事施設や工場が設置され、極度な輸送力不足に陥ったため20両とも送られ、近鉄合併時に5201、6501形に改番された。戦後、5201形のみ南大阪線に転属、番号順に3連2本となったが、内中間車は電動機無しであった。クハの内WCを設けたものは確か6511~の番号になり急行用となった様に思う。改軌されたのかどうか、記憶にない。
    察するに全鋼製客車で言えば川崎造船(車両)の専売特許みたいなものだが、同社は艦船製造が本業であり、鋼板加工はお手のものであったのだろう。内装の細かいところまで仕上るのは、当時の他社では工数増加につながり手こずったであろう。
    京阪700形では川崎・日車の2社競作で、比べると正面の感じやヘッダーの収め方
    に違いが見られた。製造会社の個性が売り物でもあった時代のお話。

  2. 帰宅してコメントを読んで気付いたたが、6501形でWC取り付けは確か6501~6510号であったと思いだした。戦後、南大阪線に戻った6両は、南大阪線に戦後新造車として配置された6801系が、ラビットカー配置によるトコロ天名古屋線転出の代替であったと思う。6801系は6411系に改番された。訂正の上、お詫びします。

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